1、作品の概要
『街と、その不確かな壁』は、1980年に『文學界』9月号に掲載された中編小説。
『1973年のピンボール』のあとに書かれた。
『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の習作のような作品。
単行本などには未収録の作品で、村上春樹自身が「あれは失敗」と語っている。
2023年4月13日刊行の新作長編小説のタイトルが『街と不確かな壁』で「、」がひとつ抜かれたものになっている。
2、あらすじ
18歳だった「僕」は、大好きだった「君」から、その街の話を聞く。
「僕」は「君」が死んだあとに、影を捨てて予言者として街を訪れる。
その街は壁に囲まれて、影=暗い夢を捨ててひっそりと暮らしている人々と金色の獣の街だった。
図書館の受付をしている「君」のもとで、予言者として古い夢を読む仕事を始める「僕」だったが・・・。
3、この作品に対する思い入れ、読んだキッカケ
単行本未収録の『街と、その不確かな壁』ですが、存在は知っていたものの、まぁそのうち読めればいいなぐらいにしか思っていませんでした。
村上春樹の新作長編小説のタイトルが『街とその不確かな壁』だと知るまでは。
読点が抜けているだけで、ほぼ同じタイトル。
これは間違いなく『街と、その不確かな壁』に関連した作品であり、おそらくは納得する出来ではなかったこの作品をより成熟させて完成系へと導いたものであろうと思いました。
いや、これめっちゃ読みたい!!
新作が刊行される前に!!
とか思っていたら、ツィッター経由で国立国会図書館でコピーの取り寄せができるとの情報を教えていただきました。
webから10分ほどの手続きの後に申し込み、自宅に昨日届きました!!
ちなみに10日ぐらいかかりました。
こんな便利なサービスがあったとは・・・。
中身はこんな感じで。
もろもろで1460円かかりました。
1980年当時の『文學界』の表紙です。
43年の時を経て、『街と、その不確かな壁』がどういった物語へと変貌しているのか・・・。
とても楽しみです。
詳しいお取り寄せの方法は、あすどくさんのブログに詳しく出ていました!!
めっちゃわかりやすかったです!!
4、感想・書評(ネタバレあり)
初期の超名作『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』のもとになった作品である『街と、その不確かな壁』ですが、この作品での街は「世界の終わり」で描かれている街と成り立ちや登場人物に多くの共通点が見られ、ほぼそのままと言ってもいいぐらいだと思います。
しかし『街と、その不確かな壁』はほぼ街の中で完結するとても内省的な物語であるのに対して、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』は内省的な『世界の終わり』と暴力的な描写がされつつファンタジー満載の冒険譚である『ハードボイルドワンダーランド』の2つの物語に分かれていて、最初は全く繋がりが内容に思えた2つの物語が交差していくという刺激的な物語の展開になっています。
この頃、村上龍の『コインロッカーベイビーズ』を読んだ村上春樹がサイバーパンク的な作品のはしりとされたこの作品に刺激を作り出したのが『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』でした。
バブルの喧騒に飲み込まれていく前夜。
その嚆矢として世に放たれた作品たち。
近未来と体制への反抗。
『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』はそのような一群の作品でありながら、村上春樹独自の世界観と、2つの物語が絡み合うような斬新なアイデアで唯一無二の作品となりました。
個人的にとても衝撃的な読書体験で、ツィッターの好きな小説10選にもあげている思い入れのある作品です。
そんな『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の習作となった『街と、その不確かな壁』ですが、いくら書くべきでなかった未完成な作品だったとしても、傑作を生み出すプロトタイプの作品となったわけで、その役割を終えたように思います。
それを発表から43年も経った今掘り起こして、400文字詰め原稿用紙1200枚(単行本で700ページ相当)という長めの長編小説にした理由は何なのか?
そこにこそ、この『街と、その不確かな壁』という物語の核が存在する様に思います。
もっと踏み込んでいうと、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』では表現しきれなかった、語れなかった何かが『街と、その不確かな壁』の中に眠っているということだと思います。
だからこそ村上春樹は、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』という作品がありがら再度『街と、その不確かな壁』を書こうと思ったのではないでしょうか?
『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』と、『街とその不確かな壁』はカレーとシチュー(或いは肉じゃが)のような存在なのだと思います。
『街と、その不確かな壁』は具材を油で炒めているような状況の作品だったのでしょう。
玉ねぎは飴色になってきて、軽く塩コショウを振りかける。
さてこれからカレーにしようかシチューにしようか?(あるいはポトフでも肉じゃがでも良い)
スパイシーなカレーへと変貌したのが『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』であり、『街とその不確かな壁』はクリーミーなホワイトシチューになるような気がしています。
『街と、その不確かな壁』は、18歳の「僕」が「君」が川辺で時を過ごす場面が冒頭に描写されています。
川。
街からの脱出を図るのも川からで、ここから既に先の展開との繋がりを感じるようですが、何となく新作でも川や水辺というのがひとつのキーワードになるような気がしています。
『一人称単数』の最後に描かれた書き下ろしの『一人称単数』でも水辺のことが描かれていましたが、この短編の不穏な感じ、呪いや自らが遠い過去に置き忘れてきたような禍いの記憶が描かれるような気がしているのです。
そして『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』で描かれずに、『街と、その不確かな壁』では重要なテーマとして提示されながら、あまりうまく描写できていなかったテーマ。
それは「時間」だと思います。
大佐は言います。
「過去と未来の区別さえな・・・。時間に気をつけろ。この街では時間というものが重みを持たない。時間を信じちゃいかんぞ。迷路の中にひきずりこまれるだけだ。とくに君のように完全に影を捨てきってない人間はな。
時間が重みを持たない世界。
過去と未来が入り混じり、おぼろげにぼやけて滲んでいく。
「世界の終わり」で描かれていたのより内省的で幻想的な世界。
前にも書きましたが、村上龍『MISSING 失われているもの』のように記憶を巡る内的な世界がファンタジーとして描かれるのではないかと思います。
新作『街とその不確かな壁』ではそこの部分がキーとして描かれるようのではないでしょうか?
そして、時という軸を支えにして、放たれるべきことばたち・・・。
時が重みを持たぬというのは実に不思議な感覚だった。
(中略)
まただいいちに時という概念を抜きにして言葉は存在し得ない。語りつづけるためには、僕には時間というのものガどうしても必要なのだ。僕はかたりつづけねばならぬ。
水面に浮かんでは消えるあぶくのような記憶とことばたち。
遠い昔の熾火のように、深い闇を照らすか細い光たち。
川端康成『眠れる美女』のような老境に差し掛かって、眼前の健全な美を透かして浮き上がるような淡い記憶たち。
しかし、それはどこか空恐ろしい忌みごとと通じているようで、幻夜に咲く徒花のごとき「魔界」を物語のうちに現出させる・・・。
そんな「魔界」の萌芽を感じるような何かが近年の村上作品には感じられるように思っています。
例えば女のいない男たち収録の『木野』や、『一人称単数』、『騎士団長殺し』のスバルフォレスターの男など、主人公は得体の知れない何かに責め立てられ続けます。
歳を重ねて、ふとある夜に気づく過去の過ちの記憶たち。
取り返しのつかないできごと。
別れ。
失われたものたち。
そんな魑魅魍魎が闇の向こうで手招きをしている。
そんな時の呪いともいうべき何か。
村上春樹が歳を重ねた今しか書けないような時の蓄積とその魔性が描かれるのではないかと僕は妄想しています。
ええ、予想にも到達していない妄想なのですが(笑)
でもこうやって新作を妄想するのはとても楽しく、幸せです。
『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』であまり語られなかった要素のひとつとして壁の存在もあげられると思います。
もちろんかの作品でも壁については語られていましたが、『街と、その不確かな壁』で描かれている壁に比べるとおとなしい印象があります。
『街と、その不確かな壁』では壁がめっちゃしゃべくっていますし、圧倒的な存在として在ります。
壁が絶対悪かと言うとそうでもなく、国家やシステム、時に忌まれながらも存在しないと生活に支障を来すようなものの総称として描かれているような気がしました。
街が壁の内側なのか外側なのかというような問いかけもなされていて、深い意味が篭められているように思います。
「壁と卵」のスピーチもありますし、より多義的な壁が描かれることでしょう。
この切り口も『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』ではそれほど感じられなかった要素だと思います。
そして最後のピースは「哀しみ」です。
『街と、その不確かな壁』ではそれほど掘り下げられていませんが、「僕」が本当の「君」に会うために街を訪れるまでのエピソード。
そこには最愛の「君」を失う(死か消滅か)という痛切な想いをしながらも街を目指す「僕」が丁寧に描かれるのではないか。
それはあるいは「君」を取り戻すための行為なのかもしれないし、「君」の不在を確かめるための行為なのかもしれないけれど・・・。
『街と、その不確かな壁』で随所に描かれている哀しみが物語に暗いトーンを与えるように思います。
ラストは街から影とともに去っていきますが・・・。
『街とその不確かな壁』ではどんなラストが描かれるのでしょうか?
5、終わりに
何か新作『街とその不確かな壁』の内容の予想みたいな書評になってしまいましたが、『街と、その不確かな壁』も独特のアンニュイさがあり、これはこれで素晴らしい作品だと思います。
ただ、描いていた物語の世界観を十分に描ききれなかったというような悔いは残っていたのかもしれませんね。
しかし初期作品や『一人称単数』の『ウィズ・ザ・ビートルズ』のように、村上春樹が若い頃に一緒にいたガールフレンドが別れたのちに亡くなったというようなことがあったのではないかと思います。
そこから生じた深い喪失感が『街と、その不確かな壁』を生み出し、やがて『ノルウェイの森』に繋がっていったのではないかと思います。
物語の形は大きく違っても、新作『街とその不確かな壁』にも根底ではそのような哀しみが流れているように思えます。
まぁ、何はともあれ村上春樹の新作が刊行されるまで1ヶ月を切っていて(2023年3月14日現在)こうやってあれこれ内容を妄想している時間も、彼の作品のファンとしてとても幸せな時間だなと思います。
待ち遠しくも、彼の新作をリアルタイムで読める幸せを噛み締めたいと思います♪
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