1、作品の概要
『サイレントシンガー』は小川洋子の長編小説。
『文學界』2025年2月号に掲載された。
296ページ。
内気な人が集まってひっそりと暮らす「アカシアの野辺」で、彼らに寄り添いながら歌い続けるリリカの一生を描いた。

2、あらすじ
リリカは、母を幼いころに亡くして祖母と2人暮らし。
内気な人たちがひっそりと静かに暮らす「アカシアの野辺」で祖母が雑用係として働いている間、休養室預けられて彼らの指言葉を覚えながら成長していった。
やがてリリカは、祖母が亡くなったあとに雑用係として、「アカシアの野辺」になくてはならない存在になっていく。
夕方の17時になると毎日町役場から流れてくる「家路」を歌って録音したことをキッカケに歌うことを覚えたリリカ。
彼女のその静謐な歌声は、人々の営みをすり抜けるようにひっそりと響き渡る。

3、この作品に対する思い入れ、読んだキッカケ
好きな作家の1人である小川洋子。
彼女の6年ぶりの長編小説ということで、新刊で買って読みました。
さすがの世界観にどっぷりとハマって幸福な読書体験でした。
4、感想(ネタばれあり)
リリカって、なんだか痛み止めの薬みたいな名前だなって思ってたら、本当にお祖母さんが飲んでいた痛み止めの薬「リリカ」から取られた名前で驚きました。
リリカの母親は、男に捨てられた絶望で、自分の娘に対する愛着もほとんどなかったということみたいで、なんだか切ない話ですね・・・。
そのあとに母親が自分の長い髪を使って自死して、赤ん坊だったリリカ事切れた母親の髪の毛をしゃぶっていたというのは、さすが小川洋子やなという鬱エピソードでした( ;∀;)
呪いと死。
物心ついていなかったリリカは母親の死を引きずってはいませんが、髪を伸ばすことを禁じるという呪いを自らかけてしまいます。
長い髪から母親の死を連想して、祖母を心配させないために。
「死」は、小川洋子の物語にとって欠かせないファクターであると思いますが、のっけから衝撃的なエピソードをぶっこんできました。
同じ「死」が描かれるのでも、子供の死がよく描かれるのは個人的に印象的です。
『サイレントシンガー』でも、「アカシアの野辺」で迷子になって行方不明になり、(おそらく)そのまま死んでしまった男の子が描かれ、祖母が彼が寂しくないようにと、池のまわりに人形を作り始めます。
リリカがシンガーとして報酬をもらうようになってからも、11~12歳ぐらいの男の子の葬式でモーツァルトの「すみれ」を歌います。
鎮魂のための儀式。
他作品でも、子供の死が描かれる作品が多く、印象深いです。
小川洋子が好きなグリム童話では、冷酷にも子供が死んでしまう話が多いように思いますが、その影響でしょうか?
物語の世界観の核をなしている内気な人たちの集まり「アカシアの野辺」の存在。
一風変わったコミューンといったような存在で、独特のルールと成り立ちをしています。
そこで重んじられているのは沈黙。
会話をするのも指言葉という手話のような手文字で会話するほどの徹底ぶりで、外界とも必要最低限とのやり取りしかされず、リリカが担う雑用係の仕事も、外界との橋渡しのような役割も重要でした。
一角獣じゃなくて羊がいますが、どことなく村上春樹の『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』『街とその不確かな壁』の街みたいな雰囲気があります。
狙ってはないと思いますが、たまに村上春樹と小川洋子の物語の世界観が共鳴しあっているように感じる瞬間があるのですよ。
リリカの歌は誰にでも歌われるわけではなく、彼女の歌を必要とする人たちのために歌われます。
たとえ大好きな料金係さんの頼みであっても、歌うことができなかったのにはそのような理由があります。
世界から零れ落ちて忘れられていくような存在に対して。
そこに存在していることを認識されずに、空気のようになることを求められている時にこそリリカは歌声を放つことができるのです。
「無言でいるもののためでなければ、歌うことができないんです」
幼いころから沈黙を尊ぶ「アカシアの野辺」で生きてきたからこそ、静謐さを音楽にして歌い上げることができる。
そこにあるはかない調和を静けさを壊さないように空気に同化して、心を声帯を震わせることができる。
リリカは、「静謐な音楽」という矛盾した事柄を成立させうる稀有な存在でした。
余談ですが、歌といっても多種多様で、オペラのように朗々と歌い上げる歌と、ポップスやロックのように特徴的な声で勢いよく歌い上げる歌と、合唱のように周囲と調和してハーモニーを奏でる歌いかたとでは全く違います。
リリカの歌い方は合唱の歌い方のようで、単独で上手ければ良いというものではなく、むしろ目立たずに周囲と溶け込むような発生の仕方が好まれます。
彼女の歌はそこにある事物の本質の奥にまで届いて同化し、慰撫するような特別な歌だったのだと思います。
まるで草原を吹き渡る風のように、春の緑を優しく濡らす慈雨のように。
料金係さんからの事実上のプロポーズも断って、「アカシアの野辺」で生きるリリカ。
この恋の結末は淡く切ないものでしたが、祖母や、人形たち、2頭の鹿の霊魂が宿るこの地を離れることはできなかったのでしょう。
物語の最後に夫の葬式の歌をリリカに依頼に来たのは、もしかして料金係さんの妻だったのでしょうか?
「家路」を歌って欲しかったと、幼かったリリカが歌っている「家路」に耳を澄ませる彼女。
こうやって、誰が歌っていたかもわからなくなって、日常の中に溶け込んでも空気のように世界に響き続けるリリカの歌声。
彼女がささやかに守り育もうとしたものか細さに、心が震えました。
5、終わりに
もうベテランの域に達している御年63歳の小川洋子ですが、まだまだ彼女の物語の泉の源泉は瑞々しく潤っていて、透明な清水がこんこんと湧き出しているように感じました。
6年ぶりの長編小説『サイレントシンガー』でも、独特なヨーロッパ的な異世界感と死者たちの残影。
森と泉、沈黙とともに生きる人々の息遣いが聞こえてくるような素晴らしい物語でした。
元合唱部キャプテンのヒロ氏としては、物語の核に「歌」があったことも嬉しくも興味深かったです。
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