1、作品の概要
『滑り落ちる時計たちの波紋』は平野啓一郎の短編小説集。
2004年6月に単行本が文藝春秋より刊行され、2007年に文庫本が文春文庫より刊行された。
単行本で295ページ。
第2期の実験的な9編の作品群が収録された。

2、あらすじ
①白昼
男は白昼、奇妙な男の後をつけ続ける。
風景は歪みはじめ、幻想的に閉じていく。
②初七日
84歳で亡くなった父・康作の葬儀の喪主を務めた長男の康蔵は、父が抱えていた戦地ビルマでの出来事を思っていた。
父は決して語ろうとはしなかったが、そこにあったであろう地獄。
康蔵は弟の研次と父の記憶を辿る・・・。
③珍事
出張先のホテルで、目の前のオフィスから手を振ってきたビルの男を冷たく無視した男。
同僚に嬉々として、その出来事を話すが・・・。
④閉じ込められた少年
いじめられていた少年は雨の街を走り、ゲームセンターにいたやつらの姿を見つける。
一番自分をひどく殴っていた男を目がけてナイフを突き刺すが・・・。
⑤瀕死の午後と波打つ磯の幼い兄弟
夫の会社の苦境を救うために、闇金融で金を借りた女。
ひったくりの常習犯の男はバイクでバッグを奪おうとするが失敗し、瀕死の重体に。
一方、幼い兄弟が2人だけで禁止されている磯遊びをする。
気づかない間に潮は満ちてきて・・・。
⑥les pettites Passions
少年が消えてなくなってしまったのは、ハンバーガー店の向かいの歩道だった。
突然崩れ始めた体の手だけが残って・・・。
彼についての5つの断章。
⑦くしゃみ
くしゃみをするだけで壊れそうな、ひどくひ弱な男。
10回したら壊れるだろうと思っていたが・・・。
⑧最後の変身
入社2年目で仕事をやめて実家の自室に引き籠ってしまった男。
彼は、カフカの『変身』を読んでグレゴール・ザムザに共感を覚えて、役割のために変質してしまった彼自身の境遇を重ね合わせる。
インターネットを通じ、本当の自分自身の姿を取り戻そうとするが・・・。
⑨バベルのコンピューター
ボルヘスの『バベルの図書館』をモチーフにしたオリッチの作品『バベルのコンピューター』の革新的な内容とは?
3、この作品に対する思い入れ、読んだキッカケ
『滑り落ちる時計たちの波紋』は、文庫本が刊行された2007年当時、本屋で見かけてタイトルと装丁に惹かれて購入しました。
『滑り落ちる時計たちの波紋』って、まったく意味はわからないんですが、どことなく詩的で良いですね。
実験的で詩的な9つの作品群。
そこはかとなく、文学と芸術の香りが匂いたちます。
が、ちょっと意味がわからない作品もありました(笑)
4、感想
①白昼(『読売新聞大阪版』朝刊 2003年4月8日)
白昼、雑踏の中で男のあとをつけ続ける1人の男。
どこまで歩いても変化しない風景。
同じようなビル群。
夢の中にいるように思考は歪んで捻じれていく。
追いかけているはずの自分が実は前にいるいる男に追いかけられているとすれば?
唐突に、挿入される散文も美しくも実験的で良いです。
意味はよくわかりませんが(笑)
②初七日(『文學界』2003年6月号)
74ページと『最後の変身』に次ぐ長さの短編で、内容も実験的なものではなく、普遍的なもので、戦争を体験し多くを語らずに逝った父親を想う息子の心情が描かれています。
福岡の北九州市で育った(生まれは愛知)平野啓一郎ですが、作中の舞台も北九州のほうになっており、親戚たちが集まって地元の方言でやりとりをするさまはリアリティがあります。
後発の『決壊』でも、福岡の実家に帰省して、方言で話す場面がありますが、どことなく『初七日』がこの作品の習作の一部のようにも感じました。
平野啓一郎自身、1歳の時に父親(享年36歳)を亡くしていますが、84歳の父親を看取って喪主を務める長男・康蔵をどのような思いで描いたのでしょうか?
父が生きていたら自分も遭遇したかもしれない局面の数々。
僕も、数年前に父を亡くして喪主を務めたことがあったので、シンパシーを感じました。
どれだけ近しい人であっても、その人が心の奥底で本当はどんなことを思っていて、何を感じながら生きていたのか、ということは理解して共有していたつもりでも、本当のところは分かち合えていなかった部分も多くあるのだと思います。
それは、お互いに愛し合えていなかったということでもなく、人間がひとつのフィールド、1人の人間と関わって生きている以上、起こる不可避な状況なのだと思います。
平野啓一郎『本心』は、まさにそういったテーマで描かれていた作品で、『滑り落ちる時計たちの波紋』のあとに始まった「分人主義」の考え方なのだと思います。
父が抱えていたものは、太平洋戦争に関するもので、ビルマでの過酷な日々の凄惨な記憶でした。
戦争を知る者は他者に積極的に語る者と、口を閉ざす者に分かれるようですが、父は後者だったのでしょう。
そこに存在した極限の状況。
生と死の狭間。
狂気。
あったかもしれない加害者としての残虐性。
しかし、父は沈黙し続けて胸に多くのものを抱えて逝きました。
康蔵は、改めて父の沈黙について考える。
彼は明らかに、自らそこに言葉を渡そうとすることを拒んでいた。しかしそれを、渡させなかったのは、恐らく父である。
今、その死により、最後に、決定的に開始された沈黙。とするならば、生前の沈黙はいわば仮初めに過ぎなかったのであろうか。
③珍事(『群像』2003年11月号)
汚い言葉ですが。
「目糞鼻糞を笑う」
という言葉を物語にしたような話でした(笑)
④閉じ込められた少年(同上)
少年はどこに閉じ込められたのか?
物語の中に?
少年が憎いあん畜生にナイフを突き立てるところを中心として、時間が巻き戻っていく。
いやぁ、斬新ですね。
⑤瀕死の午後と波打つ磯の幼い兄弟(同上)
市街地での事故と、磯でのアクシデント。
本来、交わることのない2つのエピソードが1匹の小さな蟹を接点に繋がる。
面白い短編でした。
⑥les pettites Passions(同上)
「少年」についての5つの断章。
死を想起させられる残酷な物語。
⑦くしゃみ(同上)
えっと。
ふぅん、って感じでした。
⑧最後の変身(『新潮』2003年9月号)
150ページからなる、短編というか中編ぐらいのボリュームの作品。
『最後の変身』だけでも中編小説として刊行できたんちゃうん?っていうぐらいの内容でした。
『変身』はフランツ・カフカの名作のことで、作中で主人公が『変身』を読みその物語の本質について言及していて、「平野啓一郎的カフカの変身論」としても楽しめます。
物語の形式としては、手記形式ですが、横書きで書かれているのがとても斬新です。
インターネット上で書かれていた手記ということで、横書きなのですね。
発表は2003年ですが、まだまだインターネットも黎明期というべき時代。
ようやくADSLが登場して、ネットが使い放題になって、だいぶ高速化してきたぐらいだったでしょうか?
引きこもり、インターネットという旬なネタを横書きでぶっこみながらも、手記形式の独白体で自我の煩悶を描いているというところが古典的な文学の香りがしていて、最高すぎます。
斬新的で当時の旬のネタでありながら、しっかりと古典的な文学のフォーマットを踏襲しているっていうのがなんとも憎いね三菱、憎いね平野啓一郎です。
古民家カフェみたいな感じ?
生クリーム入りどら焼きみたいな感じ?
そんな新旧の融合が絶妙な作品です。
読み返してみましたが、相当面白かったです。
ずっと家に引き籠っている人間の独白を150ページも書けるって凄いなとかも思います。
いや、これ書いてみるとわかると思いますが、だいぶキツイっすよ?
この主人公は、『決壊』の北崎友哉の原型でもあり、インターネットの闇の片鱗を描いているところでも興味深い作品ですね。
『滑り落ちる時計たちの波紋』をはじめとする第2期の作品群は、第3期以降の「分人主義」のみならず、現代的な要素を物語に取り込むための準備・実験期間の作品であったかのように思います。
初期三部作『日蝕』『一月物語』『葬送』のロマンティック3部作で大時代的な、古めかしくも絢爛豪華な古典的文学を描いたあとに、跳躍するための準備としてとても意義深い作品であったと思います。
⑨バベルのコンピューター(『文學界』2004年1月号)
架空のアーティストによる芸術作品。
えっと、よくわかりませんでした(笑)
5、終わりに
わりと1人の作家の作品を時系列的に読み解いていくのが好きなタイプなのですが、第2期の作品はとても実験的ですが、のちの作品の肥やしとなっている部分もあり興味深いです。
18年ぶりぐらいに再読してみて、相変わらず「よくわかんねぇ・・・」って作品もありましたが、前後の作品の変化の汽水域(淡水と海水の交わる地点)にいるようで面白い体験でした。
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