1、作品の概要
2012年に刊行された山内マリコのデビュー作。
8編の短編からなる。
R-18文学賞読者賞受賞作『16歳はセックスの齢』も収録されている。
2018年に、橋本愛主演で映画化した。
2、あらすじ
①私たちがすごかった栄光の話
主人公の「私」は東京から地元に戻ってライターの仕事をしていた。
先輩の須賀も同じ境遇で、シンパシーを抱いていた。
高校の時に仲が良かったサツキちゃんと地元で再会した「私」は、2人でランチした後に高校生の頃のクラスメイトの男子・椎名の自動車学校を訪れるが・・・。
②やがて哀しき女の子
町一番の美少女だった森繁あかねはティーン雑誌のモデルになるが、次第に注目されなくなりひっそりと引退して地元のスターバックスで働いていた。
かつて彼女のファンだった山下南と仲良くなり、2人で婚活パーティーに足繁く通うようになる。
年上の社長と結婚したあかねに距離を感じるようになる南だったが、ある時一人の男性を紹介される。
③地方都市のタラ・リピンスキー
大学院生のゆうこは研究室にも馴染めず、毎日自堕落な生活をしながら平日の昼間からゲームセンターで過ごしていた。
ゲームセンターの店長の椎名は小学生の時の同級生で、2人でマクドナルドに行ったり、ハローワークに行ったりと、一緒に過ごす時間が多くなっていた。
次第に椎名に惹かれていくゆうこだったが・・・。
④君がどこにも行けないのは車持ってないから
「あたし」は高校生の時に好きだった椎名のことを懐かしく思いながらも、好きでもない遠藤となんとなく寝ていた。
目ぼしい男子は県外に行ったり、結婚したりしていた。
ある時、遠藤とラブホで宿泊していた「あたし」だったが、彼を置き去りにして雪まみれの道を徒歩で家路を辿る。
⑤アメリカ人とリセエンヌ
「わたし」は大学にアメリカの田舎町から交換留学生としてやって来たブレンダと出会い、親友になった。
ある時、2人でクラブのイベントに出かけブレンダは椎名という若い男に声をかけられて恋に落ちる。
⑥東京、二十歳
中学生だった朝子は家庭教師のまなみ先生の影響を受けて、映画、音楽、漫画が大好きな立派なサブカル女子に成長して、地元を離れて東京の大学に進学した。
二十歳の彼女は、東京の街に馴染めない自分を認めつつ、この街で生きていくことを決意する。
⑦ローファー娘は体なんか売らない
ローファーを履いた高校生の彼女は、友達のグループの中でも地味な存在。
しかし内緒で中年の彼とラブホでの逢瀬を繰り返していた。
⑧十六歳はセックスの齢
「あたし」と薫ちゃんは、16歳になったら処女をすることを目標に頑張っていた。
しかし、夢の世界に魅せられた薫ちゃんはこんこんと眠り続けるようになる。
3、この作品を読んだきっかけ、思い入れ
山内マリコは『あのこは貴族』で名前だけ知っていましたが、未読な作家でした。
先日、友人から「『ここは退屈迎えに来て』がすごく面白かった。上京したことある人に刺さりまくると思う」と勧めてもらい、次の日には本屋にBダッシュしました。
なんとなくこれといって読みたいものがある時期ではなかったし、いいタイミングで未読の作家さんを勧めてもらえて良かったです。
音楽とか映画もそうですが、こういうタイミングって大事で新しい作家の作品を読みたい時期とか、好きな作家の作品を読み返したい時期とか色々あると思います。
僕も愛媛から上京して(正確には東京ではなくて横浜ですが)また愛媛に舞い戻った人間なので、物語の主人公達が抱えている地元での閉塞感のようなものが痛いほど理解できました。
まぁ、僕の場合は東京に行きたいと思っていたわけではないですし、同じ県内でも地元には戻ってないので少し状況は異なるのですが・・・。
それでも物語の中の彼女たちの感情が幾度もオーバーラップしました。
微かな胸の痛みを伴って。
4、感想・書評
○地方都市に住むということ
地方独特の閉塞感、きらびやかな東京の対比。
①~⑥の話は、どこかの地方都市で暮らしている(または暮らしていた)女性たちの話で、作者自身も富山県出身であり鋭い視点で彼女たちのリアルな気持ちを描き出しています。
どこにも行けない鬱々とした感情。
退屈で刺激のない毎日。
抜け出そうともがくのか?それとも受け入れて同化していくのか?
そんな彼女たちの人生にとって印象的な存在として語られる椎名の存在の描き方がが面白かったですね。
⑥以外の作品で時系列がバラバラで椎名が出てきますが、パッチワークのようにつなぎ合わせると彼の半生が浮かび上がってきます。
小・中学生ぐらいの時に運動神経抜群でサッカー部で、友達も多くてモテてた男子。
高校卒業後に大阪に行ってたけど、何も得るものがなくて地元に帰ってきてゲーセンの店長をしていたけど、転職して自動車教習所の講師に。
今は結婚して一児の父になり、西松屋の話なんかしちゃってすっかりパパになり、地元に馴染んでスポイルされていく・・・。
物語の主人公たちは人生のある時期に椎名と関わり、ある者は憧れて、ある者は半ば見下すようにしています。
この短編集を連作として緩やかに繋いでいる椎名の存在は、主人公たちのモノサシのようにも、映し鏡のようにも思えてきます。
椎名の生き方をどう捉えるか?
まぁ、フツーに考えたら別に悪くないと思いますが。
地方都市の雰囲気。
何か予定調和の連続のような。
まるでドリフとか昔ながらのコントを思わせます。
オチまで全て決まっている。
新鮮さはないけど安心感と心地よさがある。
それを良しとするか否か?
物語の主人公たちはそういった選択を突きつけられているような気がします。
僕も正直、地元=地方都市のこういったゆるやかな予定調和に違和感を覚える人間だと思います。
まぁ、今は地元を離れてはいるのですが。
地元の景色とか風土はとても好きだし、そこに住んでいる人達も大好きなんだけど、なんというか文化的なもの、生活スタイルにアレルギーを感じてしまっているように思います。
何か共同体としての意識が強すぎる気がするし、いつか自分の「個」も共同体に丸ごと絡め取られてすり潰されてしまうような、そんな恐怖を感じる。
僕は自分の感性や思想がとても大事だし、共同体に溶け込んで個性を殺して生きるなんてことはできそうにないと思います。
地方都市から東京に出て、また戻る。
ただそれだけのこと。
でも、そこにはある種の観念的格闘を産むような何かがあります。
○女性同志の人間関係
女性同士の不思議で繊細な人間関係。
例えば江國香織の『落下する夕方』はそういった描写が秀逸で、人と人との繋がりが型があるものではなくて、オーダーメイドのように形を変えるものだということを僕は知ったような気がします。
山内マリコも今作で様々な女性同士の人間関係を描いています。
友情というには儚くて、刹那的で、とても頼りない関係。
まるで嵐の夜の救命ボートみたいな。
そんな危うさを伴った結びつきを作者はとてもリアルに描写しています。
江國香織が透明とか繊細とか言われるなら、山内マリコは生々しい感じがします。
全作通じて漂うとてつもない生々しさ。リアリティ。
作中の登場人物の傷が自分のもののように感じてしまう、とても等身大でリアルな文章と物語。
そういったリアルさに山内マリコの作家性があるように思います。
②⑤⑦⑧とか考えさせられましたねー。
女性同志の関係性を描いた作品とか、男性の僕にとってはとても新鮮です。
①私たちがすごかった栄光の話
地方にいて、以前に東京に住んでいた人と会うと何かとても奇妙なシンパシーが生まれるように思います。
共通の罪を抱えたいるような、それでいて自分が今いる場所に染まりきれていないような・・・。
「私」と須賀さんの間に芽生えていたユルい連帯感もそういった類のものだったのでしょうか?
②やがて哀しき女の子
タイトルは、村上春樹へのオマージュでしょうか?
地元で有名な美少女だったあかねは、東京に出て芸能界に入りますが芽が出ずに地元に帰ってきてしまう。
かつての輝きを知る友人の南は、知り合った頃に意気投合した天真爛漫な彼女が変貌していくのに呆然とします。
男性が絡むと女性同士の人間関係って変化していくのかなって思わされた作品でした(^_^;)
③地方都市のタラ・リピンスキー
ラストの大ドンデン返しにビックリ!!
鬱々とした「ゆうこ」の状況と、空想のスケート選手の妄想の対比が何か切ないですね。
④君がどこにも行けないのは車持ってないから
「あたし」が憧れていた椎名は地元をでて、大阪に行ってしまい大して好きでもない遠藤と寝てしまっている。
遠藤のことはどうでもいいし、鬱陶しいとも思えるけど、もしかしたらかつて椎名からも自分はそういうふうに見られていたのではないか?
狭い世界、価値観の中で自分が生きていたことに気付いてそこから抜け出そうと決意するラストが清々しく思いました。
⑤アメリカ人とリセエンヌ
内気なアメリカ人留学生のブレンダと友達になって、いつか東京で2人で暮らそうと語り合った「わたし」は結局大学をやめて地元の島へと戻ります。
夢をもてない「わたし」がきらびやかな妄想をしながら涙を流す場面がとても悲しい。
⑥東京、二十歳
若い頃に自分の感性に決定的な影響を与えてくれるメンターのような存在。
僕にも覚えがありますが、そういった存在と出会えることはとても貴重なことだと思いますし、朝子もまなみ先生から影響を受けて東京に出ることを決意したのだと思います。
だけど、東京の街は大きくて、特別だと思っていた自分の感性や個性も飲み込んでいきます。
知る人ぞ知る映画だと思っていても、行列ができていたりしたのは象徴的です。
憧れだった街になかなか溶け込めない朝子は地元の町との結びつきを感じます。
朝子はなんだか、自分はいまもここにいるような気がする。そしてはっきりと悟る。わたしは自分の一部をここに置いてきたのだ。自分の一部はいまもこの町にいて、やっぱりどこにも行ってないのだ。
でも。
彼女は帰らないと決意します。
その冒険がどういう結末になるかはわかりませんが、物語はまだ始まったばかりなのでしょう。
⑦ローファー娘は体なんか売らない
⑧と対になる感じの作品でしょうか?
周りからも大人しくて地味と思われている少女が実は・・・という話ですね。
しかし、彼女は恋を通り越して「愛」と思われる何かにたどり着いていたんでしょうか?
つまりそれは愛だと、彼女は思う。あたしはハゲオヤジを愛していたんだわと思うと、彼女は深く傷ついた。
それは、自愛にも似た自己の存在を肯定されたい欲求だったのかもしれませんが・・・。
⑧十六歳はセックスの齢
③⑤しかり、妄想・夢想が出てきます。
何か歪んだ願望や欲求はとてつもないパワーを持っているように思います。
彼女はそういった何かに囚われて眠りについてしまったのでしょうか?
現実のセックスより、夢の方が幸福感を得られるというのは何か象徴的な気がします。
5、終わりに
いや、あれですよ。
ここまで書いて何ですが僕は基本的に地元大好き人間なんですよ(笑)
僕の地元には大学がなくて進学するには地元を出るしかなくて、都会には行きたくないと思っていたのに、たまたま希望する学科で受かった大学が関東の大学で・・・。
と、たまたま上京しちゃった状況でした。
田舎で静かに暮らしたいと思っている引っ込み思案な若者でしたが、結果的に東京に行ったことは自分の人生を豊かにしてくれたと思っています。
確実に視野は広がったと思いますし、たくさんの刺激を受けました。
今ではネット通販やら、動画サイトが増えたことで都会と田舎との文化レベルの差は縮小していくようにも思えますが、やはり日常的に行われる音楽、アートなどのイベントなどの数や質などの差などは圧倒的だと思います。
東京は本当に特別な街。
文化と食のレベルは特に図抜けているのではないでしょうか?
具体的に、ツィッターを見ていて地方では上映していない映画があったり、観られない絵画がたくさんあったり、行けないライブがたくさんあったりします。
それらが身近にある環境がどれだけ恵まれていて、感性を研ぎ澄ましていくのか?
それとは逆に地方→東京→地方と転々として、地方のメリットも強く感じています。
食材の豊富さと新鮮さ、自然の豊かさ、人の温かさなどでしょうか。
この作品では地方の社会の息苦しさを描いていますが、もちろん良いところもたくさんあります。
それでも。
地方には個をスポイルさせてしまうような同調圧力を強く感じることがあり、それはある種の呪いのような強い力を感じることがあります。
この短編集はそんな呪いに時には飲み込まれながらもがいて何かを求めている女性たちの物語だと思います。
飲み込まれるのか?それとも立ち向かうのか?受け入れるのか?逃げ出すのか?
彼女たちが出したたくさんの答え。
その魂の軌跡。
『ここは退屈迎えに来て』はそのような作品だったように僕は感じました。
いやー、刺さったねぇ。