ヒロの本棚

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【本】ポール・オースター『幻影の書』~人は追いつめられて初めて本当に生きはじめる~

1、作品の概要

 

『幻影の書』はアメリカの作家ポール・オースターの長編小説。

訳者は、柴田元幸

2002年にアメリカで刊行され、2008年に日本語訳版が新潮社より単行本が刊行された。

単行本で329ページ。

2011年に新潮文庫より文庫化されている。

飛行機事故で妻子を亡くした男が、失踪した無声映画界のカルト・スターであるヘクター・マンの作品に魅了され本を書き上げることで、ヘクターの失踪の謎とその数奇な物語に巻き込まれていく。

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2、あらすじ

 

飛行機事故で妻子を亡くした大学教授のディヴィッドは、深い悲しみの中でヘクター・マンの無声コメディ映画で久しぶりに笑顔になることができた。

彼は世界中に散らばったヘクターの作品を全て観て、彼の映画についての研究書を刊行する。

失踪したはずのヘクターの妻を名乗る女性・フリーダからの手紙、デイヴィッドをヘクター夫妻の暮らすニューメキシコに連れていくために来訪したあざのある女性アルマ。

銃、炎、意図せぬ殺人。

デイヴィッドとヘクターの人生は不可思議に交錯していく。

 

 

 

3、この作品に対する思い入れ、読んだキッカケ

 

Xでポール・オースターの『幻影の書』が面白かったの感想を読んで、読んでみたくなり、図書館で借りました。

ポール・オースターは、大学生時代に『ムーンパレス』は読んだことがありましたが、ひさびさに読みました。

去年に引き続き、今年も海外文学を読んでみたいと思っていますので、ポール・オースターの他の作品も読んでみたいです。

 

 

 

4、感想(ネタバレあり)

 

飛行機事故で妻子を亡くしたディヴィッド。

序盤はその悲しみと苦しみから逃れられずに世間との関りを断ち、内省的に生きています。

莫大な保険金が入って、生活するために働かなくても良くなったのも大いなる皮肉でした。

 

そんな彼を笑顔にさせて、少しなりとも興味を掻き立てたのがヘクターの映画だったことは、のちの展開を考えると運命的ですし、何かこの頃からヘクターの映画から、演技から放たれる自分との相通ずる何かを感じ取っていたようにも思います。

知る人がほとんどいないカルト的な無声映画のスターの映画を観るために世界中を旅する。

狂気の沙汰であり、偏執的ともいえるディヴィッドの行為は空っぽになってしまって、今にもバラバラになりそうな自分をこの世界に繋ぎとめるような本能的な行いであったかのように僕には感じられました。

そして、この時の彼は行きながら死んでいるような危うい状態だったのだと思います。

 

ポール・オースターの映画作品への描写も緻密で、カメラのズームや、登場人物の表情など、文章で映像が構築され浮き立ってくるかのようでした。

無声映画時代の『ミスターノーバディ』や、ニューメキシコで撮った『マーティン・フロストの内なる生』などシリアスで奇妙な話で示唆に富んでいて、本当に存在する映画作品のようなリアリティがありました。

実際『マーティン・フロストの内なる生』は、ポール・オースター自身が監督をして映画化されたようですね。

いや、ちょっと観てみたい。

彼は他にも映画作品に関わっていて、作中の緻密な映画作品の描写、作品全体に流れる映画への深い愛情が感じられました。

 

内省的で静かな物語は、アルマの唐突な登場で一気に動き出します。

いきなり1速から6速へシフトチェンジしたいみたいなドラスティックな変化がありましたが、序盤でディヴィッドが受けた傷の深さと絶望と、ヘクターの映画と人物について掘り下げることで、中盤以降の展開がより深い重みと物語としての深みを獲得しているように思います。

どことなく村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』あたりを彷彿とさせられるような展開で、妻を失って内省的になる主人公、しかし別の女性が登場することで物語が動き出してその女性と関係を持ち、ある場所で特別な体験をくぐり抜ける、あたりに少し共通点を感じました。

いや、どんだけ僕が村上春樹好きやねんっていう話なんですけどね(笑)

ちなみに村上春樹はこの本の訳者・柴田元幸さんと共著で、『翻訳夜話』なる対談集および翻訳書のような本も刊行しているようですね。

 

ディヴィッドとアルマとはまるでソウルメイトのようにあっという間に心を通わせます。

アルマは、どことなく『ノルウェイの森』の緑を思わせるような活発で理知的な女性で、しかし顔にあざを持って生まれたことで心に影を持っているような魅力的な女性として描かれています。

彼女がデイヴィッドを死者の世界から連れ戻すという大きな役割を担いますが、彼女自身は永久に損なわれてしまって・・・。

2人の幸せなラストを楽しみにしていたのでこの展開にはショックでしたが、それでもアルマはディヴィッドに短い時間で多くの物を与えて、あまつさえこの世界のどこかにあるかもしれないヘクターの映画のテープのコピーがあるかもしれないという、ディヴィッドにとっての生きる希望をも与えたのですからその役割は大きかったと思います。

この主人公を導いて、そして消えていくみたいな感じも村上春樹羊をめぐる冒険』のキキみたいな感じで、何かシャーマン的な役割も担っているような気がして云々ですが、ちょっと村上春樹原理主義者みたいなのでこのへんでやめますね(笑)

 

アルマが語るヘクターの人生は悲劇的で数奇なものでした。

まぁ、身から出た錆なところも多々あるように思いますが、銃の暴発が1人の女性の命を終わらせて、2人の人生を狂わせてしまう・・・。

その後のノーラとの日々や、フリーダとの邂逅も複雑に入り組んでいて、生きることのままならなさや、運命の奇妙さを感じされられるものでした。

 

そして、ヘクターの人生とデイヴィッドの人生は奇妙に混じりあっていることに気付かされます。

この部分が僕がこの『幻影の書』で最も興味深く感じたところで、銃(ドローレスが持っていた銃、デイヴィッドがこめかみに当てた銃)、炎(マーティンが原稿を燃やした暖炉の炎、フリーダがアルマの原稿を燃やした暖炉の炎)、意図せぬ殺人(ドローレスによるブリジットオファロン殺害、アルマによるフリーダ殺害)などによって2人の人生が密接に繋がっているように感じました。

デイヴィッドは飛行機事故、ヘクターは銃の暴発事故によって人生を狂わされていますし、お互いに事故で子供を失っていて・・・と呼応し合っているように思います。

ディヴィッドがヘクターに引き合わされたのは彼の映画作品についての本を書いたことによるものですが、なにかもっと大きな運命のさざ波のようなものが2人を引き合わせたようにも感じるのです。

 

しかし、フリーダにとってディヴィッドの存在は完全な異物で、彼女の狂気的な愛によって全ては崩壊してしまいます。

アルマがフリーダを誤って殺害してしまい、たまたま手元にあったディヴィッドの睡眠薬ザナックスで命を絶つ下りは読んでいて本当に辛かった。

でも、その瞬間にザナックスがたまたま彼女の手の中にあったことはなにか悪魔的な運命の導きのようなものも感じました。

 

アルマとのわずか8日間の日々と、ニューメキシコでのヘクターとの邂逅はディヴィッドに何をもたらしたのでしょうか?

ヘクターの物語を通過することで、ディヴィッドは不思議と再生への道を歩み出したように思いますし、そのキッカケをくれたのはアルマでした。

何重にも奇妙にも重なり合った運命、人生。

重厚なオーケストラのような物語の終焉は、静かで内省的ながらこの世界で今にも萌芽するかもしれない希望の種を思わせるようなものでした。

 

 

 

5、終わりに

 

他にもシャトー・ブリアンの著書についてとかいろいろと切り口は多そうな物語でした。

彼の著作をディヴィッドもヘクターも読んでいたということ。

ヘクターがアンダーラインを引いていたシャトー・ブリアンの文章「人は追いつめられて初めて本当に生きはじめる」は、2人の人生にも共通して言えるような大きな意味のある言葉でした。

追いつめられた時に、窮地に陥った時に踏み止まって何をなすことができるか?

2人の物語からそういった問いかけが読者になされているようにも感じました。

 

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