☆元合唱部だったぜ俺☆
中学生の時に卓球部だった僕。
もちろん愛読書は『稲中卓球部』でした。
サッカー部が『シュート』読んで、バスケ部が『スラムダンク』読むのと同じように卓球部は『稲中卓球部』読んじゃうよね?
ハミちんサーブしちゃうよね?
だがしかし。
今回はハミちんサーブの卓球部の話ではなく。
天使にラブソングを歌ってた合唱部の話です。
今でこそ、音楽好きやでぇアピールしてるヒロ中年ですが、中3ぐらいまでは聴いてる音楽といえばキン肉マンのテーマとか、ウルトラマンのテーマぐらいでした。
家族にも音楽好きな人間は皆無で、父親がニワトリが絞め殺されるような声で歌う「北の酒場通り」が我が家の音楽の全てでした。
そんな音楽とは無縁の坊主頭のヒロ少年が中3の時に気付いたらなぜか臨時合唱部員として「はわわ~♪」って歌ってたのはまさしく「はわわ~♪」で、人生一寸先はダークネスでした。
なんでそんなことになったのかあんま覚えてないんですが、友達に勧誘されたのだけはうっすら覚えてます。
んで、歌った時に僕は思いました。
不思議と嫌じゃない。
タカダコーポレーションと化していた、シンガーヒロ誕生の瞬間でした。
この出会いが日本の音楽シーンを変えるとは、その頃の僕はまだ知らないのでした。
*変えてません(^_^;)
☆高校生の時に入った合唱部でラテン語で天使にラブソングを捧げる☆
高校に入って、運動とか苦手だしもう文化部に入ろうとか思ってた僕に、中学の時に合唱部に誘った彼がまた合唱やれば?とか誘ってきました。
彼は、ブラバンでチューバやってたんですが彼の誘いでふらふらっと気付いたら合唱部に入部してました。
全然楽譜も読めねぇ、浜田省吾と尾崎豊しか歌えねぇ岡村孝子好きな合唱部員の誕生でした。
うん、未だにロクに音符とか読めねぇわ。
なんだよあのオタマジャクシはよぉ?
それでも天才的な音楽的センスでめきめき頭角をあらわす、こともなく普通に歌ってました。
ぶっちゃけ日本語の合唱曲とかそんなにたいして好きでもなく、壊れるくらい愛しても三分の一も伝わらないマイハートでした。
でも、年に1回の演奏会がすっげーいい感じで、そん時にちょうと「金田一少年の事件簿」で取り上げられていた『オペラ座の怪人』のミュージカルをやったりしてめっちゃ楽しかったですね!!
この時のイベントやる楽しさの原体験がのちにクラブイベントの企画とかに繋がっていくのだから人生ってわかりませんよね。
高校時代の部活の話をすると長くなりますが、2年生の時からラテン語の宗教曲を歌い始めたのは転機になりましたね。
ミサ曲や、レクイエムを始めとするキリスト教の曲で、教会で歌われていた音楽です。
シューベルト『AVE MARIA』などが有名ですが、いろいろな作曲家が曲を作っていますね。
そんな曲を高校生の時にわけもわからず歌っていた経験が音楽観を広げて後のスーパーDJを育てるとはその時の僕は知る由もありませんでした。
*いや、フツーのハウスDJでした。
あの当時、愛媛の高校でラテン語の宗教曲やってたのは最高にかっこよかったです。
そんで、コンクールで銀賞だった時に顧問のH先生が悔しさのあまりに賞状を破ってたのが最高にロックでした!!
☆大学生時代にバッハに傾倒しすぎて笑うときに「バッハッハッハ」って笑っていた話☆
そんなんもあって、大学生の時に入ったサークルも合唱部。
キリスト教系の大学だったこともあって、一切日本語の曲を歌わないっていう硬派な「押忍!!合唱部」でした。
毎日がアヴェマリアでキリエ・エレイソンだったのですよ。
週3回歌の練習して、飲み会して喉を鍛える日々・・・。
あの日々があるから今があるといっても過言ではありません。
未だにハイドンのハレルヤのテノールパートは歌えますし、結婚式の賛美歌もめっちゃハモれますがな。
それもこれもテノールの偉大な大先輩、U先輩のおかげです!!
バッハとかめっちゃいい曲教えてもらって、電子音楽からクラシックまで違和感なく音を楽しめるのもあのころの経験があったからだなぁってありがたく思いますよ。
ホント、バッハは最高やし。
当時関東にいたから、バッハコレギュウムジャパンのバイトをさせてもらったのもいい経験でしたね~。
もののけ姫の主題歌を歌っている、米良美一さんとかも歌ってましたからね~。
お陰様で、カラオケに行ったら「歌が上手い!!」などと喜ばれてなんならモテモテ状態ですよ!!
音楽の神様ありがとう!!
コロナ禍でカラオケにいけないのが残念ですが!!
大学の合唱部時代のエピソードはたくさんありますが、今日はこのへんで!!
今夜は久々にバッハ聴くかな~(๑≧౪≦)
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