1、作品の概要
『神の子どもたちはみな踊る』は、2000年2月に刊行された村上春樹の短編小説集。
全6編からなる。
『新潮』に『地震のあとで』という副題付きの連作短編集として1999年8月号~12月号に5編が掲載され、『蜂蜜パイ』が書き下ろしされた。
『神の子どもたちはみな踊る』が2008年にアメリカで映画化された。
装画は北脇昇の『空港』で、挿画も彼の作品が使われている。
(現在の文庫の装画はカエルのイラストに変更になっている)
1995年に起こった阪神・淡路大震災に間接的に関わる人々の姿を描いた。
2、あらすじ
①UFOが釧路に降りる
オーディオ機器の会社に勤めていてハンサムな小村は平凡な妻と結婚し、子供はいないものの幸せな毎日を送っていた。
しかしある日、阪神淡路大震災のニュースを食い入るように見ていた妻が置き手紙を残し彼の前から去ってしまった。
傷心の小村は長期休暇を取得し、同僚から北海道の釧路まで荷物を届けるよう頼まれて快諾する。
空港で同僚の妹と、シマオの2人の若い女性に出迎えられた小村はUFOを見て突然いなくなってしまった知り合いの話を聞く・・・。
②アイロンのある風景
家出をして茨城の海沿いの街に住み着いた順子は、大学生の啓介と同棲していた。
順子が働いているコンビニに客として来ていた初老の男・三宅と懇意になり、海辺で一緒にたき火をするようになった3人。
海辺のたき火は、順子に高校1年生の時に読書感想文で書いたジャック・ロンドン『たき火』を思い起こさせた。
1人で絵を描きながら生活している三宅は、かつて神戸に住んでいて妻子とともに暮らしていたが・・・。
出版社に勤めて、母親と2人暮らしの25歳の善也。
彼の母親はとある宗教にのめり込んでいて、父親は神である『お方』だと教えられて育ってきたが、善也が成長してから、本当の父親は右の耳たぶが欠けている産婦人科医だと告げらる。
母親が阪神淡路大震災のボランティアで現地に赴いている時、偶然父親らしき姿を見かけた善也は彼のあとを追うが・・・。
甲状腺の研究をしていたさつきは、アメリカ人の夫と結婚してアメリカに住んでいたが、離婚して日本で生活していた。
バンコックで開催された会議のあと、タイで休暇を取ることにした彼女は、二ミットという不思議な男を友人から紹介され、彼のアテンドで1週間の休暇を取ることになる。
休暇は素晴らしいものになり、二ミットのアテンドは素晴らしかった。
さつきは、彼から阪神淡路大震災で知人などに被害はなかったか聞かれ、神戸に住む憎いあの男のことを思い出していた。
そして、休暇の最終日にさつきは二ミットから不思議な老女を紹介される。
⑤かえるくん、東京を救う
東京安全信用金庫新宿支店融資管理課に勤める片桐が帰宅すると人間と同じぐらいの大きさの蛙が彼の部屋にいた。
かえるくんは阪神淡路大震災の影響で東京の地下でみみずくんが目覚め、近々大地震が東京を襲うことを告げる。
彼はみみずくんと戦い東京を救うために片桐に協力を求めていた。
かえるくんと共に戦う決意を固めた片桐だったが、何者かの凶弾に倒れて入院してしまうが・・・。
⑥蜂蜜パイ
大学で知り合って友人になった淳平と高槻と小夜子の3人。
高槻はいつもみんなの中心にいる積極的で明るい正確で、淳平は物静かで本ばかり読んでいた。
淳平は小夜子を密かに愛していたが、高槻は彼女と付き合うようになりそれでも3人の親密な関係は彼らが結婚したあとでもずっと続いていた。
高槻と小夜子の間に沙羅という娘が生まれるが、程なくして高槻の不倫が原因で2人は別れてしまう。
高槻は淳平に小夜子と一緒になることをすすめるが・・・。
3、この作品に対する思い入れ
これまであまり一貫したテーマもなく書かれていた村上春樹の短編小説集。
『神の子どもたちはみな踊る』では初めて「阪神淡路大震災」という現実に起こった災害との関わりをテーマにして連作短編が書かれました。
物語の語られ方は、ファンタジーあり、ちょっと不思議な話があり、遠い過去に置き忘れてきたような切ない話がありと、いつもながらの村上春樹の短編でしたが、全てがひとつの災害に繋がっているという点がとても印象的でした。
4、感想・書評
前項でも書きましたが、『神の子どもたちはみな踊る』という短編集は現実に起こった阪神淡路大震災につながる連作短編集であり、第2次世界大戦の満州での出来事を重要なエピソードとして描いた『ねじまき鳥クロニクル』に続き、現実に起こった事件を大きくクローズアップした作品でありました。
この時期の村上春樹の作品によく言われたのが「デタッチメントからコミットメント」であり、これまでどこか浮世離れした物語を描いていた村上春樹が現実世界にコミットした物語を描き始めたことで話題になりました。
1994~1995年に刊行されたのが『ねじまき鳥クロニクル』で、この時彼はアメリカに住んでいたのですが、そのあと日本に戻り、1995年1月に起こった「阪神淡路大震災」と同年3月に起こった「地下鉄サリン事件」という日本の歴史に残る大きな2つの事件に遭遇します。
この2つの事件が村上春樹に、彼の作品の在り方に与えた影響は大きかったのではないでしょうか?
1997年、突如として出版された「地下鉄サリン事件」の被害者にインタビューしたノンフィクション作品『アンダーグラウンド』の存在が、彼の衝撃の大きさを物語っているように思います。
1998年に「地下鉄サリン事件」を引き起こしたオウム真理教の信者へのインタビュー集『約束された-underground2』が刊行されて、2000年に『神の子どもたちはみな踊る』が刊行されました。
「阪神淡路大震災」が起こった1月と、「地下鉄サリン事件」が起こった3月。
6篇の短編はいずれもその間の2月に起こった出来事で、2つの大事件の間に描かれているというところがなんとも意味深いですね。
『アンダーグラウンド』でオウム真理教が生み出した「悪意」に侵食されて損なわれてしまった人たち。
村上春樹は必ずしもサリンで重傷を負った人だけではなく、違う車両に乗っていて直接的な被害には遭っていない人たちにもインタビューをしていました。
「地下鉄サリン事件」のノンフィクションを書くことで、日常の中に沁みだすように突如表出する悪しきもの。
そんな悪しきものの存在の片鱗を『神の子どもたちはみな踊る』の中で表現したのではないかと思います。
形がなく、夢や想像など、朧げな形を取って人々をどこか暗いところに引き摺りこもうとする禍々しい何か。
『ねじまき鳥クロニクル』でもワタヤノボルという「悪」が存在していましたが、『神の子どもたちはみな踊る』でその片鱗を描き、それ以降の長編に登場する「悪」は不確かでとらえどころがなく、それが故に不気味で暗示的な存在として登場していたように思います。
ジョニー・ウォーカー、リトルピープル、スバルフォレスターの男など、どこか定まった形を持たずに、意図がわからない原始的な悪意や不運の象徴のような存在。
『神の子どもたちはみな踊る』でも、小村が運んだ箱の中身、三宅がみる悪夢、みみずくん、地震男などがそれら悪しきものの片鱗として描かれていたのだと感じました。
物理的にも、精神的にも遠い場所で起こった大きな災害が、やがてさざ波のように海辺に押し寄せて海辺に佇む誰かの足を捕らえて、その混沌の海原へと引きずり込もうとする。
6つの物語の登場人物たちにとって「阪神淡路大震災」は距離的にも遠く、誰か近しい人が亡くなったわけでもありませんでした。
しかし、巨大な災害と不幸がこの国に生きる多くの人々の心をどこかに闇を作り出し、仄暗い暗渠の中で蠢いているのが見えるようでした。
①UFOが釧路に降りる
5日間ぶっ続けて「阪神淡路大震災」のニュースを見ていた妻が突然いなくなってしまう。
「ここには2度と戻らない」「あなたが私に何も与えてくれないから」と書置きを残して。
深く愛し合っていたはずの夫婦ですが、妻の心の中にどのような変化があったのでしょう?
どういった経緯かはわかりませんが、震災が起こした圧倒的な破壊と負のエネルギーが触媒となって、これまで彼女の心の奥底に沈んでいた何かを、引きずり出してしまったのではないでしょうか。
シマオの存在はどこか小悪魔のようで、小村は翻弄されます。
箱の中身は小村の中身が入っていて、彼は空っぽになってしまっているという言葉は残酷であり、どこか示唆的でもあります。
「でもどれだけ遠くまで行っても、自分自身からは逃げられない」
ともシマオは言いますが、20代の女性とは思えないような老成した言葉ですね。
最後の言葉といい、別の何かが彼女に成り代わっているかのようにさえ思えてきます。
「でもまだ始まったばかりなのよ」
なんとなくこの一言にゾワッときました。
②アイロンのある風景
ジャック・ロンドンという作家は実在して、「たき火(To Build a Fire)」という短編小説も存在するみたいですね。
いや、よくこんなマイナーな小説を知っていますよね、村上春樹は。
しかし、たき火を描いた小説といえばコレ!!っていう感じの作品でもあるみたいですね。
まぁ、そんなにたき火を描いが作品は多くはないでしょうが・・・。
流木を集めて不定期に海辺でたき火をする三宅と、そんな彼にどこかシンパシーを感じる順子。
啓介も含めて3人ともこの地で生まれた人間ではなく、海岸に打ち上げられた流木みたいになんとなくこの茨城県の海辺の街に集まってきました、なんかこの寄る辺ない寂しさみたいな感じが好きです。
三宅は何に追われて繰り返し悪夢を見ているのでしょうか?
遠い神戸の地に棄ててきた家族。
何かの身代わりのように描かれるアイロンであってアイロンでないもの。
「予感というのはなある場合には一種の身代わりなんや。ある場合にはな、その差し替えは現実をはるかに超えて生々しいものなんや。それが予感という行為のいちばん怖いとこなんや。そういうの、わかるか?」
ジャック・ロンドンは暗い海で溺死する予感を抱きながら、モルヒネを飲んで自殺しました。
彼の予感は外れたのでしょうか?
そうではなくて、彼は自らの絶望の海で溺れ、精神を病んで薬物で半狂乱になって自殺するという生々しい現実の差し替えのなかで、自らの予言を成就させたのでしょう。
三宅が恐れているのはそういった差し替えであり、彼の絵画はそういった恐怖への抗いや一種の魔除けなのかもしれません。
『1Q84』への連なりも感じさせるような宗教2世の問題について語られている作品。
物心ついた時から善也には母しかおらず、父親は宗教の神である「お方」だと教えられていました。
まさに神の子。
善也は棄教し、母親を落胆させますが成人して就職しても母親のもとから離れることができずに、自らのアイデンティティの確立を心の奥底で模索していたのではないかと思います。
父なる存在の不在。
これまでの村上春樹の作品では主人公自身の家族が描かれることがほとんどありませんでしたが、この短編では母親との分かち難い関係が描かれ、父なる存在に対する憧憬が描かれていました。
この短編小説のあとに刊行された長編小説『海辺のカフカ』での父なる存在とその殺害に連なるような作品であったと思います。
父らしき姿を見かけてそのあとを追った善也はその行為に何を求めていたのでしょうか?
それは自らのルーツや繋がりを確かめることではなく、自分の心の中の「暗闇の尻尾」をより深い暗闇に放ることでした。
彼は父の不在、神の不在を確かめることで、彼の心の中の弱くて後暗い部分を捨て去ったのではないでしょうか?
それは、ある意味ではひとつの父殺しであったのかもしれません。
さつきと二ミットの交流が心に響く作品でした。
さつきはタイで休暇を過ごしながら、神戸に住んでいるはずの「あの男」が地震で命を落としていることを切実に願います。
それこそが長い間、自分が望んできたことだとまで言い切る強い憎しみ。
二ミットが引き合わせた不思議な老婆に彼女の強い憎しみは見透かされて、体内にある石として彼女に伝えられます。
老婆は「あの男」が死んでいなかったことが彼女にとって幸運だと言いますが、何故なのでしょうか?
それは呪いの成就と、その見返りについてのことだったのかもしれませんね。
人を呪わば穴二つ。
呪いは必ず自らにも跳ね返ってきます。
最後の二ミットの生きること死ぬことへの話がとても印象的で、村上春樹がずっと初期から作品の根底に持っている死生観を表現しているように感じました。
生きることとと死ぬことは、ある意味では等価なのです、ドクター。
⑤かえるくん、東京を救う
ファンタジー全開の作品。
いや、よくこんなの思いつくなぁ。
東京を大地震から救うために、地下のみみずくんと戦う、かえるくん。
『すずめの戸締り』を観て、大地震を起こすのが地中のミミズというところで新海誠監督への村上春樹のマージュを感じた村上主義者の方は多かったのではないでしょうか(笑)
しかし、勝利したかに見えたかえるくんは、最後に無残な姿に・・・。
彼を蝕んで食い尽くしたのは虫たちでした。
その虫たちとはかえるくんが内面に抱えていた闇そのものであったのかもしれません。
「目に見えるものが本当のものとはかぎりません。ぼくの敵はぼく自身のなかのぼくでもあります。ぼく自身の中には非ぼくがいます」
難しいですが、自身の存在を否定し、破壊してしまうような何か。
『スプートニクの恋人』で現れたもうひとりのミュウのような、ALETER EGOが悪しき何かに感応して暴走し、やがては自らを食い破ってしまう・・・。
かえるくんを蝕んで破壊したものはそういった存在だったように思えました。
⑥蜂蜜パイ
夏目漱石『こころ』などにもみられる古典的な男女の三角関係。
小夜子を高槻に奪われて衝撃を受けながらも、2人に寄り添い続けた淳平。
悲しい恋の物語でもありますが、とても優しく穏やかな話ですね。
淳平が沙羅にしてあげる熊の話も心温まります。
しかし、小夜子とようやく結ばれようとしていた淳平の前に何かの警句のように姿を現したのは沙羅でした。
彼女を母親の寝室に導いたのは夢の中に現れた地震男。
彼は沙羅を起こして小夜子にこう言うように伝えます。
みんなのために箱のふたを開けて待っているから
震災が少女の心に生んだ闇。
不吉な言葉をかける地震男ですが、そういった悪しきものたちから2人の女性を守ることを淳平は誓うという、最後に希望を感じさせるようなラストでした。
短編小説集の最後にこういった光を感じるような作品を持ってきたのは、村上春樹が最後に希望を提示したかったからなのかなと思いました。
5、終わりに
改めて読んでみると、実際に起こった歴史的な時間に呼応するように人々が感情を喚起させる様や、その大きな負のエネルギーが共鳴し生まれる悪しきものが描かれていて、とても興味深い短編小説集でした。
どの短編も味わい深く示唆に富んでいて読み応えがありましたね。
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