ヒロの本棚

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【本】カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』~消えゆく古い世界を抱き締めて~

1、作品の概要

 

2005年発表のカズオ・イシグロ6作目の長編小説。

原題『Never Let Me Go』

2010年イギリスで映画化され、日本では2016年にTVドラマ化された。

2017年に日本にルーツを持つカズオ・イシグロノーベル文学賞を受賞したことで、日本でも注目を浴びた。

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2、あらすじ

 

外の世界から隔絶された施設である「ヘールシャム」で何人もの少年少女たちが共同生活をしていた。

厳しくも優しい保護官たちに見守られながら成長していく子供達。

キャシーは癇癪持ちの少年・トミーと、プライドが高いルースと仲良くなる。

16歳になってヘールシャムを後にしてコテージに移り住んだキャシーは、付き合い始めたトミーとルースとのトライアングルの中で揺れ動きながら大人になっていき、やがて仲間達と離れ離れになる日がやってくる。

 

クローン、臓器提供、介護人と提供者・・・。

自分達の酷薄な運命を受け入れながら生きる意味を探し続けるキャシー。

 やがて大人になって優秀な介護人となった彼女は、ルースとトミーと再会し過去のわだかまりを解くべくお互いに歩み寄り、ヘールシャムの秘密と謎に迫るが・・・

 

 

3、この作品を読んだきっかけ、思い入れ

 

最近はあまり海外の文学は読んでいませんでした。

英語を始めとする外国語を日本語の翻訳として読むのに何となく違和感があって・・・。

今いち感情移入できない部分がありました。

 

しかし日本をルーツに持つカズオ・イシグロノーベル文学賞を受賞したのを機にずっと彼の作品を読んでみたいと思っていて、ツィッターで『わたしを離さないで』がいいと書いている人が多くて気になっていました。

またストーリー的にも心惹かれる内容で、買おうかどうか悩んでいた時に図書館で見つけて借りてきました。

とても残酷で救いのないストーリーかもしれませんが、暖かくて懐かしいような僕が味わったことのないような物語でした。


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4、感想・書評(ネタバレあり)

 

①ヘールシャムでの思い出

物語は3部からなりますが、第1部はヘールシャムでの幸福な思い出とともに描かれます。

外から隔絶された箱庭のような特殊な環境ではありますが、仲間達と共同生活を送る日々はささやかな安寧と幸せに満ちていました。

何か孤児院のような環境にも思えましたが、その感想は当たらずとも遠からずといったところで家族もなく天涯孤独の身でした。

 

冒頭は、主人公キャシーが31歳になった現在の視点から描かれますが、最初に読んだ時は今いち意味がわかりませんでした。

介護人?提供者?センター?

そういった読者の疑問を置き去りにしながら、物語はヘールシャムでの生活の回想に入りますが正直最初の100ページぐらいは退屈で意味がわからない部分も多くありました。

子供時代のささいな諍いや、印象に残った出来事や謎をとても丹念に描いています。

 

読了したあと、何故これだけ仔細に子供時代の出来事や心理描写を重ねた理由がわかった気がしました。

ヘールシャムでの子供時代が光とすれば、16歳以降介護人、提供者となるべく運命づけられているキャシー達の運命は闇そのもの。

光が眩ければ眩いほど、落とす影の闇は深くなるのでしょう。

ヘールシャムでの楽しい思い出や、仲間との絆は、後に明かされる酷薄な運命の暗さを煌々と照らします。

 

後に提供者となるべく運命づけられたキャシー達ですが、冒頭でその事実を告げないことで読者はキャシーの痛みや希望、そして葛藤を血のかよった生身の人間のものとして共感します。

誰もが身に覚えのあるような経験や、親しみがわくような体験談。

しかし、それだけにキャシー達が臓器提供を目的に作られたクローン人間であると知った時の衝撃の大きさはひとしおでした。

もし物語の初めからこの事実が明かされていたならこれほどの衝撃は受けなかったと思いますが、丹念に描写された子供時代のあとだったからこの事実に驚き、キャシーたちに同情し、共感することができたのだと思います。

 

②残酷な運命

実はキャシー達はクローン人間で、ヘールシャムを初めとする施設はそんなクローン人間達を健康に育成して、やがて提供者として臓器の提供をさせるという衝撃の事実。

舞台は1990年末のイギリスとのことですが、2021年の現在でもクローン人間は実在しておらず、ある種の平行世界のようなSF的な舞台になります。

臓器を提供するクローン人間がいることで、今まで治らなかった癌のような病気を克服することができて人類全体が幸福になれる。

しかし、その「人類」にはキャシー達のようなクローン人間は含まれておらず。

彼女らの犠牲の上で世界の幸福と健康は保たれています。

 

現実の世界にクローン人間はいませんが、世界の幸福と不幸はゼロサムゲームで誰かが幸福になれば誰かが不幸せになる。

僕たちが幸福を感じている時に、地球の裏側では誰かが泣いているかもしれない・・・。

それでも現実世界では、命は等しく平等であからまな搾取は人権の名のもとに非難されます。

しかし、相手が人の手によって作り出されたクローン人間だったら?

親も身寄りもなく社会から隔離されて育てられた彼らは人類にとっての家畜のように扱ってもいいのでは?

 

こんな残酷な運命をキャシー達はうまくヘールシャムの日常の中で刷り込むようにさりげなく教えられて当たり前のものとして認識しています。

ある種の洗脳のような手法かもしれませんが、いつの間にか自分たちが臓器の提供者になり、誰かに内蔵を捧げて死んでいく運命をぼんやりと受け入れてしまっています。

物語の中でも、さりげない感じでこの衝撃の事実が物語に挿入されていてとても驚きました。

普通、もっと衝撃の事実として描かれるのだと思いますが・・・。

しかし、この不意打ちのような描き方がより運命の残酷さを引き立てていました。

 

物語終盤で大人になったキャシーは、ルースの介護人になり、トミーと3人で再会します。

ルースは、本来はカップルになるはずだったキャシーとトミーの間を引き裂きトミーとカップルになったことに対してずっと罪の意識を感じていて2人に対して許しを乞い、キャシーとトミーがカップルになって愛し合うカップルが提供者となることを猶予されるという噂に関してチャレンジしてみるべきだと提案します。

はっきりとは描かれていませんでしたが、とても微妙で繊細な心理描写の中でこの3人の三角関係について仄めかされていました。

キャシーはトミーの介護人になり2人は愛し合うようになり、トミーの4度目の提供の前に一縷の望みをかけてマダムに懇願に行きますが、噂としてあった愛し合うカップルが提供を猶予されるということ自体真実ではなく、本当は希望など一切用意されていなかったことを2人は思い知らされます。

 

介護人、提供者、提供、使命・・・。

オブラートな言葉でいくら包んでも、生まれた時から臓器を摘出されて他の人間に提供して死んでいくだけの存在・・・。

それがいつまでかだけの差はあっても、提供者として生を受けた人間達の運命は変わりはありません。

愛し合ったただ一人の人と人生最後の3年間を一緒に静かに暮らしたい。

たとえ、その後に待ち受けるのが定められた死であったとしても・・・。

そんなささやかな望みも叶えられることはなく、トミーは4度目の提供を終えて死にました。

 

4度目の提供で摘出されるのは心臓でしょうか?

4度目の提供までたどり着けない提供者もいるようでしたが、4度目の提供を終えた提供者は必ず死に至るようなことが書かれていたので、きっと胃や他の臓器を取って最後に心臓を取られて死に至る運命なのでしょう。

どこにも希望の光はなく、あっさりと最後の望みも打ち砕かれる。

無慈悲で残酷な世界がそこにはありました。

 

最後のトミーのこのセリフはとても印象的で、キャシーとトミーが運命に抗えずに死によって分かたれてしまうことを暗示しているのだと思います。

読んでいてとても悲しくなりました。

それにどこか達観して自分たちの運命を受け入れているようにも思えてきます。

物語全体に流れるこの諦観のようなものを強く感じます。

「おれはな、よく川の中の2人を考える。どこかにある川で、すごく流れが速いんだ。で、その水の中に2人がいる。お互いに相手にしがみついている。必死でしがみついているんだけど、結局、流れが強すぎて、かなわん。最後は手を離して、別々に流される。おれたちってそれと同じだろ?残念だよ、キャス。だって、おれたちは最初からーずっと昔からー愛し合ってたんだから。けど、最後はな・・・永遠に一緒ってわけにはいかん」

 

③魂はどこに宿るのだろうか? 

 この作品の一番大きなテーマはそのような残酷な運命を背負わされたキャシー達クローン人間たちの心や魂のあり方についてだったと思います。

ただ臓器を提供するためだけに生まれて死んでいくクローン人間にも魂は宿るのか?

人間らしい心や愛は?

 

いくら病気の人々の寿命を伸ばすためとはいえ、このような非人道的な振る舞いが許されるのか?

クローン人間たちもきちんとした環境で育てられれば人間らしい心や感性を愛を持つようになるのではないか?

マダムやエミリー先生のそんな問いかけを具現化した場所がヘールシャムであり、そこで確かにキャシー達は普通の人間と変わらずに泣いたり笑ったりして日々を過ごし、やがて誰かを愛するようになっていたのでした。

 

ただ同時にヘールシャムでも他の施設と同じように、いずれは提供者になって死んでいく運命を自然に受け入れるように教育していて、ルーシー先生は可愛い子供たちにそんな残酷な運命を強いる施設に憤りを感じて退職してしまったのでしょう。

そして、マダムの展示館の作品達。

造られた命であるはずのクローン人間が詩や絵画などで優れた作品を作れて人々を感動させるような作品を作れたとしたら?

もしかしたら造りものの命にも魂や心が宿っていることの明確な証明となるのかもしれません。

 

また、クローン人間として生まれて家族もおらず、誰ともどことも繋がっていない不確かさ。

自分の人生の主役ですらなくて、舞台に立つ資格も可能性も奪われてしまっている存在。

2部でのノーフォークへの旅とポシブル(DNAを提供した自分のオリジナルの人間)探しの合間にそういった悲しみはやるせない気持ちが溢れ出してきています。

だからこそヘールシャムの存在は、そこで過ごしだ楽しい日々の思い出は空っぽの心を温かく潤すスープのようなかけがえのないものであったのでしょう。

 

ヘールシャムがなくなってしまったらみんな風船みたいにバラバラに飛んでいってしまって、跡形もなくなってしまう。

ピエロが持っている風船と絡めてヘールシャムの閉鎖のことを書いた場面がありましたが、キャシー達クローン人間にとってヘールシャムという場所がお互いを強く結びつけていて、そこがなくなってしまうということが何を意味するのかを表現していたのだと思います。

 

タイトルである『あなたを離さないで』は作中の架空の歌手であるジュディ・ブリッジウォーターの曲ですが、複数の意味を持って物語に絡んできます。

僕は中でもキャシーがこの曲を歌いながら踊っているのを見かけたマダムが抱いたイメージがとても印象的でした。

僕たちが生きる世界には今のところクローン人間は存在せず(公表されてないだけかもしれませんが)このような無慈悲で残酷な世界になっていないように見えます。

しかし、もっとオブラートな形で搾取が行われていて、新しい世界=ディストピアが訪れようとしているのかもしれません。

「わたしを離さないで」と歌う幼い頃のキャシーの姿は、多少非効率でも温かい血がかよった「古い世界」の消滅を憂うカズオ・イシグロ自身のすがたであったのかもしれません。

「・・・あの日、あなたが踊っているのを見たとき、わたしには別のものがみえたのですよ。新しい世界が足早にやってくる。科学が発達して効率もいい。古い病気に新しい治療法が見つかる。すばらしい。でも、無慈悲で、残酷な世界でもある。そこにこの少女がいた。目を固く閉じて、胸に古い世界をしっかり抱きかかえている。心の中では消えつつある世界だとわかっているのに、それを抱き締めて、離さないで、離さないでと懇願している。わたしはそれを見たのです。正確には、あなたや、あなたの踊りを見ていたわけではないのですが、でも、あなたの姿には胸がはりさけそうでした。あれから忘れたことがありません」

 

 

5、終わりに

 

いやぁ、なかなかに衝撃作でした。

切り口がたくさんある作品だし、読み直すと色々な発見がありそうですね。

生命と倫理のタブーに切り込む作品であったと思いますが、そのテーマに触れていく手法と物語の展開の仕方が独特でどんどん引き込まれていきました。

正直、最初の100ページぐらいは退屈で意味がわからなかったのですが、そんな冒頭部分も読み進めるにつれて大きな意味を持ってきていて驚嘆しました。

 

ジョディ・ブリッジウォーターっていう歌手が本当にいるのかと思って調べてみましたが、架空の存在でしたね(笑)

ジョディ・ガーランドと、ディー・ディー・ブリッジウォーターを掛け合わせたような歌手のイメージなのではと他の方のブログに書かれていました。

95692444.at.webry.info

 

序盤を読みながらヘールシャムの雰囲気がめちゃくちゃ「約束のネバーランド」のグレイス・フィールドに似ているのに驚きましたね(笑)

噂には聞いてましたが、ほぼまんまですね。

でも、まぁストーリー自体は全く違うし、別に盗作とかそんな感じではないですし、『わたしを離さないで』のキャシー達が運命に抗えなかったのに対して、約ネバでは運命を変えて生き抜く姿を描きたいと思ったのかなとも感じました。

いや、脱線しましたが(笑)

 

色んな人が言っているように仏教的な諦観や、村上春樹的な要素を少しだけ感じたような気もしました。

カズオ・イシグロの他の作品もぜひ読んでみたいと思います。

 

 

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