1、作品の概要
1998年に出版された森絵都の6作目の小説。
第46回産経児童出版文学賞 受賞。
2000年に実写映画化。
2010年にアニメ映画化している。
2、あらすじ
「ぼく」は死んであの世に行く途中、天使のプラプラに半ば無理やり誰か別の体に魂を移され生き直し(ホームステイ)させられることになる。
本来、生前犯した罪で輪廻から外されるところだったたが、ボス(神様)の意向で再挑戦のチャンスが与えられるとのこと。
自殺した中学3年生の小林真の身体にホームステイした「ぼく」は、自殺の原因になった母親の不倫、父親の下劣な人間性の露呈、片想いしていたひろかがおじさんとラブホテルに入る場面を目撃を知り、家族との溝を深める。
無愛想で、攻撃的な兄とも犬猿の中だった。
しかし、僕は公園でリンチされたり、受験に向かう中で悩んだりして日々を過ごす中で家族のカラフルな想いを知り、真が死を早まってしまったことを思い知る。
自分がこのまま真の身体に留まり続けていいのか?
やがて、「ぼく」は自らの死の真相を知り、運命の時を迎える・・・。
3、この作品に対する思い入れ
twitter、FBなどで絶賛されていたので読んでみました。
会話が多くて、物語のテンポも早く一気に読みました。
生きることの意味と、そのかけがえのなさ。
白と黒だけではない、この世界に生きる人々のカラフルな想い。
この世界は色づいてカラフルに輝いています。
とてもとてもあざやかに。
春風のように爽やかな読後感。
森絵都は、児童文学のかたみたいですが、息子たちにも読ませたい一冊だと思いました!!
4、感想・書評(ネタバレありありあり)
①借り物の体で生きる
序盤は、SFっぽいストーリーよろしく天使と会って小林真の身体に入り、生き返る。
それから、小林真の生活に順応していく話です。
会話が多く、ストーリーのテンポも良くてとても読みやすいです。
文体も平易でひらがなも多く、とにかくわかりやすく読みやすいです。
ガイドの天使「プラプラ」との掛け合いも軽妙で、漫才のようでくすりと笑ってしまいます(笑)
ただ、順調に順応しているかのように見えた家族との関係ですが、「ぼく」は裏にある薄暗い闇を聞かされ、また自殺の原因の大半が両親にあると聞かされて、家族とギクシャクし始めます。
んー、でも中学3年生だったらこれぐらい反抗して当然ですよねー。
ウチの長男(小学6年生)も「死ね!!」とか、「ばばあ!!」と言いますわ。
まぁ、「死ね」はイカンので厳しく言いますが、反抗期でエネルギーを発散するのは極めて正常なことですよね。
もしかしたら、真はそれもなかなか表に出せない人間だったのかなと伺えます。
家族にすら、遠慮して本音で関われないのは苦しいことだと思います。
クラスでの立ち位置も、変わり者扱いされてたようで、「ぼく」は真の心の闇も追体験していきます。
②家族への憎悪と和解
家族と溝が深まり、愛人してお金を稼いでいるひろかを救いだすこともできず、自暴自棄で公園で野宿した「ぼく」はリンチされて、お金とスニーカーも盗られた挙句に怪我をして高熱で寝込むふんだりけったりの状態になります。
お見舞いに来た唱子に「ぼく」は想いをぶつけます。
なのに、あんたをふくめて、いろいろ決め付けるから・・・、極端に美化したり、変わり者だって決めつけたりするから、あいつはきっと身動き取れなくなっちゃたんだよ。それだけ。
「ぼく」なりに真の置かれた境遇と、周りの人間の態度を見て感じて思ったことだったのでしょう。
そして、それは自己を客観的に見られる「ホームステイ」の状況だったからこそ至った気づきだったのではないでしょうか?
よく使われる「自己を客観視する」という表現に僕は否定的です。
自己は客観視できないんじゃないかと思ってます。
自我はどこまでも意識を支配していて、客観視することを決して許しません。
ゆえに人生は物語のように現実から乖離して、あくまで主観のものになっていくのではないかと思います。
僕は特にそれが悪いこととは思いませんし、主観が作り出す事実とは乖離した物語としての人生を聞くのが好きです。
っていう、話をそのうちブログで詳しく書きたいです。
なので、真(実は「ぼく」自身のわけですが)の人生を客観的に見て何が問題だったのか、真はどう振る舞うべきだったのか?を考えることができたのは大きかったのではないでしょうか。
普通の状況なら決してできない状況、角度で自分を見ることができたのです。
物語の序盤で、「あれ、ぼく=真なのかな?」と思いましたがあまりにも性格が違うので、ああやっぱり違うのかーって思いましたが、この性格の違いは自分を客観視したことと、ホームステイの気楽さ故の違いだったのだと思います。
③それぞれのカラフルな想い、このかけがえのない世界で
「ぼく」は早乙女くんと友人になり、学校でつるむようになります。
中学校で初めての友人。
一緒に教室を移動すること、勉強したり、遊んだりすることそんな普通の友人関係にありがたみを感じます。
そして、母親の想いを手紙で知り、父親とドライブして今まで知らなかった父親の仕事のことと母への想いを知り、不器用な兄の不出来な弟への想いを知ります。
真を死に追いやったと思っていた家族の醜悪さ。
しかし、それは物事の一側面に過ぎず、愛情に満ちた一面もあることを「ぼく」は知ったのでした。
人間性や、感情といったものは決して単色では有り得ず、綺麗なものも、汚いものも一体に混じり合っておびただしい色のグラデーションになってキャンバスを塗りつぶしていきます。
もし、キャンバスに名前を付けるとするなら、人はそれを人生を呼ぶのでしょう。
そういった清濁が混じり合ったカラフルでおびただしい色たち。
僕は、川を思い出しました。
綺麗なものも、汚いものも混じり合いながら海に向かっていく川。
流れていて、淀むことなくやがては海に還ります。
「あなたはあの世界にいなければならない」
ぼくはうなずいた。そう、ぼくはあの世界にいなければならない・・・。
ぼくは瞼の裏にぼくを待つ人たちのいる世界を思い描いた。
ときには目のくらむほどのカラフルなあの世界。
あおの極彩色の渦にもどろう。
あそこでみんなといっしょに色まみれになって生きていこう。
たとえそれがなんのためだかわからなくてもー。
ここの部分の文章がとても好きです。
世界は単色ではなく清濁併せ持ち、美しくも醜くも混沌としてカラフルに色づいています。
美しいことだけではなくて醜いこともあってその二つが混じり合って成り立っている世界。
渋谷の街みたいだと思いました。
混沌としていたずらにパレットの絵の具を塗りつけたみたいな。
その生々しさ、油絵のぎらぎらした感じがまさに人生のようで、僕達はその色の奔流の中を生きていくのでしょう。
5、終わりに
自殺を扱った生き直しの物語と言えば、平野啓一郎の『空白を満たしなさい』が真っ先に思い浮かびます。
複雑で謎に満ちていて、生きる意味を深く問うた作品です。
『カラフル』はもっとシンプルでストレートな作品でしたが、自分を客観視してホームステイのように気楽に生きるという姿勢が印象的でした。
もし、生まれ変わりがあって、現世が輪廻転生の繰り返しなら、今世はホームステイみたいなものなのだから、もっと気軽に生きてみてもいいのかもしれませんね(^O^)
でも、まぁ死んだらどうなるかは丹波哲郎ぐらいしか知らないのですが(^_^;)
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