1、作品の概要
映画『箱男』は日本の映画。
2024年8月23日に公開された。
上映時間は120分。
主演は永瀬正敏。
2、あらすじ
街の片隅で生き続ける異形の彼らは一体どんな存在なのか?
箱男にその箱を売ってくれと言った看護婦、空気銃で箱男を襲撃した贋医師の贋箱男。
奇妙な存在に触発されながらやがて、物語は融解し、物語であることすらやめてしまう。
果たして、この手記を書いている存在とは?
なにがどこまで真実なのか?
3、この作品に対する思い入れ、観たキッカケ
映画館で予告編を観て、めっちゃ面白そうやんって思って公開日を楽しみにお待ちしておりました。
映画公開前に、原作も読んで準備バッチリ全裸待機状態でした。
原作とはまた少し違った世界観でしたが、映画も奇妙な雰囲気で、よりフェチっぽくて変態性が増していて、よく晴れた日曜日の朝にぴったりの映画でした(笑)
4、感想(ネタバレあり)
27年前に『箱男』を映画化しようとして、諸般の事情でとん挫した経験をもつ石井監督。
彼はあきらめておらず、27年の時を超えて『箱男』の映画化を結実させました。
なんたる執念。
そして、27年の時を経たことで、ネットの中傷など逆により箱男の存在が現実的に引き立つような状況になっていたの皮肉な幸運でした。
序盤、街の片隅に箱男が佇シーン、贋医者、ワッペン乞食らと派手なアクションで戦うシーンなど、だいぶオリジナル要素が強かったです。
ワッペン乞食VS箱男の場面とかめちゃくちゃシュールでしたね(笑)
原作ではもっと観念的に箱男とはなにか?みたいなところを掘り下げていた感じだった気もしますが、映画でそれをやられると辟易しますし、街中を疾走する箱男のシーンとか奇妙で良かったです。
箱を被った人間が街中を疾走しているのに、群衆がわりと無関心だったのも現代社会に生きる人たちの無関心さと、事なかれ主義を暗に批判しているようにも思いました。
いや、僕も箱が走ってたら知らんぷりしますけどね?(笑)
あとですね。
原作以上に、エッチ、だったんですよ?
偏執的で、フェチシズムを感じさせられて、官能的な描写が際立っていた。
とかね。
ややこしく言えますけど、要するにエッチだったんです。
日曜日の朝からエッチな映画を観ている背徳感は異常かつ絶大でした。
クリスチャンは日曜日の朝に教会に行って聖なる時間を過ごしているのに、僕は映画館で性なる時間を過ごしていました。
いや。でも。もちろん。
エッチは主題ではなくてですね、でも覗き見るという行為にはどこか執拗で陰湿な性的な視線を想起させられましたし、実際に箱越しに裸体を見たり、性的な行為を覗き見たりなど、映像化することでより性的な要素が強い映画になっていたように思います。
原作にはなかったですが、贋医者役の浅野忠信が葉子役の白本彩奈に浣腸されてあうあう言っているところとか、変態性が高くて良かったっす。
主演の永瀬正敏の色気もヤバかったです。
演技とかじゃなくて、存在感で成立する役者なんじゃないかなと思います。
画面にいるだけである種の違和感や、バグを引き起こすような。
彼が写されているだけで次元が裂けていくような。
浅野忠信にもそんな存在感をかつては感じていましたが、最近では変容してしまった気がします。
それでもとても好きな役者なのですが。
永瀬正敏は、剥き身のナイフみたいにギラギラしていて「狂気」というワードがチープに感じられるほどに、常態的な狂気を静かに表現していたように思います。
僕が表現に求めるもので一番大きなものは狂気ですが、「俺はおかしいぞー!!」っていうなんか動的な表現で狂気を演じるより、常識とのズレを細部で演じる静的な表現のほうが幾倍も難しと思いますし、そんな演技をできる役者は稀有な気がします。
そんな言葉がありますが、この映画で繰り返し伝えられたのは「箱男を意識するものは、箱男になる」ということでした。
狂気や逸脱では当てはまらないような言葉。
箱男(箱女)になるということが実はとても蠱惑的で一度体験してしまうと逃れられないような悪魔的な魅力を持つということでしょう。
箱男になることの何が魅力なのでしょうか?
それは、自分は見られることはなく、他者を一方的に覗き観察することができること。
はーい、ここは来週の期末テストに出ますよ~。
この状況は、何かに似てますね。
自らは匿名の殻に籠り、有名な他者を袋叩きにするネット社会の個人に。
このことはラストシーンの原作とは違うラストに繋がった理由になるかと思います。
箱の中のさらにその奥に行ってしまった葉子。
箱の中、隔絶された世界のそのさらなる奥底にいたのは多くの箱人間。
主人公のわたし・永瀬正敏は自分はホンモノの箱人間ではなかった、本当の箱人間の存在について悟ります。
箱人間とは・・・。
この映画を観ているあなただ!!
怖い話で、その犯人とは・・・お前だぁあぁぁぁ!!系と同列のビックリでした。
ご丁寧に客席の映像が写され、客席から映画を観ている映像になります。
安全なところから他者を睥睨し、攻撃し続ける我々の姿が・・・。
こんないびつな存在の話を高みから観てたかもしんねぇけどよぉぉ、お前らのほうがよっぽど歪なんだよぉっぉぉぉぉ!!
っていう強烈なメッセージを感じましたし、この表現はなかなかに衝撃でゾワりました。
5、終わりに
物語の継承に関する都市伝説的な物語でありながら、途中で誰かに描かれた物語であることを示し、一種の崩壊と混沌を描いたこの作品。
映画ならではの切り口も僕には好ましかったですが、やはり解釈がわかれる難解な作品であったかと思います。
しかし、51年という時を超えて現代社会を予見して見せたとも言える安部公房の異形的なセンスには戦慄せざるをえません。
シンプルに好きか嫌いかと言われたら、大好きな映画ですし、ともするとエンタメの波間に攫われてしまいそうな異質で良質なものを応援したいがために書き続けているのが僕のブログなのだなと思いました。
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