1、作品の概要
『月』は日本の映画。
2023年10月13日に公開された。
原作は辺見庸の小説『月』。
上映時間は144分。
監督・脚本は石井裕也。
主演は宮沢りえ。
第47回アカデミー賞の最優秀助演男優賞を磯村勇斗が受賞した。
障害者施設に就職した洋子は、日常的に行われて隠蔽されている虐待を目の当たりにする。
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2、あらすじ
作家の堂島洋子(宮沢りえ)は、デビュー作で文学賞を受賞するが、それ以来書けなくなってしまっていた。
洋子は障害者施設で働き始め、彼女の小説のファンだという坪内陽子(二階堂ふみ)や、心優しい職員さとくん(磯村勇斗)と徐々に打ち解けるようになるが、施設では虐待が横行していた。
夫の昌平(オダギリジョー)は心臓に障害を持っていて3歳で亡くなってしまった息子のことを想いながら、洋子の心の傷を慮り、話題にしないようにしていた。
そんな折、洋子は妊娠をして、産むべきかどうか1人で悩むようになる。
陽子は小説のコンクールに落選し続け、さとくんは施設内での現実に絶望し始めていた。
そして、隠され続けていた真実が明るみに出始め、未曽有の事件が起こる・・・。
3、この作品に対する思い入れ、観たキッカケ
『月』は以前から気になっていた映画で、近所のゲオでレンタルしていなかったので、どうしようかと思っていたらアマプラで配信してくれたのでソッコー観ました。
2016年に起こった相模原障害者施設殺傷事件をもとにした作品ということで、だいぶ重い内容でしたが、とても考えさせられる内容でした。
以前、障害者地域作業所、グループホームなどで働いていたこともあって興味深く拝見しました。
4、感想(ネタバレあり)
森の中にある重度知的障害者施設。
森によって隠されているということと、現実世界から隔離された別世界というような意味合いがあるように感じました。
以前僕が働いていた障害者のかたの作業所は、地域の中で生きていくことがコンセプトのひとつとしてありました。
ですので、バザーなど地域の行事などにも参加して積極的に社会参加をしていたように思います。
作業所の代表者の人がよく言っていたのは「入所施設は、地域から隔離されていて、障害を持った人たちの人権も尊厳も踏みにじられている」というようなことでした。
僕がそこで働いていたのは17年前とかなので、昔と状況は変わっているのかもしれませんが、この映画を観てそれほど大きく状況は変わっていないのかもしれないと思いました。
高齢者施設でもたびたび虐待がニュースになったりしますが、以前よりは虐待を防止するための取り組みが増えてきています。
しかし、障害者施設のほうは隔離されていて、映画の中できーちゃんのお母さんが言っていたように「他に行くところもないし・・・」という理由で多少虐待されていても目をつむってしまうというところもあるのかもしれませんね。
そんな施設のリアルな現状を伝えるためもあったのか、撮影には和歌山県内の障害者施設も協力をしてもらい、障害を持った当事者のかたも出演していて、とてもリアルな施設の雰囲気がありました。
映画の中の虐待の場面は、スタッフがそれらの施設で見てきたことでもあったようですね。
そんな現実に優しく、理想を持って施設に就職してくる職員も少しずつ心を殺されていってしまいます。
陽子も、さとくんもそうで、のちの事件の引き金にもなっていきます。
相模原の事件の犯人の植松聖は、映画のさとくんとはだいぶ違ったキャラクターで施設で職員として働く前からだいぶヤンチャなキャラクターで、刺青を入れたり、喧嘩で補導されたりしていたようですね。
ただ、植松も入浴介助中に溺れかけた利用者を助けたら、保護者からは余計なことをしやがってという雰囲気を感じたと言っていたようです。
まあ、あくまで植松自身の感じたことですし、普段の勤務態度には暴行・暴言など問題が大きかったようですね。
しかし、調べてみると大麻で精神的におかしくなって妄想にとりつかれて、障害者を皆殺しにすべきだと言い始めて、犯行に至ったのは映画のさとくんとほぼ同じでした。
犯行の手口などもほぼ忠実に映画で再現されており、こんなに稚拙な動機で、これだけの大量殺人が行われたことに改めて愕然としました。
障害者施設での虐待と、事件以外でも、「隠される事実」というのが登場人物たちのキーワードになり物語が紡がれていきます。
洋子は、自らの妊娠を夫の昌平に隠して、昌平は死んだ長男への想いを隠してお互いが傷つかないようにしています。
誰かを傷つけないために、平穏な日常を保つために隠されていく現実。
陽子の両親も、夫の不実を隠して、表面上は敬虔なクリスチャンとして生活をして、娘の仕事を褒める。
うわべだけ取り繕って、汚いものには蓋をしてしまう。
表に出ている綺麗な現実だけを見ようとする、そんな社会の病理を障害者施設での事件を通して描いているように思いました。
障害を持って生まれてきて、コミュニケーションを取ることもできない重度の知的障害を持った方たちが心を持っていると言えるのか?
きーちゃんのように、施設の部屋に押し込められたことで、寝たきりになってしまって、目もほとんど見えなくなってしまっていて、ただ胃ろうで栄養を注入されて生きている存在に生きる意味はあるのか?
自分の子供に重い障害があると、産まれる前にわかったとしたら、そのまま産むのか?それとも・・・。
命に関する重い問いかけがなされていました。
夜の施設でのさとくんと、洋子の論戦はこれらについての意見のぶつけ合いでした。
洋子とさとくんだけではなく、洋子の心の中での葛藤も表現した緊迫感がある場面。
洋子がきーちゃんとの繋がりから感じたことを書いた小説が、さとくん=植松聖への命の持つかけがえのなさを訴える答えになっているのではなかったのかと思いました。
5、終わりに
障害を持った子供とともに生きることは、簡単ではないし、そこには大きな葛藤が存在します。
それでも授かった命を。
産まれてきてくれた子供とどう向き合うのか?
綺麗ごとだけではなすまされないし、乗り越えるべきものは多いと思います。
以前働いていた作業所の方からは、障害を持った人たちの中に親から心中されそうになった経験を話された人も多いと聞きました。
実際に休日のお出かけクラブに来ていた親子がある日来なくなって・・・、という痛ましいこともありました。
目を背けずに事実にしっかりと光を当てていくこと。
痛みを伴うことかもしれませんが、そうやって先に進んでいくことの大事さを訴えていた映画であったように思いました。
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