1、作品の概要
1994年に公開されたフランス・アメリカ共同制作の映画。
『ニキータ』『グラン・ブルー』『ジャンヌ・ダルク』のリュック・ベッソン監督作品。
主演ジャン・レノ、ナタリー・ポートマン。ゲイリーオールドマンらが出演。
主題歌はSTING『SHAPE OF MY HEART』、挿入歌にBjork『Venus as a Boy』が使われている。
殺し屋と家族を殺され復讐を誓う少女の交流を描いた。
2、あらすじ
家族を麻薬組織と、その組織に癒着している刑事・スタンスフィールド(ゲイリー・オールドマン)に殺された12歳の少女・マチルダ(ナタリー・ポートマン)は、アパートの隣室のレオン(ジャン・レノ)の部屋に逃げ込む。
レオンが殺し屋であることに気付いたマチルダは家族への復讐をするために自分にも殺しの技術を教えて欲しいと懇願する。
初めはマチルダを疎ましく思うレオンだったが、彼女の本気に心を動かされて、次第に大人びた彼女の振る舞いに翻弄されるようになっていく。
レオンの「掃除屋の仕事」を手伝うマチルダは殺しの技術のレクチャーも受け、徐々に2人の絆は強くなっていく。
ある日家族を殺した仇・スタンスフィールドを見かけたマチルダは、彼を尾行して復讐しようとするが・・・。
3、この作品に対する思い入れ
20数年前に観て10本の指に入るぐらい好きな映画。
たぶん高校生か大学生の時にビデオでレンタルしたんだったと思いますが、久々に観てあらためて強く惹かれました。
レオンの部屋やファッションのオシャレ感、哀愁を誘うような切ない音楽、ナタリー・ポートマンのハンパない目力と演技、ゲイリー・オールドマンのクレイジーな演技など。
色褪せるどころが新たな魅力を色々と感じました。
4、感想
①ゲイリー・オールドマンのキレっぷり
まずそこからかいっ!!ってツッコまれそうですが、ゲイリー・オールドマン演じるスタンスフィールドのキレっぷりがめっちゃ印象的でした。
思えば『JOKER』のホアキンフェニックスと言い、僕はクレイジーなキレ役が好きかもですね(笑)
リアルでは絶対にお会いしたくないタイプの人間ですが、映画で観てる分にはとても興味深いですね。
スタンスフィールドはマチルダの家族を殺した仇であり、麻薬取り締まり捜査官でありながら白昼堂々お薬キメまくり、ラリりまくり。
実は麻薬組織を裏で牛耳る存在で、横流しにも加担している様子で正真正銘のクソやろうですね!!
実はレオンに殺しを依頼していたトニーの依頼元でもあったスタンスフィールド。
もしかしたらマチルダの家族を殺しに行く役目をレオンが担っていた可能性もあったのでしょうか?
それとも「女と子供は殺さない」というポリシーがあったから依頼が来なかったのかもしれませんね。
女子供も容赦なく殺すスタンスフィールドとは対照的ですね。
スタンスフィールドは頭もキレて用心深く警察組織の中でも一目置かれる存在だったようですね。
マチルダは復讐を果たそうと尾行しますがあっさり見破られ・・・。
扉の陰からコンニチワからのお薬キメキメ(^_^;)
こわぁぁぁ~~~。。
②徐々に縮まっていくレオンとマチルダの心の距離
金のためには躊躇なくターゲットの命を奪う冷酷無比で有能な殺し屋のレオン。
黒ずくめのファッションにサングラスと、とてもクールな出で立ちですが、私生活では飲み物が牛乳だったり、観葉植物が大事なお友達だったりと可愛い一面も垣間見えます。
それまで孤独でシンプルな暮らしだったのが、マチルダという異物が入り込んできたことによって生活が一変。
初めは疎ましく思っていたレオンですが、自由奔放で感情豊かなマチルダに翻弄され、私生活でも「掃除屋の仕事」でも欠かせないパートナーになっていきます。
この辺の描写も微笑ましくて良いですね~。
ただ、観葉植物のことを「俺と一緒で根がない」と言うレオンの態度は、過去に何かを抱えているものがあることを伺わせます。
それに対しての「大地に植えれば根を張るわ」というマチルダの返しが秀逸ですね!!
根無し草になってしまって殺し屋稼業で普通とは程遠い人生を送っているレオンですが、環境さえ整えば平穏な生活を送ることができる。
そういったメッセージにも聞こえますし、ラストシーンでマチルダが観葉植物を大地に植えることの意味にも繋がっているのだと思いました。
しかし、この映画は名言のオンパレードですね・・・。
マチルダの「もう大人よ。あとは歳を取っていくだけ」というセリフに対しての、レオンの「俺は逆だ。歳は取ったが、大人になる時間が必要だ」というセリフは、年齢は幼いけれどしっかりとした自我を持っているマチルダと、年齢は重ねたけれど自我が未発達でアンバランスさを抱えているレオンという対照的な2人をよく表しているのだと思います。
助け合いながら、何かをお互いに与えながら不思議に寄り添うようになった2人はこういったお互いに足りないなにかを補うように寄り添うようになっていったのではないでしょうか?
③それは恋だったのか?お互いの心の欠損を埋めるように寄り添っていく2人。
スタンスフィールドに監禁されたマチルダをサクっと救出するレオン。
タクシーを待たせている間に助け出すとかカッコよすぎ・・・。
部屋に戻ったあとの「レオン、あなたに恋したみたい。初めての恋よ」のマチルダの唐突な愛の告白に牛乳ブーのレオン(๑≧౪≦)ですが、12歳ぐらいの女の子が父親みたいな男性に惹かれるっていうのは割にあることかもしれませんね。
でも、それは「はしか」みたいなものでこの年齢ぐらいの女の子が、しかも自分の父親がクソ野郎で殴られたりしていて、再婚した義母親とはうまくいってなかって、なんてことがあると余計に自分を庇護してくれる父親のような年齢の男性に「恋心のようなもの」を抱くのはわりと自然なことなだと思います。
ただ、マチルダの恋心を「はしか」と評したのは一時の熱病のようなもので、いつかは過ぎ去るものだと僕には感じられたからです。
レオンにもそのことがわかっていたから、熱病に浮かされたマチルダをあしらいますが、心は乱れます。
レオンはどういう心境だったのでしょうか?
30代ぐらいの男性であるレオンが、12歳の少女に恋心を抱く・・・。
というと、なんか倫理的に色々アカンと思いますが、レオンがマチルダに感じていた感情のさざ波は今のレオンではなくて、心の中にいる12歳の頃の自分の恋慕だったのではないかと思います。
一言では言い表せない感情の波が幾重にも重なってレオンの心を泡立てますが、その波は恋愛感情というよりはもっと暖かで穏やかなものだったのではないでしょうか?
自分の日常を色鮮やかに変えてくれたマチルダ。
ずっと独りぼっちだったレオンは、そんなマチルダのことがとても大切でかけがえのない存在で、だからこそ彼女のことを「愛している」と感じたのではないでしょうか?
それは名前のない感情、愛情で。
美しくて、切実で、純粋で。
命を賭してマチルダを守るためにレオンを駆り立てる熱であったのだと思います。
「大地に根を張って暮らしたい。決して君を一人にしない」
レオンは最後にマチルダにこう投げかけます。
きっとレオンはマチルダに出会わなければ、ここで死ぬことはなかったのでしょう。
けれど、過去に愛していた女性を失ってから誰にも心を開かずに生きてきた彼は幸せだったのだと思います。
5、終わりに
映画を観ている時に村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』の僕とユキの関係を思い出しました。
マチルダとユキって大人びているけど、内面はとても傷ついている美しい少女で、早く大人になりたいって背伸びをしている。
そんな少女が興味を持つのは同世代の動物みたいな野卑な男子ではなくて、どこか哀愁を漂わせている枯れたオジさんなのでしょう。
『ダンス・ダンス・ダンス』の僕がユキに感じていた感情は過去にいた少年の自分が感じていたざわめきのような複雑な感情でした。
レオンが感じていたものも、もしかしたらそういった種類の感情だったのかな・・・。
改めて素晴らしい映画でした!!
最後のSHAPE OF MY HEARTがマイハートに沁みました。
ちなみにこの曲のHOUSE MIXのレコードを持っていて、ちょくちょくかけてました~。