1、作品の概要
2005年9月16日に新潮社より単行本が刊行され、2007年12月1日に新潮文庫より文庫化された。
5編の短編小説からなる。
単行本で212ページ。
『新潮』2005年3月号~6月号に4編の短編小説が掲載されて、『品川猿』が書き下ろしで収録された。
単行本のイラストは松永かの。
『ハナレイ・ベイ』が吉田羊主演で2018年に映画化された。
東京の片隅で起こった奇妙な5つの物語。

2、あらすじ
①偶然の旅人
村上春樹が冒頭に語った奇妙な2つの物語。
偶然で終わらせるにはいささか奇妙な物語を、ピアノの調律師の男も持っていた。
毎週火曜日にショッピングモールのカフェで読書をしていた彼は、偶然に同じディッケンズ『荒涼館』を読んでいる女性と打ち解け、食事を共にする。
翌週、同じカフェで再会したときに彼女は・・・。
②ハナレイ・ベイ
サチの息子は19歳の時にハワイのカウアイ島ハナレイ湾で、鮫に右脚を喰いちぎられて死んでしまった。
以来、10年間息子の命日に3週間ハナレイを訪ねて、海を眺め続ける彼女。
いつものようにハナレイに滞在していたサチは、大学生のサーファー2人連れにヒッチハイクされて、現地での生活を手伝ってやる。
彼らが「片脚の日本人サーファーを見かけた」と言うのを聞いて彼女は・・・。
③どこであれそれが見つかりそうな場所で
日曜日の朝に、2階下のマンションに住む母の様子を見に行って、そのまま煙のように消えてしまった男。
男の妻は、「消えた人を探すことに関心を持っている」という「私」に夫探しを依頼する。
「私」は、エレベーター嫌いの男が使っていた階段と踊り場を詳しく調べ始めるが・・・。
④日々移動する腎臓のかたちをした石
小説家の淳平は、父親に「男が一生に出会う中で、本当に意味を持つ女性は3人しかいない」と言われて、その言葉に縛られていた。
1人目と思われた女性は、彼の親友と結婚してしまっていた。
慎重に2人目を見極めようとしていた彼は、友人の開いたパーティーでキリエという女性と知り合う。
2人は逢瀬を重ねるが、キリエは自分の職業を明かすことは決してなかった。
キリエの協力もあり、「日々移動する腎臓のかたちをした石」という短編小説を書き上げた淳平だったが、キリエと突然連絡が取れなくなってしまう。
⑤品川猿
夫婦で品川区にあるマンションに住んでいる安藤みずきは、1年ほど前から自分の名前を思い出せなくなってしまっていることに悩み、区役所の「心の悩み相談室」で、カウンセラー坂木哲子のカウンセリングを受ける。
名前に関して思い出せる出来事を語っていくうちに、高校3年生の時の寮の後輩・松中優子のことに思い当たる。
みずきは、松中優子が実家に戻る時に「猿に取られたりしないように」と名札を渡されて、彼女がそのまま自殺してしまったことを坂木に伝えるが・・・。
3、この作品に対する思い入れ、読んだキッカケ
『海辺のカフカ』『アフターダーク』と刊行されて、2005年に『東京奇譚集』が刊行されたのですが、このあたりから単行本で買うようになっていました。
でも、まだ新刊じゃなくてブックオフで買ったりしてたけど(笑)
2005年って、わりと最近のように感じていましたが、もう20年も前なんですね・・・。
基本的に長編大好き人間なのですが、最近短編の魅力にも気づかされ始めました。
『東京奇譚集』は、僕の中でそれほどインパクトがある作品ではなかったけど、読み返してみて、物語な奇妙な味わい深さに強く惹きつけられました。
まるで断崖絶壁の上から、漆黒の海に白く泡立つ波間を見下ろすみたいな作品群でした。
4、感想(ネタバレあり)
①偶然の旅人
前口上に、村上春樹自身が登場する珍しい短編です。
彼が語ったジャズに関する2つのエピソードは、「えっ、そんなことある?」ってなぐらいの驚きのエピソードですが、偶然と言ってしまえばそれまでのことでもあったりします。
僕自身も、何度かそんな不思議な偶然みたいなものに巡り合ったことがありますが、だからといって「神のお告げだっ!!」とか言い出すつもりはありませんし、こういう運命の導きみたいな奇縁があるのだなとしみじみ思うことがあります。
そんな村上春樹自身の不思議なエピソードに呼応して語られたピアノの調律師の男のエピソード。
ゲイのピアノ調律師で、プーランクが好きとか、いかにも村上春樹の物語の主人公的な感じが良いですね。
個人を特定されないようにボカしてあるということですが、ゲイのピアノの調律師というところは真実な気がします。
ショッピングモールのカフェで、読書をしていて読んでいた本が同じディッケンズ『荒涼館』だったことで、居合わせた女性から声を掛けられる。
読書家の僕はもちろん読んだことはありませんが、マイナーな本だと思いますし、それを閑散とした平日のカフェで隣り合わせた他人同士が読んでいるって、天文学的な確率ですよね!!
「だからなに?」っていうことでもありますが、初対面の男女が打ち解けるには十分にドラマチックな出来事だったと思います。
そして、彼女から乳がんの再検査を受けることを聞いて、長年疎遠になっていた姉に電話をかけたら姉も乳がんでちょうど入院するところだった・・・。
いや、こんなことある?
ディッケンズ『荒涼館』を読んでなかったら、女性から声をかけられなかったでしょうし、乳がんの話を聞くこともなくて、このタイミングで姉に電話しようとも思わなかった。
大きな偶然が2つ重なっています。
初読した時は「ふーん」ぐらいで読んでましたが、年齢を重ねて「そうだよね。あるよね、そういうこと」って感じ方が変化しましたし、この短編小説がより好きになりました。
しばしばある偶然の一致。
ただの偶然で終わらせるか、それともそこから何かしらのメッセージを受け取るのか?
偶然の一致というのは、ひょっとして実はとてもありふれた現象なんじゃないだろうかって。つまりそういう類のものごとは僕らのまわりで、しょっちゅう日常的に起こっているんです。でもその大半は僕らの目にとまることなく、そのまま見すごされてしまいます。まるで真昼間に打ち上げられた花火のように、かすかに音はするんだけど、空を見上げても何も見えません。しかしもし僕らの方に強く求める気持ちがあれば、それはたぶん僕らの視界の中にひとつのメッセージとして浮かび上がってくるんです。
僕も来週の火曜日は、カフェでディケンズの『荒涼館』を読みながら、プジョーに乗った奥様に声をかけられて一緒にフレンチを食べながら白ワインを飲むチャンスを窺いたいと思います。
②ハナレイ・ベイ
「女の子とうあまくやる方法は三つしかない。ひとつ、相手の話を黙って聞いてやること。ふたつ、着ている洋服をほめること。三つ、できるだけおいしいものを食べさせること。」
という、サチの金言です。
男性諸君、メモりましょう(笑)
映画では、サチ役を吉田羊がやりましたが、かっこいい中年女性という感じで良かったっすね。
自分の力で道を切り開いてきた女性ですが、ちょっとアウトローな感じも魅力的です。
1人息子がサーフィンをしていてハナレイ湾で鮫に食い殺されて死んで、それ以来息子の命日が近づくと3週間ほどハナレイの町を訪れて海を眺めながらぼんやりと過ごす。
10年も。
地元では、鮫に食い殺された日本人サーファーのマムとして認知される。
物語になりそうな情景だけど、彼女はなぜハナレイに通い続けていたのか?
悲しくてしょうがなかったから、少しでも息子の残滓のようなものを感じたかったから。
そうかもしれませんが、僕としてはサチが息子の死を「どこか心に膜があって、しっかりと悲しむことができなかったから」みたいに感じました。
ただしく息子を悼むこと。
ぼんやりとハナレイの海を眺めながら過ごす日々は、そのためのある種のイニシエーションのように感じました。
しかし、ハナレイの町でサチが遭遇したのは行きずりのチャランポランの大学生サーファーが息子の姿を見かけて、彼女は息子の姿を目にすることができないという不条理でした。
なぜこのようなことが起こるのでしょうか?
やんちゃして死んじゃって、母親に合わす顔がないとか?
サチは涙を流して、10年も通い続けたのに自分の前には姿を現してくれない息子に「ねえ、どうしてなの?そういうのってちょっとあんまりじゃないの」と訴えかけます。
でも、結局は彼女はすべてを受け入れなくてはならない。
それが自然の豊かさと厳しさ、摂理なのだから。
ハナレイは、そんな自然の摂理を感じさせられるようなところなのでしょう。
彼女にはわからない。彼女にわかるのは、何はともあれ自分がこの島を受け入れなくてはならないとうことだけだった。
最後の文章も余韻たっぷりで素晴らしかったです。
『ダンス・ダンス・ダンス』でもハワイが舞台になりましたが、村上春樹はハワイ好きなんすかね?
1度行ってみたい場所です。
打ち寄せる波の音と、アイアン・ツリーのそよぎのことを考える。貿易風に流される雲、大きく羽を広げて空を舞うアルバトロス。そしてそこで彼女を待っているはずのもののことを考える。彼女にとって今のところ、それ以外に思いめぐらすべきことはなにもない。ハナレイ・ベイ。
書き写していて、ゾクゾクしました。
情緒たっぷりな超名文ですね。
映画もとても素晴らしい作品です。
吉田羊も素晴らしいですが、チャラい大学生サーファー役をしている村上虹郎が僕の推し俳優です。
中村文則『銃』で西川を演じたのも彼です。
推しと推しのコラボは至福ですな。
③どこであれそれが見つかりそうな場所で
ちょっと一番よくわからなくて、一番奇妙な話でした。
高層マンションの中で突然失踪した男の捜索を依頼された男。
「ある種の消え方をした人に関心を持っている」「私にはいささかの能力がある」とはいったいどんなものだったのでしょうか?
思わせぶりたっぷりに展開して、どこかに届きそうになりながらも、結局失踪した男が仙台で見つかって物語は閉じていきます。
④日々移動する腎臓のかたちをした石
たしかに人生において本当に意味を持つ女性というのは3人ぐらいなのかもしれませんが、淳平においてはその父親の言葉は呪詛のように作用してしまい、彼の恋愛観に大きな影響を与えてしまいます。
誰かの言葉が胸の奥深くに食いこんでしまう。
その誰かは最愛の誰かなのでしょうか?
そんなことは全く関係なく、ふとした瞬間に放たれた言葉が杭のように深く心に打ち込まれることがあるように思います。
淳平も父親のことが好きではありませんでしたが、なぜかその言葉だけは彼の心に深く刻み込まれることになってしまう。
程度は違うかもしれませんが、僕も嫌いだった上司の言葉のいくつかが仕事をする上での指標のようになっています。
そういうのって、選び取ることができない種類のものなのかもしれませんね。
キリエはとてもミステリアスな女性で、自分の仕事を告げることなく淳平の前から消え去ってしまいます。
でも、彼女が命を吹き込んだ(ように思える)『日々移動する腎臓のかたちをした石』という短編小説は、淳平の思ったのとは違う形で素晴らしい物語として完成する。
キリエは淳平にとって触媒のような存在で、『日々移動する腎臓のかたちをした石』を完成させただけではなく、その先に書かれるであろう長編小説の扉の鍵になった。
何重もの意味が交錯するような複雑な味わいのする短編小説でした。
「職業というのは本来は愛の行為であるべきなんだ。便宜的な結婚みたいなものじゃなくて」
⑤品川猿
『1997年のピンボール』から『ノルウェイの森』でもみられたような若い女性の自死。
『品川猿』でも松中優子という女性が高校2年生の時に自ら命を絶ちます。
村上春樹という作家の作品の中で少女の自死、魂の救済というのは永遠のテーマなのでしょうか。
作家が語ることができるテーマというのは数が限られているということですが、繰り返し出てくるモチーフのひとつであります。
死というのはひとつの空白。
誰かが亡くなったあとにできる空白をなにが埋めるうるのでしょうか?
明確な答えはない。
ただ、それに寄り添うような物語をいくつも書いているところに村上春樹の祈りを感じます。
美人で頭も良くてお金持ちで、誰からも羨ましがられる存在だった松中優子。
でも、そんなふうに恵まれているはずの彼女は他者を嫉妬して、羨んでしまう泥濘を心の中に抱え込んでいた。
誰からも羨まれる存在の彼女が何故?
嫉妬という感情は腫瘍のようなもので、恵まれているかどうかは関係なく、心の中に小さな地獄を抱え込むようになっていくと語る松中優子。
凡庸な存在だったみずきですが、彼女は嫉妬の感情からは無縁だった。
彼女はそんなみずきが羨ましく、だからこそ自分の名札を託したのでしょう。
猿に取られないように。
「それは肉体における腫瘍みたいに私たちの知らないことろで勝手に生まれて、理屈なんか抜きで、おかまいなくどんどん広がっていきます。わかっていても押し止めようがないんです。幸福な人に腫瘍が生まれないとか、不幸な人には腫瘍が生まれやすいとか、そういうことってありませんよね。それと同じです」
しかし、品川猿とはまた珍妙なキャラクターが登場しましたね(笑)
品川区に住む品川猿。
なんか語感もいいです。
ちなみに続編『品川猿の告白』が短編小説集『一人称単数』に収録されています。
羊男とか、品川猿とか、牛河とか珍妙なキャラクターが作品にいろんな作品に複数回出ているって、村上春樹ってこういう珍妙なキャラクターが好きなんだなと微笑ましいです。
品川猿がみずきに告げた事実、「母と姉がみずきのことを全く愛していなくて、そのことでみずきも心の底から誰かを愛することができなくっている」とか、マジではっきり言うやん!!
猿の分際で!!
でもこういうのってわかる気がしますし、身近にもそういう境遇の人がいます。
そして、負の連鎖がやがて生まれてくる自分の子供にも及ぶ。
みずき自身も自覚はしていた残酷な真実。
それでも、彼女は真実と向き合い、課題を克服することを選びました。
5、終わりに
昔は、村上春樹といえば長編小説やろがいっ!!
長ければ長いほどええんやで!!
『ねじまき鳥クロニクル』『ノルウェイの森』『海辺のカフカ』『1Q84』サイコー!!
フォー!!
って、感じでした。
いや、やっぱ今も長編小説がやっぱ好きやねん。
とか、思うんですが、短編小説も味わい深いものが多いでござるなぁ~とか思うようになりました。
なんかスルメみたいな?
嚙めば嚙むほど味がでる的な?
『東京奇譚集』再読して、こんなに素晴らしい短編小説集だったのかと、味わいながら読みました。
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