1、作品の概要
『女神』は三島由紀夫の中編小説。
1955年に刊行された。
『婦人朝日』の1954年8月号~1955年3月号に連載された。
文庫版で150ページ、短編も含むと338ページ。
新潮文庫版には、「接吻」「伝説」「白鳥」「哲学」「蝶々」「恋重荷」「侍童」「鴛鴦」「雛の宿」「朝の純愛」ら10編の短編小説が収録されている。
1960年にTVドラマ化された。
女性の美に異様な執着をみせる男と、その妻子の常軌を逸した日常を描いた。

2、あらすじ
女性の美に異常な執着を持つ周伍は、美貌の妻・依子を女神のような美の化身に育て上げるが、空襲による顔の火傷で彼の夢は無残にも崩れ去ってしまう。
失意の底に沈む周伍だったが、美しく成長した娘・朝子を依子と同じように美しく育てることに生きがいを見出し、教育に心血を注ぐようになる。
醜い火傷のために家に閉じこもりがちになり、夫を激しく憎んでいた依子も、美しく成長していく朝子の姿には目を見張っていた。
ある日、朝子は銀座で交通事故にあった天才画家・斑鳩一を助け、彼から熱愛されるようになる。
一方、周伍と一緒に参加したパーティーで紹介された永橋俊二に見初められて、デートを繰り返す朝子。
美への執着と愛憎が複雑に絡み合い、やがてある出来事へと繋がっていく・・・。
3、この作品に対する思い入れ、読んだキッカケ
あまり積読はしないタイプではあるのですが、買ってはみたものの読まないままに本棚に飾られているパターンがたまにあったりします。
三島由紀夫『女神』もそんな1冊で、けっこう前に買ったまま読めてなかったものをようやく読めました。
一時期、なぜか三島の文章が合わずに読めなかった時があったのですが、最近はむしろするすると読めて、定期的に読みたい作家の1人になっています。
4、感想(ネタバレあり)
美への異常な執着と、ドロドロとした愛憎。
大衆文学寄りの作品のようで、芸術、美とは何かを表現したような作品であるように感じました。
女性の美に異常なまでに執着し崇拝する男・周伍ですが、まあここまではなくても男性であれば誰しもが抱えている、女性的な美への憧憬を極端にした人物であると言えます。
ただ、異常ではあるものの周伍の女性の美に対する傾倒はどこかひとつの芸術作品を作る芸術家のように純粋で、ストイックですらあります。
しかし、芸術作品といっても相手は生身の女性。
肉体の衰えもあれば、無軌道な恋に落ちることもあって思い通りにはなりません。
作者の三島由紀夫も『女神』における「永遠の女性」という生身の女性にとって迷惑な幻想をこのように語っています。
「永遠の女性」といふものに対する男の考へ方は、わがままなものである。いくら幻滅してもうまない。女性の側からみれば「永遠の女性」に見立てられた女は、くすぐつたくもあり迷惑でもあらう。私はさういふ男の理想と、女の現実の食ひちがひをゑがくために、このやうなケースが、ちよつと悲劇的なまでに極端な形になつた物語を語らうと思ふ。
周伍の女性の美に対する執着は性愛すら超えていて、どこか畏敬と崇拝の念すら感じるようです。
妻が火傷を負ったあとにも、他の女性に走ることもありませんでしたし、資産家でありながら妻以外の女性に興味を抱くこともなかったようでした。
偏執的ではあっても、どこか純粋で崇拝するように女性の美を崇め奉っているような印象でした。
実際、美というものは、崇拝と信仰によって、はじめて到達しうるものかもしれない。
「女性は美しくなくてはならない」という、周伍の偏った価値観の中で生きてきた妻の依子。
周伍は、彼女が出産することすら快く思わずに、生まれてくる子供には一切の関心を持っていないというだいぶぶっ壊れている価値観の持ち主ですが、火傷によって彼の価値観の中で生きられなくなった時に、妻・依子の中で周伍への愛情は憎しみへと変容します。
火傷が彼女を醜く変えてしまいましたが、永遠に美しくあることは生身の人間には無理な話で、いずれは醜く衰えてしまうことは必然であったのかもしれません。
火傷のため家に引きこもり、夫に対して呪詛を唱えつづけるようになった依子と、ずっとほったらかしだったくせに依子の代わりに美しく育てられる可能性があるとわかると、手のひらを返したように朝子をかわいがるようになった周伍。
こんなアンバランスで歪な家庭に育ったのに、朝子はとてものびやかに美しく成長していきます。
三島作品に描かれる若い女性はとても生き生きとしていて勇敢な印象がありますね。
物語は朝子の恋愛を軸に進んでいきます。
交通事故で怪我を負った天才画家・斑鳩一と、アメリカ帰りのイケメン御曹司・永橋俊二。
一は天才らしく子供っぽく自分勝手な性格で、どう考えても俊二のほうとくっつくやろって展開で実際にデートを重ねるのですが朝子は俊二に恋心を抱くことができません。
あまりにおあつらえ向きでピッタリすぎると、かえって恋心が芽生えたりしないものなんですかね?
乙女心は難しいっすね。
『この人は私とまったく好一対という具合の人で、頭もいいし、運動は万能選手だし、お婿さんということになったら、お父さまはまず第一に賛成なさるだろう。でもこの人を見ていると、私、自分の影を見るような気がする。この人のつまらなさが一番先に見えてしまうのは、私だけじゃないかしら。とてもこの人と恋愛なんかできそうもないわ』
三角関係の話かと思いきや、依子の周伍への復讐、俊二の過去の不実、一と依子の不貞が奇怪なドロドロとした愛憎劇を展開していきます。
朝子が一との愛に走って破滅的なラストを迎えるのかと思っていましたが、そうはならなかったのは意外でした。
そういった愛憎を超越したような境地に到達して、周伍が求める存在になった朝子。
朝子の「ええ、やっと2人きりになれたんだわ」といった言葉は、物理的に2人きりになったということの他に、周伍の求めていた存在になって彼とわかりあえたことを表しているように思いました。
朝子はふしぎに、父と自分とが、まるで別の道をとおって、ひとつところに落ち合ったとしか思えなかった。彼女は今しがたうけた醜い打撃などに少しも傷つけられていない、不死身の、新しい朝子が、自分のうちに生まれるのを感じた。人間の悲劇や愛欲などに決して蝕まれない、大理石のように固く、明澄な、香しい存在に朝子は化身した。
結局、『女神』は父娘の物語であり、他の登場人物は2人がこの境地に到達するための存在として描かれていたように感じました。
5、終わりに
短編も『待童』『恋重荷』『雛の宿』など良かったのですが、今回は感想を割愛させて頂きます。
ちょうど今年は三島由紀夫生誕100年みたいですし、何冊か読んでみたいですね。
『夏子の冒険』『禁色』あたりを読んでみようかな?
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