1、作品の概要
2015年に刊行された唯川恵の小説。
歪んだ2組の母娘関係の物語。
2、あらすじ
千遥は、地方の裕福な家に生まれながらも母親から精神的な虐待を受けて育った。
東京で就職して一人暮らしを初めても、異常な物欲を感じるなど母親の影響から逃れられずに、愛人の援助を受けるようになる。
フリーターだった功太郎が公認会計士の試験に合格し、結婚することになってから母娘の関係に変化が生じ始める。
亜沙子は、中学生の時に父を亡くして母親と2人で支えあって生きてきた。
就職して母親の勧めで結婚を考えるが、次第に母親の束縛を疎ましく思うようになっていく。
3、この作品に対する思い入れ
母娘の関係って時に支配的だったりして、何だか複雑そうだなって思います(^^;;
江國香織 の『神様のボート』を思い出しました。
初めて唯川恵の本を読みましたが、心理描写や複雑な人間関係を描くのが上手な作家さんだなと思いました。
他の作品も読んでみたいですね♪
4、感想・書評
①コントラストを描きながらねじれていく2つの物語
全ての母娘関係がそうではないと思いますが、時に支配的になってしまう母娘関係が描かれた作品だと思います。
まぁ、僕は男だし娘はいないので実感としてはわかりませんが・・・。
2人の主人公・千遥と亜沙子は、対照的とも言える性格・親子関係で作中でも功太郎を通じての間接的な関わりはありますが直接交わることはありません。
裕福だけど幼い頃から母親に全てを否定されて精神的に虐待されていた千遥と、父親をなくして母娘2人で助け合ってきた亜沙子。
結婚を機に関係性が大きく変化していき思ってもみなかった結末へと動き出していきます。
コントラスト描きながら少しずつねじれていく2つの物語に引き込まれました。
②精神的に歪みを抱えた千遥
千遥は、母親に幼い頃から否定的な言葉をかけられ続けていたため、精神的な歪みを抱えたまま成長してしまいます。
そして、社会人になり東京で一人暮らしを始めた後でも、母親の支配から逃れることはできていませんでした。
こういった幼少期に負った心の傷は、たとえ母親から物理的に離れたとしても暗い影のようにずっとつきまとってくるものなのでしょうね。
千遥の心には「異常な物欲」という精神的な歪みがあり、高価なモノを買い漁ることで承認欲求を満たしていました。
愛情で満たされなかった空っぽな心を「モノ」で満たそうとしても買っても買っても空白は埋まらずに際限なく求め続けるようになります。
千遥は自らの心の乾きを癒すために売春を始め、愛人の援助を受けて身に余るセレブのような生活をするようになっていく。
本来、親から無償で与えられるはずの愛情と自己肯定感。
自分が自分としてこの世に存在していいんだという根源的な自信のようなものが千遥には欠如していて、それを「モノ」で埋めようとするとても生き辛い人生の選択を余儀なくされています。
しかし、自分をひたむきに愛してくれている功太郎と出会い、公認会計士の資格を取った彼との結婚を考える上で母娘関係に大きな変化が生じます。
公認会計士の資格で将来有望な功太郎を母が認めて、千遥のことも認めるようになったのです。
初めてと言っていいほどの母親からの賞賛に喜ぶ千遥でしたが、結婚式場選びを機に母親と衝突し、「あなたを憎んでいる」と初めて自我をぶつけます。
これは、本来なら成長過程で反抗期に母親にぶつけるべきものだったと思いますが、反抗もできずに押さえつけられて成長してしまったためずっと千遥自身の自我と、母親への反発が燻り続けてしまっていたのでしょう。
反抗期にしっかりと反抗して、親に対して自我をぶつけることは人間の精神が健全に成長していく上ではとても大切なことなんだと思います。
まぁ、昔みたいに夜の校舎で窓ガラスを壊してまわったり、盗んだバイクで走り出したりはしなくて良いとは思いますが(笑)
積年の想いをぶつけてご満悦の千遥でしたが、脳梗塞で倒れた母親が重い障害を負ってしまい、介護することになってしまいます。
今まで自分を虐待し続けてきた母親の面影はなく、無力な変わり果てた母親と再会した千遥は母親の想いを知り、関係の再構築をしていくことになります。
生き物なら必ず年齢とともに衰えていくし、病気や、事故などに遭遇することもあり、家族の関係性も変化していきます。
自分をかつて虐げていた母親に対して今は優位と言っていい立場にある。
しかし、千遥は復讐ではなくて母との時間を取り戻すように寄り添う道を選んだのだと思います。
③母親の箱庭でスポイルされる亜沙子
千遥とは対照的に母親と良好な関係を保っていた亜沙子。
父を早くに亡くして、お互いに支え合うように一緒に暮らしてきた2人でしたが、徐々に亜沙子は違和感を感じるようになります。
仲良しである意味理想的な母娘関係ですが、亜沙子の母はまるで籠の中で鳥を飼うように娘を閉じ込めているようにも見えます。
子供の頃はそれで良かったのかもしれませんが、大人になって広い世界の広さを知り始めた亜沙子には母親の干渉が息苦しく感じるようになってきていました。
密な愛情というのは時に束縛になりえますし、知らず知らずのうちに相手をスポイルしようとする行為に変容しかねないと思います。
母親のブログを発見して微妙に事実を捻じ曲げて理想の母娘関係を書いている文章に違和感を感じ、亜沙子は母親との関係に微妙なズレを感じるようになります。
母親が紹介してきた田畑と婚約に至りますが、彼の性的趣向に嫌悪感を感じて婚約破棄して以降、亜沙子の母親への嫌悪感は膨れ上がり2人の関係に大きな亀裂が入ります。
それまで母親が作った箱庭のような世界で生きてきた亜沙子は、自分が閉じ込められていた世界の狭さに気づき、自らの自我を解放していきます。
彼女は、母親が作った箱庭の世界から出ていくことを決意したのでしょう。
④それぞれの結末
亜沙子と千遥は対照的かもしれませんが、反抗期などで自分の母親に対して自らの自我をぶつけたことがおそらくなかったという点では同じだったのかもしれません。
形は違っても、母親にコントロールされてスポイルされていた点では似通っていたのかもしれませんし、この物語は「2羽の啼かない鳥」の物語であったのでしょう。
どこまでも青く澄んだ空に、高く響く声で鋭く啼いた鳥はどこの空を目指して飛んだのでしょうか?
不器用ながらに自分の羽ばたいた2羽の鳥が羽ばたいた空には暗雲が垂れこめていたのかもしれません。
千遥は関係を再構築しようと思っていた母親からかつて浴びせられた「泣けば許されると思うな」という言葉を再び浴びせられます。
認知症などあってかつての母親ではありませんので、どこまで明確な意図があったのかはわかりませんが、ポジティブな変化がみられていた母娘関係がまた振り出しに戻ってしまうようなショッキングな一言でした。
亜沙子も、恋心を抱く功太郎を追ってノルウェーまで追いかけていくことを決意します。
それまで大人しく保守的な亜沙子でしたが、とても大胆な行動ですね。
しかし、快く送り出したかに見えた母親はブログで亜沙子が辛い思いをして自分のもとに帰ってくると綴っています。
まるで娘の失敗を望んでいるかのような暗い預言です。
勇気を振り絞って母親との関係を再構築、破壊した2人でしたが・・・。
結局、支配からは逃れることができなかったのでしょうか?
5、終わりに
後味の悪さが残るラストですが、僕はこういうモヤっとする終わらせ方は好きですね(笑)
精神的な支配にはいろんなパターンがあると思いますが、この2組の母娘関係はひとつのモデルケースだと思います。
家族の関係性、距離感って難しくて、一歩間違えたら支配関係になりうるし、疎遠すぎても愛情不足になる。
愛情をベースに自己肯定感を育みつつ、時期が来たら自我を認めて距離を置くことが良いのかなと思いました。