1、作品の概要
2014年11月に刊行された。
上下巻からなり、上巻375ページ、下巻358ページ。
文庫版は2017年10月に上中下巻で刊行された。
装画を作者の西加奈子が担当した。
小学館の小説誌「きらら」2013年12月号~2014年10月号に掲載された。
第152回直木賞受賞。
2015年本屋大賞2位。
イラン、エジプト、日本と転々とする家族の物語。
2、あらすじ
圷歩は父親の仕事の転勤で家族がイランに住んでいた時に生まれ、優れた容姿で周囲から愛されていた。
周囲に合わせながら卑屈に生きる歩に対して、4つ上の姉・貴子は変わり者で自分の思い通りにならなければ大暴れしていて、母親も、学校の教師も手を焼いていた。
穏やかで優しい父親、派手好きでいつも着飾っていた母親。
一家はイランから日本に戻り、エジプトへ、
日本で「ご神木」という不名誉なあだ名をつけられてクラスメイトから疎外されていた姉もエジプトでクラスメイトに恋をして、一家は幸せな時間を過ごしていた。
しかし、一通の手紙が家族を引き裂きバラバラになってしまう。
姉は社会に溶け込むことができず、引きこもり、宗教にのめりこみ、異質な存在になっていく。
しかし、歩が窮地に陥った時に現れたのは姉だった・・・。
3、この作品に対する思い入れ、読んだキッカケ
『サラバ』を読んだのは2度目で以前読んだ時に圧倒的な物語のスケールでぶっ飛ばされました。
刊行当時の2014年ずっと気になってはいたのですが、当時は単行本はよっぽど好きな作家しか買わないと決めており(今でもわりとそうですが)、当初文庫化まで待つつもりでしたが、直木賞受賞や本屋大賞2位などで話題になったこともあり、単行本での購入を決めました。
そのうち再読したいなと思いつつタイミングを測ってましたが、今回再読してみてより深く西加奈子のメッセージを感じ取れたように思いますし、初読時よりさらに深く物語の世界に惹きこまれたように感じました。
4、感想(ネタバレあり)
①主人公の歩の太宰っぽさ、生き直しの物語
『サラバ!』は西加奈子の作家10周年の時に書いたものらしく、長い作品であること、男性が主人公というところを決めて『僕はこの世界に左足から登場した』という序文がするりと出てきて、そこで歩の1人称の作品であるということが決まり、あとは詳細なプロットは決めずに書き上げた作品であるとのことでした。
これだけ長く、たくさんの人間が関わった物語が詳細なプロットもなく緻密なタペストリーを織り上げるように書き上げることができたのは驚異的です。
男性が主人公というのはこと中長編においては女性が主人公であることが多かったので、ひとつの方向転換だったのかなと思います。
『サラバ!』の前に2014年1月に刊行された『舞台』でも男性の主人公・葉太の3人称の物語であったことも何か繋がりを感じますし、歩も葉太も太宰治の『人間失格』の葉蔵を思わせるようなキャラクターのように思います。
葉太はネーミングからすでに葉蔵を想起させられますし、『人間失格』を愛読しています。
歩があまり愛していない恋人が浮気おセックス中に間違って電話をかけてきてしまい、その情事の一部始終を聞いてしまうという場面は、妻・ヨシ子が出入りの行商人に犯される場面を葉蔵が目撃してしまい強い精神的なショックを受けてしまう場面を思い出させました。
歩は、はっきりとした自分を持たずに周囲に合わせながら生きていて、どこか卑屈な態度を取りながらも、周囲の人間や姉の貴子を見下しているようなところがありました。
恵まれた容姿から、女の子との恋愛も相手からアプローチされることが多かったですが、中身が空っぽな歩に愛想を尽かして離れていってしまう。
それでも平然としていたのは自らの容姿の良さが自信になっていたからですし、仕事もうまくいっていることが自信にもなっていたのでしょう。
僕には分かっていた。僕だってそう思っていた。自分はいつまでそうしているつもりなのだろうか。自ら為すことなく、人間関係を常に相手のせいにし、じっと何かをまつだけの、この生活を、いつまで続けるつもりなのだろうか。
それが物語の後編で髪の毛が抜け始めて自らの容姿に自身が持てなくなったことで、仕事もうまくいかなくなりどんどんと自信を失っていきます。
生きづらさを抱えて世の中の片隅にいる姉を横目で見下していたのが、今度は自分が窮地に立たされてしまう。
そんな歩を救い導くのが姉だったところがとても意外でしたし、別人のような姉の言動に再読しても驚きました。
でも30年~40年という長い時間の中で人は変わっていきますし、ずっと平坦で安易な道のりを行けるはずもなく、飄々と気楽に生きてきていた歩も容姿が変化したことで絶望のどん底に叩き落されて、友人だった須玖と鴻上が付き合い始めたことでも追い打ちをかけられてしまいます。
うーん、哀れ。
両親の離婚という転機はあったものの、前半から面白おかしく生きてきた歩の人生の暗転。
『漁港の肉子ちゃん』を読んでても感じましたが、いきいきとコミカルな場面を描きながら、終盤に物語に深みをもたせて救いを提示する西加奈子の独特の物語の構築の仕方にいつも心を奪われます。
一粒で2度美味しい。
グリコかっ。
歩が生き直すこと。
自らのルーツと真剣に向き合い、感情や心の動きを真摯に感じ取ること。
須玖、鴻上らの友人たちとの関わり、家族の想い、ヤコブとの奇跡的な交流、本や音楽や映画などが自分にもたらしたこと、そして文章を物語を書くことを通じて歩は自らを再構築していきます。
最後にこの物語『サラバ!』を書き上げ、生まれ故郷のイランで読み上げる歩の姿は生まれ直してもう一度歩き出そうと前を向くもので、この物語を書き上げた西加奈子自身の姿にも重なる部分があるように思いました。
小説の素晴らしさは、ここにあった、何かにとらわれていた自身の輪郭を、一度徹底的に解体すること、ぶち壊すこと。僕はそのときただ読む人になり、僕は僕でなくなった。そして読み終わる頃には、僕は僕をいちから作った。僕が何を美しいと思い、何に涙を流し、何を忌み、何を尊いと思うのかを、いちから考え直すことが出来た。
②家族の絆と秘密、友人や叔母らとの繋がり
『サラバ!』は、歩の再生の物語でもあり、家族の物語でもあると思います。
『さくら』でも思いましたが、西加奈子という作家は家族を描くことがとても上手な作家であり、一風変わった一筋縄ではないかないような家族を描くことが多いです。
『サラバ!』でもエキセントリックで珍妙な姉の存在が何度も描かれていますが、穏やかでまるで僧侶のように穏やかな父(でのちにガチで出家)、おおよそ母性というものが感じられず母であることより女であることに頓着している母もなかなか濃いキャラクターですね。
歪なりにも幸せだった圷家をバラバラにした1通の手紙。
過去からの手紙のようなKさんからの手紙と、両親の結婚にまつわる残酷な裏切りのエピソードはどことなく夏目漱石『こころ』を彷彿とさせるものでした。
同じ「K」だったのも偶然でしょうか。
父と母の「幸せ」についての悲しいすれ違い、「すくいぬし」の存在。
結局のところ、父はKさんを裏切ったことの罪と罰から逃れられなかったのだと思いますし、それでも幸福にならないことでそう振舞うことでも幸せを感じることができた。
んん-、ちょっと理解しがたい心境ですが・・・。
幼かった歩は両親の事情で離婚し、バラバラになってしまったことにショックを受けますが、ずっとそこにどういった事情があったのか触れずに生きてきた。
ほとんど引きこもりのようになって、窮地に陥った歩は両親の、姉の真意と歩んできた人生を知ることでもう一度歩き出すことができたのだと思います。
そこには矢田のおばちゃんの「すくいぬし」の物語が重なり、「すくいぬし」は矢田のおばちゃんから姉へ、姉から母と歩にも継承されていく。
物語が重なり合って共鳴していく。
人生という名のメロディーを奏で始める。
夏枝おばさんおばさんや、ヤコブ、須玖、鴻上ら歩が大事に思っている人たちとの物語、人生とも重なり合って、歩の背中を押す。
そして、重厚な物語は『サラバ!』の大きなテーマである「信じること」「祈ること」に繋がっていくように感じました。
③何かを信じること、祈ること
なにかを信じて生きていくことはどういうことなのか?
何に祈り、なにをよすがとして生きていくのか?
息をするように何かを信仰するヤコブと、34歳を過ぎても自分の存在に軸がなくて信じられるものを探している歩。
ヤコブと歩を隔てているものはたくさんあります。
人種、宗教、言語。
それでも幼いころの2人は、そんなものを飛び越えて共感しあうことができていた。
2人がナイル河で目にした化け物はそんな奇跡を具現化したものだったように感じました。
「サラバ!」
その言葉だけで、僕は救われた。
僕らは「サラバ!」で繋がっている。僕らの間には、何の隔たりもない。僕らはひとつだ。そう、思うことが出来た。
歩とヤコブは遠く離れていても繋がっていた。
「サラバ!」という魔法の言葉で。
それこそが歩の信じるべきものの姿であり、祈りだったのだと思います。
西加奈子は歩とヤコブの邂逅と再会にまつわる美しい物語に、信仰を持たない人間が何を信じれば良いのか?何に対して祈れば良いのか?という投げかけの答えを託しているかのようにも感じました。
矢田のおばちゃんの宗教のサトラコヲモンサマはチャトラ猫の肛門のことだったというエピソードを考えても、なにを信じてなにを祈ってもいい。
信じられるものをみつけることが大事なんだよ、っていうメッセージだと思います。
信じられるものがある人は姉が言うところの「幹」がしっかりして揺れが少なくなるし、苦境に陥った時も乗り越えていけるかもしれません。
信じられるものなら何でも良かった。
あらゆる人の、たくさんの苦しみ。決して解決出来ないものもあったし、どうしても納得できない残酷な出来事もあった。きっとそういう人たちのために、信仰はあるのだろう。自分たち人間では、手に負えないこと。自分たちのせいにしていては、生きてゆけないこと。
それを一身に負う存在として、信仰は、そして宗教はあるのだろう。
文章を書くこと、「サラバ!」という魔法の言葉。
歩は、エジプト、イランと旅をして家族の物語に触れることで自らのルーツを辿り、自分が信じるものを見つけることができたのだと思います。
そこには作中何度も引用されていたニーナ・シモン『feeling good』の「新しい世界が始まる。最高の気分よ。」という歌詞が象徴的に響いていました。
作中で『サラバ!』を書く歩の姿に、作者の西加奈子の姿が重なり合っていくように僕には感じられました。
歩=西加奈子はこの物語に託されたメッセージをこう語っています。
これを読んでいるあなたには、この物語の中で、あなたの信じるものを見つけてほしいと思っている。
あなたの信じるものは何ですか?
5、終わりに
イランのテヘランで産まれてその後にエジプトのカイロに行き、日本に戻ってからは
大阪で生活していた歩の人生はそのまま西加奈子の人生に重なり、特にラストは歩の姿に作者である西加奈子の姿が重なり合っているように思えました。
2度目の再読でしたが、西加奈子の他の作品もたくさん読んだことやブログでアウトプットすることを前提に読んだことでより深く『サラバ!』の物語の持つ重厚さ、自分の信じるものを見つけるというメッセージに魂を揺り動かされるような想いでした。
作者自身の心や息遣いを感じられる、本当に素晴らしい西加奈子の傑作。
彼女の作品の中で今は『サラバ!』が1番好きですね。
また、自分の中で人生に寄り添ってくれるような大事な物語に出会うことができて幸せに思います。
↓ブログランキング参加中!!良かったらクリックよろしくお願いします!!