1、作品の概要
『なぜあのキャラはしななければならなかったのか?名作の「死」の描写で辿るマンガ・アニメ史』は、浦澄彬の評論。
2024年12月19日にフォレスト出版より刊行された。
231ページ。
『あしたのジョー』から『鬼滅の刃』まで、様々なアニメ作品の架空のキャラの死を通して、実際の社会の流れを考察する。

2、内容
昭和から令和まで、数々のアニメ作品中で描かれたキャラクターたちの「死」は、何を伝えようとしているのか?
第1章 二〇世紀の名作アニメに描かれたキャラクターの死
第2章 死を描かない京アニ作品から死を辿る
第3章 社会現象としてのキャラクターの生き様と死に様
第4章 死んでも蘇るキャラクターから見る平成アニメの死生観
第5章 平成・令和のキャラクターに学ぶこれからの生き方
3、この作品に対する思い入れ、読んだキッカケ
Xのスペースで村上春樹作品について対談で語られていて、作中の登場人物たちの死について語られていたのがとても印象的だったので、『なぜあのキャラはしななければならなかったのか?名作の「死」の描写で辿るマンガ・アニメ史』も読んでみたいなと思いました。
読んでいて、幅広い年代のアニメ作品が引用されていて、とても興味深い内容でした。
『機動戦士ガンダム』『北斗の拳』などの昭和アニメも引用されていたのは、昭和生まれの初老からすると嬉しかったです!!
4、感想
第1章 二〇世紀の名作アニメに描かれたキャラクターの死
宮崎勤の事件が起こるまで、アニメの過激描写は規制されることなく、今考えるとヤバすぎる内容のアニメがフツーに夕方とかにお茶の間に流れていました。
1970~1980年代はそんな時代で、1977年生まれのヒロ少年も当時はトラウマレベルの衝撃体験をしたものです(;^ω^)
『海のトリトン』は観たことありませんでしたが、敵の一族を皆殺しにしてしまうという展開は、『ぼくらの』を思い出しました。
『宇宙戦艦ヤマト』もうろ覚えでしたが、劇場版ではヤマトが特攻して全員死ぬけど、ガミラス星人も皆殺しにするっていう衝撃的なラストだったのですねぇ。。
令和なら、R指定ものの救いがたいグロ展開がフツーに夕方のアニメとかで流れていたのが昭和クオリティですね。
ファーストガンダムも最近全話観返しましたが、サクサク人が死んで、「悲しいけど、これ戦争なのよね」ってスレッガー中尉状態になりました。
この時代って、まだまだ現代に比べると、人の命が軽いというか死が身近だったように思えるのは僕だけでしょうか?
一緒に遊んでた下級生が病気で死んだり、知人の年上の人がバイク事故で死んだりとか。
若くして死ぬ人も多かったような・・・。
まだまだ医療技術も今と比べては稚拙でしたし、飲酒運転もバンバンされていたりしましたしね。
40年前は今より死が身近なもので、そのあたりの感覚がアニメの描写にも関与していたようにも思えました。
第2章 死を描かない京アニ作品から死を辿る
2000~2020年あたりって、僕的にあまりアニメを観ていなかった時期なのですが、京アニの作品はよく耳に入ってきていました。
京アニの作品が、あえて死を描かないというテーマで描かれているという考察は面白かったですね。
たしかにこの時期のアニメって、『GANTZ』『東京喰種』『進撃の巨人』などハードで多死が描かれるダークな作品が多かったように思います。
この頃から、深夜アニメが増えていった理由もうなずけますね。
東日本大震災後に、現実に起きた災害、多死から逃れるように癒しを求める傾向がアニメの視聴傾向にも顕れたこと。
現実の事件と、作品に求められるものがリンクしているのは興味深く思いました。
そして、京アニ事件後に作られたはじめての作品である劇場版『ヴィオレット・エヴァーガーデン』に託された想いについても。
第3章 社会現象としてのキャラクターの生き様と死に様
好きなアニメ、リアタイで観ていたアニメばかり取り上げられていて、テンションが上がった章でした(笑)
『あしたのジョー』の力士の死は、現実世界でも葬儀が行われるほどのインパクトがありました。
たしかにあれほど粋な敵役はいないですし、ジョーと戦うために地獄のような減量をくぐり抜けた力石は男の中の男ですね。
そして、ジョーも力石の想いを背負いながら苦しみながらもカーロス・リベーラとの戦いのリングにのぼり、真っ白に燃え尽きてしまう。
昭和的なロマンチシズムかもしれませんが、死んでも勝つとか、亡き敵(とも)の想いを背負って戦うとか激アツすぎます。
理屈と、損得勘定で動く若いやつに100回ぐらい読ませたいっす!!
損得を超えた、義理人情とか意地みたいなことに命を賭せる物語。
力石も魅力的ですが、『北斗の拳』のラオウも最高で「わが生涯に一片の悔いなし!!」はアニメ史に残る名言ですね。
これほど魅力的な悪役はいないですね~。
『タッチ』の3角関係は死んでしまった和也への遠慮を今なら感じられます。
『ノルウェイの森』の3角関係にも通ずる物語。
やはり、死んでしまった相手はある意味で絶対的な存在なんですね。
次章にも繋がりますが、エヴァンゲリオンの綾波レイが死んだ翌日に普通に復活(というかクローンだけど)しているという話は、死を軽くリアルから離れたものとして描くようになるキッカケだったという話は深く納得しました。
2000年代に入って、「死」というものが身近なものではなくなったような印象があって、そのことがアニメ作品にも反映されているように思いました。
少子化、医療技術の発展、核家族化などの要素があって、以前より人の死がリアルではなくっていっているように思います。
第4章 死んでも蘇るキャラクターから見る平成アニメの死生観
死がスタートになる『GANTZ』は、死んでも蘇る作品の代表格と言えるかもしれません。
死んだ奴を異星人のオーバーテクノロジーで蘇生させ、ループする苛烈なデスゲームへ強制的に参加させる。
言わば命のリサイクル的な発想で理には適っていますが、生きて自由になりたいと願う参加者たちの想いがあり、そこにドラマが生まれます。
いや、ガンツめっちゃ好きな漫画なんすよね~。
タイムリープ、マルチバース的な展開も現代特有なのかなと思いました。
第5章 平成・令和のキャラクターに学ぶこれからの生き方
『進撃の巨人』と『鬼滅の刃』の対比はとても興味深かったです。
マルチバース的で複雑な展開をみせる進撃と、起承転結がはっきりしていて王道の鬼滅。
鬼滅の記録的ヒットには、コロナ渦という要素も深く絡んでいたという話には深く同意しました。
新海誠監督作品も好きなので、『天気の子』が『キャッチャー・イン・ザ・ライ』のオマージュだという話にはビックリでした。
主人公が『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(もちろん村上春樹訳だ)を肌身離さず持っていたというのも興味深いですね~。
5、終わりに
架空のキャラクターの死がもたらしたものはなにか?
時代と物語のなかの死の相関関係を探る評論はとても興味深いものでした。
死生観は、物語の中でとても重要なファクターなのだなと改めて感じました。
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