1、作品の概要
2016年に刊行された恩田陸の長編小説
幻冬舎のPR誌『星星峡』で2009年4月号~2013年12月号に連載。その後『PONTOON』で2014年1月号~2016年5月号まで連載された。
国際コンクールを舞台に、3人の天才ピアニストを中心に複数人の視点から描かれた。
2019年10月にはスピンオフ『祝祭と予感』も刊行された。
松岡茉優主演で映画化され、2019年10月に公開された。
2、あらすじ
3年に芳ヶ江国際ピアノコンクールで邂逅する3人の天才ピアニスト達の物語。
パリでのオーディションで、急逝した偉大なピアニスト・ホフマンの風変わりな弟子・風間塵が審査員に衝撃を与えてコンクールに出場することになった。
ー彼は、ギフトか、災厄か?ー
かつて天才少女として名を馳せながら、母の死を契機に表舞台を去るが、恩師の勧めでためらいながらもコンクール出場を決めた栄伝亜夜。
楽器店に勤務しながら家庭を持ち、最後のコンクールに挑む高島明石
ホフマンの弟子でありコンクールの審査員であるナサニエルの弟子で若き天才ピアニストと名高いマサル・カルロス・レヴィ・アナトール。
90名の参加者が1次、2次、3次予選でふるいにかけられて本選に残れるのはたったの6名のみ。
塵のピアノに触発し完全復活し、劇的な成長を遂げた亜夜。
圧倒的な実力をスター性を持ち、夢と野望を持つマサル。
特異な耳と、類まれな音、表現力を兼ね備えた塵
コンクールは、共鳴する3人の天才を中心に劇的に展開していく。
3、この作品に対する思い入れ
以前からツイッター、ブログなどで絶賛の嵐だった作品でいつか読んでみたいと思っていました。
年明けのブックオフセールで買ってからずっと積ん読していましたが、なんとなく読むタイミングが来たような気がしたので読み始めてみました。
本を読む時ってなんとなく今がタイミング!!って時があるように思います。
特に好きな本を再読する時なんかは、「熟成してそろそろ読み頃だな」みたいなタイミングがあります。
季節とか、その時の気分とか、そもそも本を読みたい時期なのかそうでない時期なのか色々あります。
恩田陸は『ライオンハート』『夜のピクニック』が好きですが、本当に作品のバリエーションが豊かで、ドラマチックな人間模様を描くのがとても上手な作家さんですね。
ちょっと他の作品も読んでみたくなってきました。
ツィッター、ブログで読書好きの人と交流すると読みたい本が無限に増えてきて、嬉しいやら困るやら(笑)
4、感想・書評
①未来への道筋。音楽の背景とイメージ。
この作品はピアノコンクールの話と聴いていたので、単純にお互いをライバル視して競い合うような話になるのかと思いましたが、むしろ4人のピアニストがお互いの存在を刺激にして、前を向いて自分の今後の道を探っていくというような話であったかと思います。
コンクールの結果が出て終わりではなく、舞台に立って演奏をしたことで今後の自分たちの音楽家としての立ち位置を考えるきっかけとなった未来への道筋を感じされるような希望に満ちた物語でした。
素人が聴いても同じようにしか聴こえないクラシック音楽も、想像を絶するような膨大な練習時間の堆積と、それぞれの思想や人生観が違いを生み出し技術だけではなくて表現力としても差に現れてくる。
作中何度もピアノの演奏が視覚的な表現をされていて、奏者と聴衆を結びつけます。
まるで文章から音が聴こえて、イメージが沸き立ってくるような不思議な浮遊感がある体験でした。
文章で音が鳴らせるなんて素晴らしい表現力です。
音楽の表現と世界観に独特の浮遊感があって、何度もどこか遠くの世界に吹っ飛ばされました。
人間の精神、そして芸術、表現はどこまでも自由です。
空も飛べるし、月までも行ける。
イマジネーションは無限に広がっていく。
コンクールを描いた作品にしては、余りに自由闊達で空間が広がっていくイメージ。
音楽を芸術を究めんとする人間はそのような奔放なイマジネーションを持っているのかもしれませんね。
コンクールを描きながら個々の人間性、音楽性の深くまで降りていって、さらに各々の音楽が眩く輝かしい未来を提示したところが、今作の最も素晴らしい点だと思います。
気詰まりな批評と形式に囚われないで。
音楽を外に連れ出す。
音楽は外に連れ出せたのでしょうか?
②塵の天衣無縫な才能。~音楽を外に連れ出す~
クラシック界の常識からかけ離れた天才・風間塵。
偉大な音楽家のホフマンが彼をどう見つけたかはわかりませんが、音を捉える以上とも言える鋭い嗅覚、音楽のイメージをヴィジョンとして捉えられる豊かな感性、強い音を出せる特別な音楽的才能。
作中の天才達の中で、一番天才っぽいですね(笑)
ホフマンをしてギフトと言わしめる「才能」
天が塵にギフトを与えるのではなく、塵の存在そのものが天からのギフトだからだと言うのですからその存在の大きさは推して知るべしです。
彼は、ピアノを持っていなくて、専門的な訓練を受けていなくても自然とピアノを使って良い音楽を奏でることができ、普通の人間が持ち得ない卓越した聴力で音の僅かな差を聴き取ることができます。
亜夜、マサル。
今作品には、タイプの違う天才がでてきますが、塵はナチュラルに天才で既存の価値観を壊して、新たな何かを提示できるような大きな存在です。
そして、彼にはホフマンと約束した「音楽を外に連れ出す」ことを試みています。
でも、どうやっていいかわからないし、一人ではできないかもしれない。
ホフマンにも一緒に連れ出してくれる人を見つけるように言われていました。
亜夜が塵にとって一緒に音楽を連れ出してくれる人で、同じように音楽の神に愛されいる存在です。
『僕とおねえさんは同じだもの。おねえさんは、僕の中に自分を見てただけだよ』
『同じ?』
『うん。音楽が本能だもの。おねえさんもそう。僕らは音楽が本能なんだ。だから歌わずにいられない。おねえさんだって、世界にたった一人きりでもピアノの前に座ると思う』
音楽が本能で、世界に一羽の鳥が歌うように、たった1人でも音楽を奏でる「音楽が本能」な存在。
ダブルソウル、ツインソウルみたいな存在でしょうか。
スピリチュアルな話になりますが、産まれてくる時に分裂した自分の魂の片割れ。
亜夜はマサルとも音楽観や、感性的な部分でとても近くにいますが、塵とはもっと深い根源的な音楽との関わり部分で繋がっているように思います。
子供っぽさを漂わせながらも、音楽と向き合っているときは一種の狂気や、厳しさを感じさせたり、精神的にはどこか成熟している部分も持っています。
ただ、技巧的に優れているだけではなく、優れた表現力を持っている理由がこの精神性にあるのでしょう。
③明石の生活者の音楽。たどり着いた答え。
作中、一番普通で親しみを感じる存在が明石だと思います。
天才だらけのクラシックの世界、コンクールの世界で唯一明石は普通の生活をしながらコンクールで演奏しています。
仕事が終わってから練習を始める圧倒的に不利な状況。
練習時間を捻出するために睡眠時間を削り、挫折したり時には後悔しながらコンクールへの準備をしていく・・・。
ブッ飛んだ天才が多いクラシック音楽の世界で普通の人ながら、そんな普通の人たちも楽しんでくれる音楽を表現したいと願う明石。
音楽家として区切りをつけるつもりだったコンクールで、明石は逆に今後も音楽家として生きていきたいと強く願うようになります。
彼のアイドルである亜夜の演奏、そして邂逅、思わぬ受賞に大きく心を動かされます。
クラシック音楽は、一部の天才のものでしょうか?富裕層のものでしょうか?
「春と修羅」の表現、カデンツァは地に足をつけ人生経験がゆたかな明石だからこそでけた演奏でした。
天才でなくても、富裕層じゃなくても、経験を糧に優れた演奏をすることができる。
そして、音楽家として生きていくことができる。
明石はこのコンクールを通じてそのことを「発見」し、彼の今後の生き方も決定したのではないかと思います。
④マサルのスター性と圧倒的な才能。
亜夜との出会いから音楽を始めたマサルは、圧倒的な才能を持つピアノの天才であっという間に上達し、世界的な音楽家ナサニエルに師事するまでになります。
19歳ながら落ち着きがある人格者で、技術と表現力と感性を併せ持つホープで、独特のオーラを持つスターでもあります。
完璧超人ですね、なんかムカつく(笑)
コンクールの参加者の中でぶっちぎりの優勝候補で、しかも師匠のナサニエルは審査員も務めているという圧倒的有利な立場ですが、彼もまたコンクール中に進化を遂げていきます。
昔、自分に音楽を教えてくれた「アーちゃん」に再び会うために彼女からもらったトートバッグをお守り代わりに持ち歩いている・・・。
んー、ロマンチストですね!!
亜夜とは完成的にも深く繋がっていて、お互いが表現していることを瞬時にイメージとして感じ取れていて、感性的にとても似通った部分があるように思います。
そんなマサルの野望はコンポーザーピアニストになって歴史に残る名曲を生み出して、ムーヴメントを作り出すこと。
確かに過去の作曲家へのリスペクトが強すぎて、近代においてはクラシックの分野で歴史に残るような作品が出ていません。
彼は、そういった業界の常識を打ち破って、新たなムーヴメントを作りだとそうと画策しています。
何という野心的な試みでしょう!!
⑤亜夜が手に入れたもの。塵との共鳴
今作で一番爆発的な変化、成長を遂げた登場人物は亜夜でした。
彼女は、ただの復活というだけではなく、コンクールを通して異次元の成長を遂げます。
かつて天才少女として脚光を浴びていた亜夜でしたが、母親の死が原因で表舞台から遠ざかってしまいます。
音楽をやめたわけではなかったけれど、真摯に向き合うことをやめてしまっていた。
そんな彼女が無垢な天才・塵との邂逅でかつてのフィーリングを取り戻して、さらに成長していく。
「僕とおねえさんは同じだもの。おねえさんは、僕の中に自分を見てただけだよ」
「同じ?」
「うん。音楽が本能だもの。おねえさんもそう。僕らは音楽が本能なんだ。だから歌わずにはいられない。おねえさんだって、世界にたった一人きりでもピアノの前に座ると思う」
塵と亜夜はまるでツインソウル。
音楽の関わり方、魂の在り処がとても似通っているように思います。
塵は亜夜の忘れていた何かを呼び起こしにやってきた「ギフト」だったのでしょう。
塵にとっても亜夜は音楽を一緒に外に連れ出してくれるかけがえのないパートナー。
マサルと亜夜のような恋愛感情に発展しかねない関係ではなくもっと無垢で根源的な関係です。
一緒に音楽を外に連れ出す。
これもあまりに大きなテーマですが、覚醒した2人の天才が手を取り合った時に、狭いホールを飛び出して音楽は高らかに鳴り響きたくさんの人の心を打つのかもしれません。
⑥3人の天才が起こした化学反応。
マサル、塵、亜夜の3人の音楽の天才が起こした化学反応。
それがこの物語の中心であり、最も美しい部分であったと思います。
3人はお互いに影響を与え合い、変異、成長していきます。
3人ともとてつもなく音楽を愛していて、音楽を通じて何かを達成したいと思っています。
3人が浜辺で同じ時を過ごす場面で亜夜も奏も感じたように、今後3人は音楽の世界においてとてつもなく大きな存在になっていき、特別な存在になっていくのでしょう。
そんな、伝説の序章と邂逅を描いた物語が「蜜蜂と遠雷」だったかと思います。
この物語を読み始めた時から、僕の頭の中で音楽が鳴り響いて、色彩とイメージが満ち満ちてなんだかとてつもなく切なくなりました。
素晴らしい作品に触れると、いつも身体が言葉や音楽やイメージに満ち溢れていきます。
この物語を読んで、とてつもなく素晴らしいたくさんの色彩に彩られていきました。
僕が観ているこの世界が。
鮮やかな筆致で世界が色付いて拍動している。
「蜜蜂と遠雷」の カバーみたいに。
5、終わりに
文庫本上下巻で945ページの長編でしたが、あっという間に読んでしまいました。
この作品の素晴らしさはなかなか語りつくせてないと思いますが、音楽をイメージ化してそれぞれの登場人物に重ね合わせて語ったことにあるかと思います。
才能溢れる作家が、さらっと書いた作品かと思いきや、足掛け7年の大作。
しかも、何度も頓挫しかかったようで、恩田陸さんに対して親しみが湧きました。
素晴らしい表現力と物語の構築力。
作中、何度も感情の琴線を激しく掻き鳴らさられる想いでした。
たくさんの人が評価するのも納得しました。
「祝祭と予感」も読んでみたいです!!