1、作品の概要
『キリエのうた』は、2023年10月13日に公開された日本の映画。
原作小説は同名の『キリエのうた』で作者は岩井俊二。
監督・脚本を岩井俊二。
主演はアイナ・ジ・エンド。
上映時間は178分。
音楽を小林武史が担当。
主題歌はKyrie「キリエ・憐みの歌」でアイナ・ジ・エンドが作詞作曲、歌唱を担当している。
4つの街を舞台に13年の時を経て変転する4人の男女の運命。
2、あらすじ
2023年東京。キリエ(アイナ・ジ・エンド)は東京の街で路上で弾き語りをしていて、彼女の歌に惚れ込みマネージャーを買って出る謎の女性イッコ(広瀬すず)に出会う。
イッコの正体は高校生の時の友人の真緒里で、彼女のプロデュースの甲斐もありキリエの路上ライブはネット界隈でも評判になっていき、多くの客を集めるようになっていった。
2018年帯広。高校生だった真緒里(=イッコ)は、家庭教師の夏彦(松村北斗)に勉強を教えてもらっていて、彼の妹だという路花(=キリエ)と出会い仲良くなる。
受験に合格した真緒里は3代続くスナックで働くことを拒み東京の大学に進学しようとするが・・・。
2011年大阪。ボロボロのランドセルを背負って喋れなくなってしまった少女・路花を保護した小学校教師・風美(黒木華)はインターネットを通じて、彼女の姉を探す夏彦に出会うことに成功する。
夏彦が語り始めたのは路花の姉・希(きりえ)との恋愛と、その命が津波によって奪われるまでの顛末だった。
物語は複雑に絡み合いながら再び2023年東京。
キリエは、姿をくらませたイッコが結婚詐欺師として指名手配されていることを知るが・・・。
3、この作品に対する思い入れ、観たキッカケ
大好きな映画監督・岩井俊二の新作ということで観に行きました。
事前予告ではそこまで強く惹かれるものはなかったのですが、劇場で観てキリエのうたの迫力に圧倒され、スケールの大きな物語に没入しました。
ほぼ3時間の上映時間ということで気合を入れて行きましたが、あっという間でで長さも感じずにどこかまだ観続けたいような、映画の世界に浸っていたようなそんな気持ちにさせられるような映画でした。
4、感想
この映画。
たぶんそれほど話題にならないし。
何なら酷評される予感がする。
けど。
僕はとてもとても好きな映画で。
できたらたくさんの人に観て欲しいなぁって、思う映画です。
映画とか、小説とか。
いいなって思った作品を観たあとって、魂が半分くらい体に帰ってこない気がする。
たぶん半分になっている。
脳みその中は、気になっているシーンが延々とリフレインされいて、ユーミンバリにリフレインが叫んでる。
それが音楽が絡んでいたらもう重症。
視覚も聴覚もすべてすべて。
どこか遠くに行ってしまう。
だから。
僕は大半をぼんやりとした人間として過ごしているのかもしれない。
でも、なんだろう。
自分の魂を。
五感を。
そこまで遠くに連れて行ってくれる。
そんな体験は本当に素敵で。
ノードラッグで、ノンアルコールでこんなにも遠くまで飛べるなんて。
前置きが長くなりましたが、僕の魂は今日もだいたい半分くらい不在です。
『キリエのうた』を観てから石巻とか、大阪とか、帯広とか、東京とかにいってしまっていて。
ええ、困ったものです。
この映画はたぶん刺さる人には刺さる的な映画なのかもしれません。
でもでも、たくさんの人に観て欲しいと強く思うような「なにか」を持った映画だと思います。
音楽が伝えられるなにかと強さ。
運命の数奇さ。
罪。
贖罪。
許しと贖い。
喪失。
再生。
そして。
希望。
それがすべて詰まっている。
物語云々の前に音楽が本当に素晴らしくて歌がずっと物語のキーであり続けていることがとても良かったです。
僕、音楽も歌も好きだから。
キリエが会話はできなくても歌は歌えるっていう設定も良かった。
そこには痛みの記憶があるのだけれども。
キリエのうたを聴いて。
やっぱりCHARAの歌声を、『スワロウテイル』を思い出さないわけにはいかなかった。
岩井俊二監督の作品が好きな人は絶対に思ったし、アイナ・ジ・エンドにCHARAの姿を重ねたと思います。
めちゃくちゃCHARAに似ている歌声をしていたし、かつもっと力強いようにも思いました。
岩井俊二監督は、いったいどうやってこんな化学反応を思いついたのか。
BISHは知りませんが、アイナ・ジ・エンドのことはこれかも追い続けることになってしまいました。
本当にサプライズだし、砂漠から一粒のダイヤモンドを見つけたみたいに彼女の歌と演技はとてつもなく大きな可能性を秘めていると思います。
演技の面では広瀬すずが主演でなくて助演で、このトリッキーな役をやったことが本当に面白かった。
天真爛漫で、正体不明で、でも弱さを持った存在。
たぶんこの映画で一番難しい役どころだったかと思いますがうまく演じていたと思います。
イッコの存在はトリッキーだけど、なんというかこの映画の陰の主人公というか。
大事なポジションにいる人で派手な色のカツラとサングラスもあると思うけど、自分が堕ちて行っている闇は微塵も感じさせないままに天真爛漫に演じていて。
でも、その明るさが逆に何かの欠落を感じさせるような、本当に難しいキャラクターだったかと思います。
ある意味『NANA』のナナとハチみたいな。
そんな2人の女の子の存在が出発点だったのでしょう。
それが多くの人を巻き込んで大きな物語になりました。
『キリエのうた』の物語の本質は、贖罪と赦しだと思います。
キリスト教のミサで歌われるミサ曲。
はじまりはKYRIEから始まります。
キリエ エレイソン。
主よ、憐みたまえ。
夏彦も、真緒里も罪深い存在(少なくとも自分ではそう思ってて)で、実は切実に救いを求めていて。
キリエの歌に何かを感じて、救済を求めたように思います。
そこにキリスト教と聖歌をこの映画にひとふり振りかけて。
13年の時間を越えて求めていたものは、魂の救済。
特に夏彦とキリエのエピソードはとても興味深く。
夏彦は高校生の希(キリエ)との間に子供をもうけて。
でも、若い夏彦は希を本当はそこまで愛していなくて。
そんな折に震災で希がお腹の子供もろとも亡くなってしまって・・・。
夏彦はそこにホッとしている自分を見出して、強い罪の意識を感じています。
彼の演技もとても良かった。
決して希のことが嫌いなわけではないけど。
責任感が強いからこその葛藤ですが、だったらまぁゴムしようねっていう(;^ω^)
贖いようがない罪を犯して。
今はもういない誰かに何かに赦しを請うとして。
わたしたちに何ができるでしょうか?
両手を合わせて祈ること?
2000年以上キリスト教の信仰と共にあった音楽。
キリエのうたがそんな人々の心を癒していく。
東日本大震災で、うまくいかない日常で、傷ついてどうしようもなくさまよっている行き場のない魂たちに対する救済の聖歌がキリエのうただったのだと思います。
5、終わりに
岩井俊二監督の映画が本当に好きです。
なんかよくわからんけど、毎回とても刺さる。
なみだがでる。
『キリエのうた』も強く心を動かされました。
彼にとっての東日本大震災はこれで少しでも昇華されたのでしょうか?
行き場のない想いが今日も中空を彷徨っています。
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