恥の多い生涯を送ってきました。
・・・。
冒頭からネガティブマックスですが、僕の人生の中でも指折りの印象的なエピソードを語りたいと思います。
このエピソードは1人の少年の挫折であり、冒険であり、失敗談でもあります。
今夜もくだらなくも失笑の絶えない私の傷だらけの自叙伝。
ここに開幕でございます。
☆ボーイスカウト(カブスカウト)に入隊してキャンプしまくってた話☆
はい、小学3年生からボーイスカウトのちびっ子隊のカブスカウトに入隊していました。
友達とノリで入ったんですけど、キャンプしくったり、恩田陸『夜のピクニック』みたいに夜間ハイクしたり、お祭りでお店をやったり、赤い羽根の共同募金をしたりとそれはそれは沢山の得難い経験をさせて頂きました。
あっ、ボーイスカウトだけで記事1本行けそうやな(^O^)
特にキャンプは楽しかったですね~♪
キャンプファイヤーしたり、飯盒でご飯炊いたり、テントで寝たりとかアウトドアを満喫しまくってました。
愛媛は自然に溢れまくっているので、チャリで現地集合してキャンプとかしてましたね~。
夏は海や川で泳いだりとかして、いやー本当に楽しかったなぁ。
カブスカウトに入隊して間もなくだったでしょうか?
僕が生まれた市が主催する「無人島10泊11日サバイバル体験」なる企画のビラが小学校で配布されました。
カブスカウトの友達達と面白そうだから応募してみようぜーってな具合で軽いノリで応募してみました。
確か3~4人で応募したと思います。
無人島で11日もサバイバルするとかキテレツな企画でしたが、応募が殺到したらしく抽選で参加希望者がふるい落とされました。
そして・・・。
そうです。
何故か・・・。
応募した友達の中から僕だけが受かったのです。。
こんなとこで運を使わなくても良かったのになぁ・・・。
1学期が終わり、長い夏休みが来ました。
そして、僕は無人島へと旅立ったのです。
待ち受ける過酷な試練も知らないで・・・。
☆無人島に行く前の研修☆
無人島10泊11日と銘打ちながらも、実は2泊3日は宿泊研修施設で過ごしました。
ですので、無人島で過ごしたのは実質8泊9日になります。
詳しくは覚えてませんが、この研修期間は快適で楽しかったと思います。
無人島ツアーに参加する子供は多分50人とかで、6人とかの班に分けられて大人の指導員が1人付くみたいな感じだったと思います。
年齢は小学4年生~中学1年生とかだったでしょうか。
僕は当時小学3年生だったのですが、何故か最年少で選ばれていました。
宿泊研修の時はただただ楽しかったですね。
班のリーダーの中学生にも気に入られて、和気藹々とやってました。
そして、班員と打ち解けたころ漁船に乗って無人島へ向かいました。
その島の名前は「彼岸島」ではなくて、御五神島といいました。
僕達は意気揚々と船に乗り込みました。
その先に待ち受ける苦難の日々を知らずに・・・。
8月の太陽は強く照りつけ、空はどこまでも青かったです。
潮風を体いっぱいに浴びながら僕達は無人島に上陸しました。
☆便所は手作り、水は沸かせないと飲めない、過酷な日々・・・☆
記憶を掘り起こしていて、本当に小学生がこんな過酷な体験をしたのかと訝しく思うほどの苛烈さでした。
島についた僕達は、まず班ごとに分かれて住処となるテント立てます。
その後9日間過ごすことになる住居です。
いや、テントで9日間とか考えただけでもヤバイですね。
そして、男子を中心にトイレ作りが始まりました。
もちろん無人島にトイレなんてないので、穴を掘って、草で蓋をして、防臭剤みたいなのを撒きました。
うーん、サバイバルって感じですねぇ。
そのようにして無人島の生活が始まりましたが何が一番辛かったか・・・。
それは水でした。
1日1回の定期便で陸地から食料や水が送られてくるのですが、水の量が限られていて、しかも一度煮沸しないと大腸菌が発生する恐れがあるとのことですごく手間な上に真夏に生ぬるい水を飲まねばなりませんでした。
1日に1人あたりに与えられる水が小さい水筒一つ分。
・・・。
いや、真夏の8月ですよ!!
死ぬやろ!!
脱水症状になるやろ!!
今考えるとヤバいですが、その少ない水でなんとかやりくりしてました。
ホント、水が飲みたくて辛かったですね。。
無人島で何を食べたかはあまり覚えてないのですが、水が十分に飲めなかったのはガチで辛かったですね。。
☆クモやバッタを食べる、野宿してやぶ蚊にさされまくる☆
自給自足の日という日があって、自分たちで食材を取ってきて食べるという日がありました。
朝食は小麦を使ってパンを焼いたような気がしますが、昼と夜はほとんどロクなものが食べられなかったような気がします(>_<)
他の班の人たちは、クモやバッタを食べていました。。
クモってチョコレートみたいな味がして以外に美味しいみたいですよ♥
本当は初日に捕まえた野性のニワトリをバラして食べる予定だったのですが、途中で情が沸いてきたこともあり食べられませんでした。
って、この歳の子供達が鳥を殺して食べるとかトラウマレベルの体験ですよね(^^;;
この時に空腹になりすぎて嘔吐してしまい、出るものが胃液しかないという経験をしました。
そして、数十年後に泥酔したあとに何度も胃液を吐くことになりますが、それはまた別の話ですね。
自給自足の日の後には、野宿の日があり野営をして野宿をする日がありました。
そのへんの竹やぶで簡易的な小屋みたいなのを作ったのですが、やぶ蚊が集まってきて刺されまくって結局海辺でごろ寝をしました。
ほとんど眠れませんでしたが、この日は何かの流星群が流れる日だったみたいで、一晩中流星が流れていたと思います。
もうこのへんから体力もメンタルも限界で、人生最初で最後のホームシックにかかりました。
もう、マジで辛くて帰りたかったです。
☆体調を崩して熱発、そして班内でハブられる☆
脱水なのか、過酷な生活のせいか僕は熱を出して寝込んでまいました。
島には看護師もいて、治療のお陰ですぐに回復しましたが、この時のことがキッカケで班内でハブられるようになりました。
他の班員もストレスが溜まっていたのでしょう。
キッカケはささいで、バナナは食べたのにサラダは残したとかそんな感じでした。
それに僕がその当時割と生意気な性格だったのも災いしました。
過酷な生活+ハブられるストレスはハンパなくてめちゃくちゃ辛かったです。
でも、楽しいこともあって海で泳いだり、漁船で船釣りをしてめちゃくちゃ大きな魚を釣ったりしました♪
☆最終日の宴!!サラバ無人島!!そしてクラスで嘲笑される☆
最終日はお祭りでした♪
キャンプファイヤーをして皆で出し物をして、屋台を出したりして食べ物をたらふく食べたり。
それまでの鬱憤を晴らすように食べまくり、遊びまくりました。
それに何といっても明日には帰れるというのが嬉しかったですね!!
それほどに無人島の毎日は辛いものでした。
帰ったら絶対にジュースをたらふく飲んでやるって心に決めてました。
解散場所から家に帰るまでの道のりを未だに覚えています。
これでようやく水がたらふく飲めるってウキウキでした!!
今でも辛いことがあるとこう思います。
「確かに今は辛いかもしれない。でも、今は少なくとも水はたらふく飲めるだろう?あの時は水だって満足に飲めなかったけど、なんとか乗り切ったんだ。大丈夫、今度も乗り切れるよ」
辛い思いをするのも決して無駄ではないと思います。
あの時も乗り越えたんだから今度もやれるって思えますしね♪
って、綺麗に終わると良かったのですが・・・。
この話に後日譚がありまして・・・。
無人島から帰ったあとに、友達から「無人島行っててすごいね!!どうだったの!!」とか言われて、ついつい大変だったけど俺はやりきったぜ的なテイストで話してしまったのですよ。。
そしたら、この時にNHKのカメラが入っていてTVで放送されることになったのですよ・・・。
そして、授業中にクラスみんなでヒロの無人島の冒険を観ることになりましたが、そこには寝込んでしまった軟弱キャラのワイが写っていました。。
「おいおい、冒険してきた風に言ってたけど寝込んでんじゃん!!」とかめっちゃイジられました。。
おのれNHK!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
ええ、恥の多い生涯を送ってきましたよ。
それから、僕についたアダ名を聞きたいですか?
もうおわかりでしょうよ・・・。
それから、しばらくアダ名として呼ばれた・・・。
僕の名前はぁ、名前はぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!!!!!
無人島。
この日から僕あだ名は無人島になったのです。
おあとがよろしいようで・・・。