☆坂本龍一の訃報が・・・☆
昨日の夜のこと。
スマホのYahoo ニュースのトップに、坂本龍一が亡くなったとの報せが届きました。
かねてからガンで闘病中との話は聞いていて、危なそうかなとは思っていましたが・・・。
予期していたこととは言え、ショックでした。
亡くなったのは3/28。
3ヶ月前に同じYMOのメンバー高橋幸宏も亡くなって「自分より先に彼が亡くなるとは思わなかった」みたいなコメントを坂本龍一が残していましたが、後を追う形になってしまいました。
享年71歳。
早すぎる死ですね。
偉大な才能の逝去に言葉もありませんが、ご冥福をお祈りします。
結果的に2月にリリースされたアルバム『12』が最後の作品になってしまいました。
これから未発表音源や、追悼盤の発売もあるでしょうが。
12のアルバムのジャケットの裏に記されていた言葉、日記を書くように音のスケッチを録音していったアルバムで「今後も体力が尽きるまで、このような『日記』を続けていくのだろう」と自らの最後を予見するような言葉が書かれていました。
昨年末のオンラインライブも、最後に何かを届けたい、遺したいという強い想いがったのではないでしょうか?
命の灯火を燃やし尽くすような張り詰めて、魂が籠った鬼火のような音でした。
☆坂本龍一のキャリアを振り返る、代表曲☆
彼のキャリアを語る上で、まず日本の音楽シーンを席巻し、テクノミュージックのパイオニアとなった伝説的なグループ『YMO』の存在は欠かせないと思います。
1978~83年のわずか5年の活動期間で解散しましたが、日本の音楽シーンに大きな影響を与え、坂本龍一、細野晴臣、高橋幸宏の3人はYMO以後も輝き続けました。
その中でも一際眩い輝きをはなったのが坂本龍一。
1983年の『戦場のメリークリスマス』の主題歌であり、彼の代表曲となる『戦場のメリークリスマス』の世界的大ヒット。
役者として映画に初出演し、同じく初出演のビートたけし、デヴィット・ボウイらと化学反応を起こして、世界的に高い評価を受けたのは彼のキャリアのハイライトのひとつだと思います。
そんな伝説的な面子を集めて名作を作った大島渚監督はやはり偉大でした・・・。
北野武が、「『戦場のメリークリスマス』の主要メンバーが俺しかいなくなった」みたいなことを言ってましたが、寂しい限りですね。
1987年にも、映画『ラストエンペラー』で主題歌を担当。
日本人として初めてグラミー賞 映画・サウンドトラック部門を受賞しました。
これ以降は映画音楽家として様々な映画の音楽を担当しています。
一方でダウンタウンの音楽ユニット『GEISHA GIRLS』にサトシ・トミイエ、テイ・トウワとともに参加。
いや、今考えるとすげー面子やな!!
ダンスミュージック界のレジェンド達です。
そして、ダウンタウンのコントでアホアホマンを演じたりも(笑)
1999年にはリゲインのCMの『エナジーフロー』がインスト曲としては初めての1位獲得と、ミリオンセラーに。
ええ曲です。
沁みます。
他にも膨大な数の作曲をして、世に送り出してきた坂本龍一。
個人的にヨージ・ヤマモトのファッションショーの音楽を収録したアルバムとか、モーレンバウム夫妻とのボサノヴァアルバム『CASA』とか、近作の『OUT OF NOISE』『async』とかもめっちゃ好きです。
うん、キリがないなぁ。
彼の死は辛いですが、遺された作品は後世まで生き続けることでしょう。
彼が遺した魂の片割れのような音楽作品たちを彼の人生を思いながら楽しみたいと思います。
教授、お疲れ様でした。
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