1、作品の概要
『悲しみよこんにちは』は、1954年に刊行されたフランスの長編小説。
作者はフランソワーズ・サガン。
サガンが18歳の時に刊行されたデビュー作。
世界22か国で翻訳されて、世界的なベストセラーとなった。
日本では1955年に朝吹登水子訳が新潮文庫から刊行されて、2008年に河野万里子訳が刊行された。
単行本で157ページ。
1957年に映画化されて、ジーンセバーグが主人公のセシルを演じ、その短い髪型が「セシルカット」と呼ばれてブームとなった。
2、あらすじ
17歳の少女・セシルは、放埓で女たらしの父親と2人で自由に暮らしていた。
南仏の別荘で父の愛人のエルザも加えて、夏を過ごしていたセシルだったが、亡き母の友人・アンヌが別荘を訪れたことで平穏な生活が様変わりしてしまう。
父はエルザと別れ、アンヌと愛し合うようになり、彼女との再婚を決意する。
魅力的だったアンヌは家に規律を持ち込み、セシルに対しても勉強や恋人のシリルとの関係で口うるさく言うようになっていった。
アンヌの干渉に辟易していたセシルは、エルザとシリルに協力を求めてある計画を企てる。
3、この作品に対する思い入れ、読んだキッカケ
以前からタイトルを聞いたことがある本で、特に他に読みたいと感じる本がなかったのでふわっと読んでみました。
ひと夏の物語で、(9月にはなってたけどまだ暑かったので)時期的にもピッタリでした。
少女の無垢さと残酷さ。
そんな対照的な両面を感じさせられるような作品でした。
4、感想(ネタバレあり)
快活でまったくの幸せだった17歳の少女・セシル。
そんな彼女がバカンスで訪れた南仏でのひと夏の出来事で心に傷が残るような経験をします。
『悲しみよこんにちは』は、無垢だった少女が悲劇を経験することで、悔恨を覚え悲しく思い出すような苦い記憶をその身に宿すようになります。
ありきたりかもしれませんが、大人になっていく上で誰しもが持つことになる痛みと忘れたいような暗い経験をはじめて知ってしまったのがこの物語の結末でありました。
『悲しみよこんにちは』は、セシルが自らの記憶を回想するような形で描かれていますが、冒頭の繊細で思慮深い文章を読むと、奔放な少女だったセシルがひと夏の経験を経て、物憂げで何かを抱えた大人の女性へと成長していった様を想像させられます。
ものうさと甘さが胸から離れないこの見知らぬ感情に、悲しみという重々しくも美しい名前をつけるのを、わたしはためらう。その感情はあまりに完全、あまりにエゴイスティックで、恥じたくなるほどだが、悲しみというのは、私には敬うべきものに思われるからだ。悲しみ-それを、私は身にしみて感じたことがなかった。ものうさ、後悔、ごくたまに良心の呵責。感じていたのはそんなものだけ。でも今はなにかが絹のようになめらかに、まとわりつくように、わたしを覆う。そうしてわたしを、人々から引き離す。
ためらいながらも、結果的には自分の策略でアンヌを死へと追いやってしまった悔恨、悲しみ。
アンヌとの日々の記憶は悲しみに満ちたものだけではなく、甘く、美しいものでもありました。
甘苦い胸の疼き。
不意に起こる記憶の反芻。
その未知の感情はセシルの胸に繰り返し去来します。
物語は暗い葛藤だけではなく、南仏のギラギラした夏の太陽のもとでむしろ明るく刺激的に展開していきます。
フランスは行ったことないんで、ゴダール監督の映画『気狂いピエロ』を思い浮かべながら読み進めていきました。
バカンスとかいいな~。
そして、恋のアバンチュールもあり、セシルはシリルと出会い夏の海で激しく愛し合います。
青春ですな。
セシルは17歳にして、酒もタバコも嗜んでいて、パリピな父親との生活も相まってそこはかとなく享楽的で退廃的な雰囲気が漂っているのも良いですね。
南仏でのバカンスというシチュエーションもあって、退廃も甘美なものとして爽やかに描かれているように思います。
セシルがアンヌと父との仲を裂こうとしたのは、ほんの気まぐれな思い付きで、アンヌからの母親らしい束縛とエルザへの扱いの非情さに憤ったからでありました。
もしかしたら、仲の良い父親への嫉妬もあったのかもしれませんね。
付き合ってるだけではなく、再婚をしようとしていることにセシルは動揺しました。
元々はアンヌのことを尊敬して、好ましく思っていたセシル。
途中で、アンヌへの計略の愚かさと残酷さに気づいたセシルは計画を中止しようとしますが、エルザは父親を誘惑し、最悪の結末へと物語は進行していきました。
いや、冷静に考えると女たらしの父親が単純すぎで分別がつかないのが問題な気もしますが(;^ω^)
しかし、意図しないまでも自分の計画が発端でアンヌを死に追いやってしまったセシルの心の痛み、かなしみは拭いようのない重い十字架となってしまいました。
まだ善悪のつかない少年・少女のいたずら。
しかし、そんなささやかな悪意が重大な結果を招くことがある。
セシルは父親と共にアンヌの死を乗り越えますが、夏になるたびに「私の記憶が時々私を裏切り」アンヌのことを思いださずにはいられないようになります。
おそらく幾ばくかの胸の痛みとともに。
夏がまたやってくる。その思い出と共に。アンヌ、アンヌ!私はこの名前を低い声で、長いこと暗やみの中で繰り返す。すると何かが私の内に湧きあがり、私はそれを、眼をつぶったままその名前で迎える。悲しみよ こんにちは。
5、終わりに
いやー、享楽、退廃、青春、そして悔恨と悲しみ。
短い小説ですが、ひと夏のバカンスを彩った事件が鮮やかに描かれていてとても良かったです。
バカンス先の海辺で、ピニャコラーダとかチューチュー飲みながら読むには最高の1冊っすね。
映画もゴダール監督の『勝手にしやがれ』で主演のジーン・セバーグが主演みたいですし、観てみたいです。
ジーン・セバーグは、『悲しみよこんにちは』で評価を上げて、『勝手にしやがれ』の主演に抜擢された感じなのかな?
フランスの映画とか、小説もいいですな~。
カミュも読みたいっす。
最後にあんなに愛し合ったのに、最後はバッサリ切り捨てられてシカトされるシリルくんに同情の念を禁じえません。
きっと「WHY?」ってなってるでしょうね(;^ω^)
めっちゃわかるぜ~( ;∀;)
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