ヒロの本棚

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【本】中上健次『枯木灘』

1、作品の概要

 

枯木灘』は、中上健次の長編小説。

芥川賞を受賞した『岬』の続編として刊行され、『地の果て 至上の時』を含めて3部作として構成された。

第31回毎日出版文化賞、第28回藝術選奨新人賞を受賞。

『文藝』に1976年10月号~1977年3月号に掲載された。

文庫版で371ページ。

番外編『覇王の7日』、著者あとがき『風景の貌』を収録。

紀伊を舞台に、土地と血脈の呪縛に翻弄される人々の運命を描いた。

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2、あらすじ

 

秋幸は、母・フサと血の繋がらない父親の竹原繁蔵と暮らしていた。

26歳になり、体も大きく逞しくなった秋幸は土方の現場監督としてがむしゃらに働き一目置かれるようになっていた。

仕事も順調で、紀子という将来を誓った恋人もいたが、実の父親である浜村龍造の呪縛に苦しめられる秋幸。

紀伊地方の狭い町の閉塞感、血脈の呪い。

義兄・郁男の自死に、殺人、放火などの事件が、暗い秘密を抱えた秋幸の病んだ魂に呼応していく。

 

 

 

3、この作品に対する思い入れ、読んだキッカケ

 

枯木灘』は僕が読んだ3冊目の中上健次の作品になります。

『岬』を読みたかったのですが、図書館になくて『枯木灘』を読んだのですが、3部作の2作目で『岬』が1作目だったので読む順番を間違えてしまっていたのですが、気付かずに読了後にその事実を知りました(;^ω^)

それでも『枯木灘』だけで読んでも違和感なく、かつ圧倒的なスケールと鮮烈な感性で読むものを魅了するような素晴らしい物語でした。

 

 

 

4、感想(ネタバレあり)

①閉塞された土地での物語

枯木灘』は『紀伊熊野サーガ』とも称される3部作の2作目の作品であることもあり、紀伊地方のある場所についての小説になります。

狭い町での土着の物語。

中上健次私小説的な作家で、自らの出自や体験をなぞらえたような話が多いですが、『枯木灘』でもそういった私小説的な匂いが強く出ているように思います。

 

舞台になるのは紀伊半島の先っぽの田舎の町で、平地がほとんどなく海と山に挟まれたような小さな町・和歌山県新宮市です。

僕が住んでいた町も同じような感じで、海と山がほとんど道路1本分挟んで面しているような地形が多く見られていました。

愛媛と和歌山がみかんの産地であるのも、平地がないことで田畑を作りずらく山の斜面で栽培できるみかんを作るしかなかったということもあると思います。

気候も温暖ですしね。

 

海へと繋がる川があって、地方ならではの閉鎖的な環境で人々の噂が飛び交っているようなそんな小さな町。

田舎って人間関係が密で温かいところもありますが、密すぎて窮屈になることがあります。

秋幸が、誰かの視線を感じながら行動していたのもそういった田舎の閉塞感、監視されているような密な共同体の在り方を表現しているように感じました。

 

そして秋幸が自らのアイデンティティを求める中で辿り着いた答えでもあった「路地」ですが、複雑な家庭環境で竹原の姓にも違和感を感じ、かといって「あの男」の姓・浜村を名乗ることにも強い嫌悪感を感じる。

路地で生まれ育った路地の秋幸と名乗ることが、一番自分が自分らしくあれる出自の在り方だというように描かれていました。

この「路地」とは被差別部落のことであり、土地開発で不要なものとして排除されようとする「路地」を守り、自らの生まれ故郷を守りたいと考える秋幸の存在証明の象徴として描かれているように思いました。

言ってみれば秋幸はその路地が孕み、路地が産んだ子供も同然のまま育った。秋幸に父親はなかった。秋幸はフサの私生児ではなく路地の私生児だった。私生児には父も母も、きょうだい一切はない。そう秋幸は思った。

 

②鮮烈な感性で描かれる自然と人間

枯木灘』はただ土地と血脈の呪いを描いた作品なのでしょうか?

この作品だけではなく、中上健次の作品では暗く凄惨なできごとが描かれながらも、鋭い感性が捉えた情景が瑞々しく描写されています。

土方をしている秋幸は額に汗しながら、自然の中で一心不乱に体を動かします。

紀伊の自然の中に溶け込み生きる時間を、秋幸は剥き出しの感性でその喜びを表現します。

呼吸の音が、ただ腕と腹の筋肉だけのがらんどうの体腔から日にあぶられた土のにおいのする空気。めくれあがる土に共鳴した。土が呼吸しているのだった。空気が呼吸しているのだった。いや山の風景が呼吸していた。秋幸はその働いている体の中がただ穴のようにあいた自分が、昔を待ち今をもってしまうのが不思議に思えた。

 

繊細で流麗な表現ではなく、荒々しく鮮烈な感性。

豪快な筆致で半紙いっぱいに書を綴る書道家みたいに。

そんなイメージが伝わってくるような情景描写でした。

 

愛憎相半ばする。

そんな言葉が浮かんできましたが、秋幸が中上健次が自らを生んだ土地に抱いていたのは、そんなアンビバレンツな感情だったように思います。

 

③血脈と繰り返される惨劇

とても複雑な血縁関係。

巻末に登場人物系図なる表が出てきてちょっと笑いましたが、途中でこんがらがりそうでした。

狭い土地での狭い関係性。

その鬱屈した人間関係が血で血を洗い流すような惨劇を生み出したように思います。

 

秋幸の義兄の郁男の自死、美恵の夫で実弘の弟・古市が義弟の安男に刺殺されたり。

血族だけではなく、町では自死や不審火も多く、どこか全体に暗い雰囲気があり、住んでいる人間もどこか疑心暗鬼になっているように思います。

 

そして、秋幸の実父・浜村龍造。

蠅の王、あの男など様々な名称で秋幸が心の中で呼びかけていますが、強く執着して五感全部でその存在を意識しているように思います。

これが東京みたいな大きな街だったらお互いにその存在を意識することもなかったのでしょうが、狭い町内で偶然に顔を合わす機会もあり、否が応でもお互いを意識せざるをえませんでした。

 

そして秋幸は、血の繋がった異母兄妹のさと子と交わりますが、その行為はあの男への復讐だったのでしょうか?

自らが為したことの、その地獄を具現化して突きつけるために。

そのためにあえて秋幸はさと子と交わります。

 

ラストで起こってしまった惨劇。

本当に事故としか言いようのない衝動的な事件でしたが、それでもやはりその惨劇に向かっていくつもの事柄が逃れようもなく一直線に向かっていっていたような気がします。

突発的なアクシデントでありましたが、実は定められたレールを辿るようにひとつひとつの線が運命的に繋がっていった末の出来事であったかのように思えました。

 

 

 

5、終わりに

 

枯木灘』は僕が読んだ3冊目の中上健次の作品でしたが、息苦しいまでの土地と血脈の呪いに彼の小説の真髄とそのひとつの結実を見たような思いでした。

これほど生まれた土地と、自らの生い立ちを文学として昇華させた私小説を僕は他に知りませんが、どこか血を吐くように書いているような暗い情念を感じさせるような作品でした。

読後に知ったのですが、中上健次はバッハのブランデンブルク協奏曲を聴きながらこの作品を書いたみたいで、ブランデンブルクを聴きながらぜひ読んでみた下さいみたいなことを言っていたみたいですね。

再読の機会があったらぜひそうしてみたいですね!!

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