1、作品の概要
2015年に刊行された宮下奈都の小説。
キノベス2016の1位に選ばれ、翌年本屋大賞に選ばれる。
2018年、山崎賢人主演で映画化された。
2、あらすじ
主人公の 外村は高校生の時に調律師の板鳥に出会い、調律師を目指すことを決意する。
ピアノを弾いたこともなく、音楽に興味があったわけではなかった外村だったが、専門学校を卒業し、板鳥がいる江藤楽器に就職することができた。
今まで、こだわりや、譲れないものなどを持ったことがない外村だったが、調律師の仕事を通して悩みながらも自分にとって大事なものを見つけていく。
先輩の柳、秋野にも影響を受けながら、真摯な姿勢で調律とは何かを考え努力し続ける外村。
ふたご姉妹和音、由仁のピアノにも影響を受けながら、自分が調律師として何を目指すべきなのかに気づいていく。
3、この作品に対する思い入れ
宮下奈都の小説は読んだことなくて、数々の賞を受賞して、映画化されたりしたことは知っていましたが、なんとなく乗り遅れた感があって未読でした 。
ツィッターの読了ツィート、小説10選企画でかなり推されていたので、とても気になり読んでみました。
いや、めちゃ良い作品でした。
宮下奈都さん、他の本も読んでみたいッス。
4、感想・書評
①主人公の内面、変化
主人公の外村は、北海道の山奥で生まれ育ち、高校で寮暮らしをしています。
これといって熱中しているものもないし、確固たる自信を持ったもの、打ち込めるものもありません。
たまたま学校に調律に来た板鳥の調律を見て聴いて、調律師を目指すことを決めます。
ピアノが調律される様子を、森のイメージに重ねながら描写していくシーンはとても素敵ですね。
迷い込んだら危険な奥ぶかさと魅力を持った森。
ピアノもまた、この瞬間から外村には夜の森のように奥ぶかさと魅力を持った深淵な存在になっていったのでしょう。
蓋ー僕にはそれが羽に見えた。その人は大きな黒い羽を持ち上げて、支え棒で閉まらないようにしたまま、もう一度鍵盤を叩いた。
森の匂いがした。夜になりかけの、森の入口。僕はそこに行こうとして、やめる。すっかり、陽の落ちた森は危険だからだ。昔、森に迷い込んで帰って来られなくなった子供たちの話をよく聞かされた。
「ピアノと森」
一見なんの関係もない2つのイメージが、外村の中で結びつき、耐え難い魅力となって彼を動かしていくことになります。
森のイメージは再三外村の内的イメージとして描写されます。
森は外村にとって自分のバックボーンであり、イマジネーションの源泉のような存在だったのではないでしょうか。
板鳥とピアノに魅せられた外村は調律師になることを決意し、学校を経て、江藤楽器に就職します。悩みながらも、ひたむきに真面目に努力する外村の姿はいじらしくも清々しいです。
また、ピアノを通して、何もないと思っていた自分の内面に美しいものがあったことに気付かされます。
その証拠に、ピアノに出会って以来、僕は記憶の中からいくつもの美しいものを発見した
そして、ピアノから得た恩恵に感謝し、調律師として成長することでピアノに貢献したいと願うようになります。
ピアノが、どこかに溶けている美しいものを取り出して耳に届く形にできる奇跡だとしたら、僕はよろこんでそのしもべになろう。
外村にとってピアノの音は迷子のようだった自分にとっての神様のような存在で、ただの仕事というよりは自分の存在理由のような存在になります。
実家にいた時も弟の方が可愛がられているような気がして、家にいても気が休まらなくて、森に癒され、ゆるされていたことも思い出します。
ピアノも森と同じ感覚で、ゆるされている、世界と調和していることを感じ、ピアノで森を表現したいと願っています。
祖母の死で実家に帰った外村は、弟との会話で、弟が、祖母が外村のことを思っていたかを聞き、わだかまりが溶けていくのを感じます。
弟のほうが優秀で、祖母の愛情も弟の方に向いていると思っていましたが、そうではなく「ばあちゃんは兄貴のことが自慢だったんだよ」と告げられます。
翌朝、自分の原点の森を歩く中ででピアノの原風景を自分が知っていたことに気づき、よりピアノの音を感性で理解するようになります。
不器用で、特別な才能を持っているわけではない外村でしたが、愚直なまでに努力を続けて、技術的にも精神的にも少しずつ成長していきます。
②それぞれ調律に想いを持った登場人物
外村は、江藤楽器の先輩調律師3人から技術的なことを学び、それぞれの人生観や、調律に対しての想いを知ります。
板鳥は図抜けた天才的な存在として描かれて外村が調律師を目指すきっかけを作ります。
ひょんなことから、ふたごのピアノを調律するが失敗してしまう外村。
調律師の仕事の難しさ・怖さを感じますが、板鳥からは「きっとここから始まるんですよ」と言われます。
板鳥さんのつくる音が、ふっと脳裏を掠めた。初めて聴いたピアノの音。僕はそれを求めてここへきた。あらから少しも近づいていない。もしかしたら、これからもずっと近づくことはできないかもしれない。初めて、怖いと思った。鬱蒼とした森へ足を踏み入れてしまった怖さだった。
そして、板鳥チューニングハンマーを譲り受け、目指す音を教えてもらいます。
「明るく静かに澄んで懐かしい文体、少しは甘えいるようでありながら、きびしく深いものを湛えている文体、夢のように美しいが現実のようにたしかな文体」
この原民喜が憧れている文体が、理想としている音だと言うのです。
む、難しい。。
この辺の発想がなんとも天才的ですね。
著名なピアニストからも絶大な信頼を得ている板鳥は、外村の憧れの存在で在り続けます。
柳は、一番外村にとって身近な存在で、独り立ちするまでずっと柳と一緒に調律に回ります。
技術だけではなく、気さくで優しく大人な柳でしたが、婚約者の濱野から柳の過去について聞かされます。
若い頃、神経過敏だった柳は公衆電話や派手な看板を憎み、ひいては世界を憎んでいました。
そんな彼を救ったのが濱野であり、メトロノームでした。
何かに縋って、それを杖にして立ち上がること。世界を秩序立ててくれるもの。それがあるから生きられる、それがないと生きられない、というようなもの。
そして、メトロノームがドラムになり、ピアノになり柳に汚い世界でも前を向いて歩く力を与えたのでした。
外村とも共通するところがありますが、自らの生きずらさを他の何かから力をもらうことで、世界と立ち向かう力を少しずつつけていったのでしょう。
秋野は、初め変わり者でとっつきにくい存在に思えますが、徐々に彼も傷を抱えた存在で、調律に対して彼なりの想いを持った人間であることがわかってきます。
元々ピアニストを目指していて、板鳥に調律してもらってた秋野ですが、限界を感じピアニストをあきらめて調律師になります。
ピアノの調律を聴きやすいステレオの「ドンシャリ」のようにしておけば良いとぶっきらぼうに言う秋野でしたが、本当は弾く人のことまで考えた調律をしていて、外村に影響を与えます。
秋野も、ひたむきに努力する外村に徐々に心を開き、それとなくアドバイスするようになっていきます。
③ふたごの和音と由仁との交流
柳が担当しているピアノ好きのふたごの和音と由仁。
2人の個性の違いを表すかのようにピアノの音も控えめな和音の音と、音が明るくキラキラしている由仁と個性が別れます。
万人の評価を受けている由仁のピアノでしたが、外村は地味な和音の音に光るものを見出します。
和音と、外村の恋愛話も絡んでくるかなと思って読み進めていましたが、それはなくあくまでもピアノの音の話だけで進んでいきます。
どこまでもピアノと調律に真っ直ぐな外村。
外村が調律を失敗して以来、ふたごはよく江藤楽器に遊びに来るようになり、和音から由仁がコンサートでいつも以上の力を発揮して聴衆の心を捉えてしまうと、相談されて和音がいつもどおりの演奏ができているなら良いと、勇気づけます。
自分も弟と比較されていたので、重なるところがあったのでしょう。
ピアノが大好きでなふたごでしたが、ある日由仁がピアノを弾けなくなる病気にかかってしまいます。
その影響で和音も一時ピアノを弾かなくなってしまいますが、葛藤の末に再びピアノを弾き始めます。
由仁の想いも載せたピアノは輝きをましていました。
和音は高らかに宣言します。
「ピアノで食べていこうなんて思ってない」
和音は言った。
「ピアノを食べて生きていくんだよ」
部屋にいる全員が行きを飲んで和音を見た。和音の、静かに微笑んでいるような顔。でも、黒い瞳が輝いていた。きれいだ、と思った。
控えめで真面目な和音からは考えられないような力強い言葉。
新たな強さを身につけて、決意を新たにしたことでピアノの音も格段に進化を遂げたのでした。
④調律師として何を目指すのか?
調律師として力をつけていく外村は、ショパンの子犬のワルツを楽しそうに弾いていた青年の仕事を通して、コンサートチューナーを目指さないことを決めます。
コンサートボールで大勢に聴かせるピアノより、個人的に喜びを感じながら弾くピアノに魅力を感じたのでしょう。
技術的には向上していき、秋野にも、板鳥にも調律したピアノの音を褒められる外村ですが、お客さんとの音のやり取りから担当を替えられてしまうことが続いていました。
ただ、ピアノの音を良くするのではなくて、お客が求める音に仕上げる・・・。
難しく奥が深い仕事ですよね。
そして柳の結婚式で和音が弾くピアノを外村が調律することになります。
そこで、お客がいる場で弾くピアノを調律する難しさを知り、和音のピアノが好きで調律をしたいなら、お客さんのことを考え、場全体のことを考えないといけないと痛感します。
個人的にささやかに楽しむ音楽も 良いものです。
しかし、また大勢の人を楽しませ感動を与える音楽も素晴らしいものです。
どちらかを切り捨てる、どちらかを選ぶのではなく、どちらも素晴らしい音楽として調律師として力を尽くす。
それが、外村の出した答えだったのではないでしょうが。
正しく真っ当に、森に育てられた外村に周りの皆は可能性を感じます。
羊と鋼の森を歩き続け、いつか辿り着くことを。
そこは、きっと音楽の彼岸ともいうべき妙なる調べの境地なのでしょう。
5、終わりに
個人的に恋愛要素がなかったのが、少しだけ残念でした(笑)
ただ、ピアノの音を表現する美しい描写の連発で、馥郁たる文章に陶酔しました。
宮下奈都さん、とても美しく繊細な表現をする人ですね。
登場人物も、それぞれ何かを抱え、調律に、音楽に向き合ってる人達で物語に奥行が感じられました。
森のイメージがとても素敵で、ずっと頭の中に音楽が鳴るような素敵な物語でした♪