1、作品の概要
『山の音』は川端康成の長編小説。
1954年に筑摩書房より単行本が刊行された。
第7回野間文芸賞受賞。
戦後文学の最高峰と称された。
1949年~1954年に『改造文藝』『群像』『新潮』『文學会』などに連載された。
全16章からなる。
1954年に原節子主演で映画化され、その後も数度ドラマ化された。
初老の信吾の視点で、老いた妻、息子夫婦、出戻りの娘と孫たちとの家族の生活を仔細に描いた。

2、あらすじ
東京にある会社に勤める初老の信吾は、物忘れも出始めて地鳴りのような山の音を耳にして死の予感に捉われる。
戦地より復員後、堕落してしまった息子の修一、彼の妻の美しい娘の菊子、出戻りの娘の房子と、その娘の里子と国子、妻の保子。
家族は様々な問題を内包し、内に秘めた想いを抱えながら同じ屋根の下で暮らし続ける。
結婚して間もないのに、外に女を作って遅くまで飲み歩く修一。
信吾に保子の美しい姉の面影を感じさせる菊子。
夫の相原とうまくいかず、容姿の醜さのために父から愛されていないことを僻む房子。
鎌倉の美しい風景を舞台に、家族の身に降りかかる事件と、日々の心の移ろいが描き出される・・・。
3、この作品に対する思い入れ、読んだキッカケ
25年前とかそれぐらいに初読しましたが、あらすじは綺麗さっぱり忘れておりました。
当時は若かったので、信吾の老いの哀しみや、過去の幻影などを理解することができませんでしたが、僕も彼の年齢に少しずつ近づいている中で、今回再読して身につまされるような想いでした。
奇妙な一家の人間模様も、80年近く前の話ですが、まあ現代でも田舎なんかではなくはないかなと思いました。
4、感想(ネタバレあり)
総勢7名の一家。
現代の日本では、核家族化が進んでこのように大所帯の家族は少ないですが、複雑な事情を抱えた3世帯が同居しています。
家族ならではの、複雑な心の機微が描かれていますが、様々な事情で歪みやもつれが生じていて、そんな精神の流れが川端康成の流麗な筆致で丹念に描かれています。
『古都』や、『雪国』のような抒情的な風景の描写より、『みづうみ』のような登場人物たちの気持ちの揺れ動きが繊細に掬われていて、そこに信吾が抱く過去の幻影や、奇妙な夢が重ねられていて、独特の世界観を確立しているように感じました。
信吾の家族を物語の舞台にしていますが、その上に織りなされているのは戦争の影響であったり、老いの哀しみであったりと様々なテーマが語られています。
川端康成自身も50歳になって友人の死に直面したり、敗戦を体験したりと、自らの人生の終わり=涯を意識しながらも、永らえたことで生きて全集を刊行することもでき、喜びと再生への希望を新たにする思いもあったのではないでしょうか。
同時期に『千羽鶴』『みづうみ』なども執筆されて、多作な時期であったようです。
日本の敗亡が私の五十歳を蔽ふとすれば、五十歳は私の生涯の涯であつた。片岡君、横光君、また菊池さんらの死去が私の五十歳のこととすれば、五十歳は私の生涯の谷であつた。生き延びて全集を出す幸ひはみづからかへりみて驚くべきなのであらうか。まことに五十歳の私は生きてゐるとかういふ時も来るのかと、新たに泉を汲む思ひもあつて、再生の第一年に踏み出したのかもしれない。— 「あとがき」(『川端康成全集第1巻 伊豆の踊子』)、のち「独影自命――作品自解 一」[
表題の『山の音』にもあるように、信吾は山鳴りのような音を聞いて、過去に妻の保子の姉が亡くなった時にも山鳴りを聞いたことを思いだして自らの死期について思いを馳せます。
耳鳴りか、海鳴りか?
ただの幻聴であったかもしれませんが、こういった幻想が物語に挿入されているのが川端康成の物語の妙味だと思います。
そして『山の音』は、仄かな恋心を抱いていた保子の美しい姉の面影にも重なっていきます。
女性の見た目の美しさや、肉体の部位の美しさに触れることが多い川端康成作品ですが、『山の音』では容貌の美醜についてのコントラストが明確で、そのことによって感情のもつれが生まれています。
保子の姉とその夫、修一、菊子は美しい容貌で、保子、房子は醜い容貌として描かれていると思います。
信吾は保子の姉に憧れていましたが、保子は姉の死後に義兄の世話を焼き彼の妻になりたいと願いますが、義兄にその想いは受け入れられませんでした。
そんな事情も汲んだ上で、信吾は保子と結婚しますが、ここでルッキズムによる明確で残酷な線引きがなされているように感じました。
家でも、美しい顔立ちの修一を醜い容貌の房子より可愛がっていた信吾。
いや、自分の子供は等しく愛さなければいかんでしょ。
無意識にえこひいきしてしまうもんなんでしょうかね?
房子は、もともと両親にそこまで愛されていなかった上に、嫁いだ先の夫がヤク中になってしまい出戻ってきましたが、だいぶ闇堕ちからのメンタル焼け野原状態で、事ある毎に嫌味を言ってますます父親から疎まれるというデッドスパイラルに陥っています。
かわいそうすぎる。
そんな房子の娘の里子にもあまり愛情が注げない信吾。
房子ほどではないけど、あまりかわいい顔をしていない上に、性格もねじれているとのことですが、孫なんだしかわいがってよ!!
ここですでにだいぶ捻じれた感情が家庭に充満しているのですが、修一の妻である菊子が信吾に保子の姉を思い起こさせるような美人であるために、さらにややこしい感情のもつれが生まれています。
息子の妻に対する微かな恋情。
いや、アウトでしょ。。
あまり生々しいものではないのですが、菊子も信吾に対して義父として慕っていることもあって、この物語の中で一番太い線として2人の心の交流が描かれているように感じました。
歳のせいもあるのか、どことなく運命論者のようで、夢見がちな初老の信吾。
彼に対して、復員兵である修一はかつての美男子でありながら、戦争体験で心を病み、変わってしまっていました。
その心の闇は、菊子という妻がありながらも絹子という他の女性を愛し、夫婦関係をこじらせる要因になっています。
信吾は修一を堕落したとなじり、どちらかというと菊子を庇うようになっていったりしますが、終戦後に書かれた作品であることもあって、戦争の暗い影が家庭を蝕んでいく様も描かれていたように思います。
まあ、戦争のせいだけではなくて、修一がただのドブカスくそ野郎だった可能性もありますけどね(笑)
こじれまくっている信吾の家族たち。
しかし、最後は信州に家族でもみじを見に行く話が出たり(修一と房子は留守番をかって出ますが)、房子が水商売を始めようとしたりと、歪ながらも前に進んでいこうとするような印象を受けました。
修一が絹子を孕ませた疑惑は解明されないままですし、決してすべてが解決して大団円というわけにはいきませんが、モアベターな方向へ向かっていくような、再生の兆しを感じさせられるような締めくくりであったように僕には感じられました。
5、終わりに
厳しい審美眼を持ち、美醜については容赦ない川端康成ですが、『山の音』では徹底したルッキズムによる愛憎が描かれていたように思いました。
作家は、そのあたりの美意識に対しても敏感なものなのでしょうかね?
少女性とエロティシズムへの偏執も、川端康成の作品の全てに通底する要素のように思うのですが、『山の音』においても妻でありながらも末っ子でまだ少女のような菊子に対して川端康成のフェチシズムが注がれていたように思いました。
ひとことで言うと変態(笑)
そして、後作『眠れる美女』(薬で眠らせられている少女と添い寝する変態のじいさんの話)で描かれたような、少女の少女性の向こう側に見るかつて胸を熱く騒がせた遠い日の想いが描かれていたのではないかと思います。
菊子を通して信吾が保子の姉の幻影を見たように。
そして、実際は性的な能力もまもなく失ってしまうという悲しみ。
いや、女性からするとさっさとなくしてしまえ!!なんならソレをちょん切ってやろうか?とか言われそうですがね。
まあ老境に差し掛かって、男は男なりに寂しいものなのですよ。
かつて戸塚に住んでいて、横須賀線によく乗っていたので鎌倉から、東京までの駅の名前が出てくるのはなんだか心躍りましたね。
新宿御苑とか、『山の音』の聖地巡りもしてみたいです。
いつになることかわかりませんけど。
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