1、作品の概要
『あちらにいる鬼』は、井上荒野の長編小説。
2019年2月7日に朝日出版より単行本が刊行され、2021年11月5日に文庫が刊行された。
小説『トリッパー』2016年冬号~2018年秋号にて連載された。
文庫本で341ページ。
文庫版の解説は川上弘美。
装幀の絵は、芥陽子。
小説家・白木篤郎と長内みはるの長きに渡る道ならぬ恋を、みはると、白木の妻・笙子の視点から描いた。
長内みはるのモデルは瀬戸内寂聴で実際に合った出来事を白木のモデルである井上光晴の娘・井上荒野が小説として描いた。
2022年11月11日に映画化された。
2、あらすじ
1966年、講演旅行がきっかけで男女の仲になる白木篤郎と長内みはるの2人の作家。
女たらしでふてぶてしい白木の妻・笙子は、2人の逢瀬に気付きながらも見て見ぬふりをしていた。
みはると恋仲になりながらも、他にも女を作り続ける白木。
10年近い不倫関係を終わらせるために出家を決意するみはる。
しかし、出家したのちも友人関係として白木と繋がり続けていた。
そして、長い時を経て白木という同じ男を愛し続けたみはると笙子との間に、奇妙は友情のようなものが生まれ始めていた。
3、この作品に対する思い入れ、読んだキッカケ
映画化した時に、本屋さんにドーンと平積みになっていて、あらすじが面白そうだったので以前から気になっていました。
Xでも読了ポストを見かけていましたしね。
毎度、Xでフォローさせて頂いている皆様からはいろいろと情報を頂いております。
先日、ブックオフにいったさいに110円で売っていたので即ゲットしました。
まだわりと新しい本で、新刊で買おうかとも思っていたレベルだったので、ブックオフ様様でした。
ありがたや。
ただの不倫小説以上のスケールの大きさ、人生の、運命の数奇さに思いを巡らせるような良作でした。
これはぜひ映画も観てみたいです。
4、感想(ネタバレあり)
若い頃(晩年も?)は恋愛ジャンキーだった瀬戸内寂聴a.k.a.瀬戸内晴美。
結婚して出産後も若い男と不倫して、離婚後にまた別の男と付き合い、そして井上光晴と不倫関係に・・・。
いや、出家していて青空説法しているイメージが強かったので意外でした。
そういえば、小説『花芯』も文壇からだいぶ攻撃されて、エロ小説だの、子宮作家だの揶揄されてたんすよね。
小説は読んでないですが、映画のほうは観ました。
だいぶ性的な内容ではありましたね。
うん。
そんな瀬戸内寂聴と井上光晴の不倫を、井上光晴の娘で作家である井上荒野が書いた小説が『あちらにいる鬼』でした。
あらすじや、その設定を聞いたときは、それってどんだけの修羅場と思いましたが、瀬戸内寂聴と井上荒野は仲良しで、この小説も執筆に際して瀬戸内寂聴は取材に協力を惜しまなかったようですね。
かつて父の愛人だった女性とその娘の人間関係がどう成り立つのか不思議に思いますが、『あちらにいる鬼』がただ男女の不倫小説にとどまらないのはこのあたりの不思議な人間関係にあると思います。
この物語の語り手はみはる=瀬戸内寂聴と、白木=井上光晴の妻である笙子の2人が一人称で1966年から2014年までの出来事を語ります。
みはると、白木が不倫関係にあったのは1966~1973年の7年。
道ならぬ恋愛を描いた作品でしたらここで終わるように思うのですが、その後も物語は続いていき、白木との友人関係、笙子、海里=井上荒野との交流と不思議な人間関係が描き出されます。
男と女の関係でなくなったあとも続く物語。
僕も47歳でいろいろ枯れつつあるので、こういった展開には興味がありました。
情愛の先にあるもの。
エロースとアガペーの間。
情熱と冷静の間。
とっかえひっかえ女性に手を出していた鬼畜の白木にとって、何故みはるだけが恋愛を終えても繋がり続ける特別な存在だったのでしょうか?
そこに何かしらの魂の交歓があったのか。
すこし江國香織『落下する夕方』の不思議なトライアングル、奇妙な関係性を思い出しましたが、年月を経ているだけに、さらに深みを感じさせるような関係性でした。
時代もあったのかもしれませんが、当時からしても白木の女たらしぶりは異常だと思いますし、家庭の在り方もだいぶ特殊だったようにおもいます。
まあ、作家はそのへんの倫理観がぶっ壊れている人間も多いと思いますが(;^ω^)
太宰とか太宰とか太宰とか。
そんな白木という男を愛人のみはる、妻の笙子という2人の視点で描いているのが独特で、違う立場で同じ男を愛した2人の心理の動きがとても興味深いです。
笙子の白木への許容は度が過ぎているように思えて、恋仲になった相手への手切れ金を笙子が渡しにいく場面とか、マジでありえなさすぎて白木の鬼畜ぶりがヤバすぎですわ(;^ω^)
そんな男とのどこがええねんって思いますが、めちゃくちゃ嘘つきですし。
48年という長い時を描いた物語。
白木が亡くなったあとも、笙子とみはるのかすかな交流が描かれます。
最初から二人の視点で描かれていたのですが、死後も二人の女性に影響を与え続ける白木の存在を感じました。
いや、どうしようもない男なんだけどね(笑)
5、終わりに
読了して『あちらにいる鬼』というタイトルの意味を考えましたが、よくわかりませんでした。
あちら(冥途)にいる鬼(白木篤郎)という意味合いだったのでしょうか?
装幀の絵もとても印象的で好きなのですが、なぜこの絵だったのだろうと不思議で、謎が残りました。
欠損があるから余韻があるのだと思うし、再読のモチベーションになることもあるので、すべてわからなくても良いとは思うのですが。
しかし、白木、みはる、笙子のトライアングルにはなにか運命的なものを感じるような気がしました。
「袖触れ合うのも他生の縁」と言いますが、袖どころか人生そのものが触れ合っていたような3人に、どのような「他生の縁」があったのか、思いを馳せずにはいられませんでした。
↓ブログランキング参加中!!良かったらクリックよろしくお願いします!!