ヒロの本棚

本、映画、音楽、写真などについて書きます!!

【映画】『ソワレ』~ふたりで逃げた しあわせだった~

1、作品の概要

2020年に公開された日本映画。

村上虹郎主演。

罪を犯して逃げ続ける若い男女を描いたロードムービー

豊原功補小泉今日子がプロデューサーを務めた。

 

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2、あらすじ

 

役者になることを夢見ている翔太(村上虹郎)は、オレオレ詐欺の受け子などして、手を汚しながら東京で生きていた。

和歌山の故郷・和歌山の高齢者施設で泊まり込みのボランティアをするうちにタカラ(芋生悠)と出会う。

翔太は、タカラが出所した父親にレイプされる場面に出くわし助けようとするが、タカラが父親をナイフで刺してしまい2人で逃げ出してしまう。

警察から逃げ続ける2人がたどり着いた場所はどこだったのか?

 


村上虹郎&芋生 悠主演!映画『ソワレ』本予告

 

3、この作品に対する思い入れ

 

なんか仕事で車を運転してて、ラジオで小泉今日子が出てて、映画のプロデュースをしてるとか聞いて、へーとか思ってましたがこの作品だったんですねぇ。

そして、どなたかがツイッターでこの映画を絶賛していて観たくなりました。

どなただったのかは忘れてしまったのですが・・・。

最近、こーゆーのおおいなぁ(^^;;

 

そして、主演が村上虹郎

UA村上淳の息子で、僕が今一番好きな俳優です。

別に演技が物凄く上手とかではないと思うんですけど、存在感とかオーラがハンパないです。

彼が画面上にいるだけで物語が流れ出すような特別な存在だと思います。

 

ゲイではありませんが。

でも好きな俳優はほとんど男性ですね。

浅野忠信とか、オダギリジョーとか、豊川悦司とか。

何か憧れるっていうか。

 

soiree-movie.jp

 

 

4、感想

 

ストーリー的にチープかもしれません。

女の子が父親を刺して、男の子が庇いながら2人で逃げ回るとか。

 

でも、逃げ回ってる2人はこんなことが続くわけがない。

いつか終わるって思いながらも束の間の逃走劇を「味わって」います。

なんだろう。

束の間のモラトリアム期間のような。

いつか終わることがわかっているんだけど、まだ少しだけ味わっていたい。

朝、起きる前にベッドでグダグダしているみたいな時間。

現実と折り合いをつけるまえの狭間のような・・・・。

 

2人の歳はいくつぐらいでしょうか?

25歳ぐらいなのでしょうか?

僕は、大学時代のモラトリアムともいうべき時期を思い出しました。

現実が押し寄せた来ているのはわかっているけど、もう少しだけ逃げ回って子供でいたい。

自由を享受したい。

 

もちろんタカラは父親を刺した罪を犯しているので、法の裁きを受けることになりますが、ある意味現実から遊離したファンタジーのような時間を過ごします。

それは、抑圧されて何も選ぶことができなかった彼女にとってキラキラしたかけがえのない時間だったのだと思います。

 

そして、翔太にとってもうまくいかない現実から逃れる。

しかも、女の子を助けるという大義のもとに行われた逃避だったのでしょう。

 

20代って、学生時代を終えて社会に出るけど、まだまだ不安定で何か狭間で生きているような時期なのだと思います。

そういった不安定さが、ままごとのような2人の旅路と生活に現れています。

でも、誰が彼らを笑えるのでしょうか?

 

梅農家のお宅にかけおちと偽って転がり込んで、金を盗もうとした翔太に「逃げられない」と声をかけた男。

彼もかつては妻と駆け落ちをして何かから逃げ出そうとしていた。

厳しい顔をしていた彼も、翔太にかつての自分を重ね合わせたのでしょう。

警察の聞き込みにも、「何も盗られていません」と黙秘を貫きました。

翔太に投げかけた言葉は、責める意味というよりは助言に近いものだったように思いました。

 作中では明らかにされてはいませんが、おそらく翔太が盗んだ金のことも見逃したのだと思います。

 

タカラと翔太はたどり着いた街でぎこちなく2人の生活を始めますが、ままごとのような生活でうまくいきません。

翔太も役者として成功できず、実家ともうまくいってなくて、薄汚い詐欺の片棒を担いだりして不本意な人生を送っていて、タカラも父親からの性的虐待で心に深い傷を負っています。

お互いのコンプレックスとエゴがぶつかって互いをうまく思いやれずに想いはすれ違ってしまいます。

 

二人が離れ離れになって、タカラが公園で翔太の幻影とお芝居をする場面。

とても物悲しくて、儚い・・・。

幻想的な場面でした。

父親を殺してしまって、警察から2人で逃げ回っていて、翔太は一緒にいないけれどそれでもタカラにとって翔太は心の中の光なのだと強く感じました。

 

2人は見知らぬ街で弾かれて、導かれるように再び寄り添い合って、世界から逃げ出そうとします。

ラストシーンのタカラの笑顔がとても印象的でした。

もう十分だから。

ありがとう。

って言ってるように見えました。

待ってるからって。

 

 

 

5、終わりに

 

エピローグもたまらなく切なくて、とても心に残る映画でした。

2人を繋ぐ運命の糸はずっと前から繋がっていて・・・。

もう涙腺崩壊マックスでした。

 

タカラと逃げ続ける日々は、翔太に約束と覚悟をもたらして真摯に役者と向き合うようになったのでした。

2人の間に流れていた感情はなんだったんでしょうか?

恋愛というと簡単だけれど、何か共感とか、共鳴に近いものだったように思えます。

そして、そのあとの2人の物語が幸せなものであったと強く願うようなそんな良い映画でした。 

 

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【映画】『草間彌生∞INFINITY』~世界で最も売れた女性アーティスト!!ただの水玉のハデなおばちゃんじゃないんです~

1、作品の概要

 

2018年にアメリカで製作された、草間彌生の半生と創作活動を追うドキュメンタリー映画

2019年11月に日本で公開された。

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2、あらすじ

 

草間彌生がどのような環境で絵を書く事を初めたのか?

そして、どのようなキッカケでアメリカで創作活動を始めたのかなど、その半生を追いながら創作の背景にあったものを丹念に探っていく。

そこには、家庭環境、自身の強迫神経症、多くの著名なアーティストとの交流があった。


映画『草間彌生∞INFINITY』予告 11月22日(金)公開

 

 

3、この作品に対する思い入れ

 

草間彌生の存在は、10年前ぐらいに直島に行った時に初めて知りました。

直島港に鎮座する水玉模様の南瓜。

ポップな色彩とデザインにノックアウトされて、ミニオブジェを買って帰ったのを覚えています。

それからも彼女の作品をよく目にして気になるアーティストの1人でした。

benesse.jp

 

TSUTAYAのドキュメンタリーのコーナーでこの映画を見つけて即決でレンタルしてその日のうちに観ました。

1960~70年代のNYの貴重な映像なども観られてとても興味深い作品でした。

 

草間彌生∞INFINITY(字幕版)

草間彌生∞INFINITY(字幕版)

  • 発売日: 2020/07/01
  • メディア: Prime Video
 

 

 

4、感想・書評

 

草間彌生が創作を始めた背景や、家庭環境なども知ることができてとても興味深かったです。

彼女の創作は決して両親から歓迎されたものではなくて、描いた絵も母親に破り捨てられていたなんて・・・。

そして両親の不和など複雑な家庭環境が草間の精神を蝕み、強迫神経症を患うこととなってしまいます。

 

元々、鋭敏な感性を持っていたのでしょうから、繊細な神経の持ち主ではあったのでしょう。

しかし、優れたアーティストは精神的な病を患っていることが多いですね。

神様は偉大な才能を贈る代わりに、見返りに病みやすい魂と心を授けるのでしょうか?

 

長野県にいた少女がバックアップもなく自分の絵を持って単身NYに乗り込み、次第にその地位を確固たるものにしていく過程は本当に驚きで、草間の情熱を自らの芸術への自信と確信を感じました。

彼女が活躍したNYのアートシーンはあのアンディ・ウォーホルなど著名なアーティストらもおり、草間は彼らと肩を並べてNYのアートシーンを盛り上げていました。

これは、すごいことですね!!

 

また、ボディペインティングや反戦運動などを裸同然の格好でゲリラ的に行ったり、ゲイの結婚を認めるなど過激な言動も話題になっていたようですね。

その後日本に戻り、逆境を乗り越えて世界的な評価を受けるに至った草間。

 

このドキュメンタリー映画を観て、彼女の作品や思想にとても強い興味を抱きました。

少し前に、道後温泉で旅館のデザインなんかもやってましたが、愛媛でも個展やってほしいですね~。

dogoonsenart.com

 

 

5、終わりに

 

草間彌生は、とてもエキセントリックな天才アーティストだと改めて思いました。

創作へのエネルギーもスゴイです。

アメリカに旅立つ前、絵を1000枚破棄したとか言ってましたが凄すぎます。

 

以前、愛媛であった『川端康成コレクションと東山魁夷展』で草間彌生の作品を見かけました。

なんと、かの文豪・川端康成も若き草間彌生の絵画作品を所持していたのですね!!

僕がその時見たのは『不知火』とうい作品でしたが、あの世とこの世の境目のような、母親の胎内の卵子のような不思議な作品でした。

 

これをキッカケに草間彌生の他の作品も観てみたいです♪

 

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【本】今村夏子『星の子』~平易な文章と不穏な物語~

 

1、作品の概要

 

2017年6月に刊行された今村夏子初の長編小説で、3冊目の作品。

芥川賞候補に選ばれ、野間文芸新人賞受賞。

本屋大賞にもノミネートされた。

2020年に芦田愛菜主演で映画化。 

新興宗教にのめり込んでいく両親と家族の人間模様を描いた。

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2、あらすじ

 

幼い頃に病弱だった「ちひろ」の病気を治す為に両親はあやしげな宗教にのめり込んでいった。

姉のまーちゃんは、そんな両親に反発して家出を繰り返し、遂に消息を絶ってしまう。

ちひろは、小学生になると病気もなくなり、健やかに成長していく。

奇妙な家庭環境のため周りからの奇異の目にさらされながらも、屈折せずに中学生になったちひろだったが・・・。

恋愛と失恋の経験から両親との関係に変化が生じる。 

星の子 (朝日文庫)

星の子 (朝日文庫)

 

 

3、この作品に対する思い入れ

 

僕が読んだ3冊目の今村夏子の作品になります。

初めて読んだのは『むらさきのスカートの女』で、次に『あひる』を読んで、前から気になっていた『星の子』を読みました。

例えば村田沙耶香ほどの強烈さはないのですが、現実世界に楔を打ち込んでそこから世界が少しずつひび割れて変容していくような不確かな不穏さを持った作家だと思います。

会話が多くて、とても読みやすい作品なのですが、非常に引っかかる作品というか強く印象に残りました。


芦田愛菜『星の子』予告編

 

 

4、感想・書評 

ちひろと家族

両親とも、善良で真面目な人で、宗教さえやらなかったら普通のいい家庭だったんだろうなと思います。

でも、普通のいい家庭って何よ?ってな問いかけもあるかと思いますし、そのへんもこの小説のテーマなのかなと思います。

 病弱なちひろの体を治す為に、両親とも愚直なまでに『金星のめぐみ』の効能を盲信してあやしい宗教にハマっていきます。

 

それまで自分に一心に注がれていた愛情が、産まれてきた弟や妹に注がれて、周りの関心がそちらに移ってしまう・・・。

そのことが原因で上の子が赤ちゃん返りして両親の興味をひこうとしたりすることがよくありますが、林家の場合ちひろが病弱で両親がかかりきりになってしまい、あげくの果てに宗教にハマってしまったのですから、姉のまーちゃんが感じた寂しさはいかなるものだったのでしょうか?

 

ちひろと両親の関係だけだったらある種平穏にすんでいたのでしょうが、まーちゃんはその歪みと変化に耐え切れず結局高校を中退して、行方をくらましてしまいます。

物心ついてから両親の関心が妹に注がれて、尚且つおかしな宗教に両親がハマってしまい、まーちゃんが家を出て行った時点で家族は壊れてしまっていると言っていいでしょう。

 

ちひろはちょっと不自然なぐらいしなやかに宗教にハマっておかしくなる両親と、どんどん劣悪になっていく家庭環境、宗教活動を受け入れています。

中学生になって南先生とのいざこざがあるまでは。

 

ちひろの恋と宗教

ターミネーター2エドワード・ファーロングに恋してから、ちひろは次々と男の子に片思いをします。 

そして、清々しいまでの「めんくい」でカッコイイ男性に夢中になり、中学生の時に恋をしたのが南先生でした。

南先生との失恋は、ただ振られるだけじゃなくてとても辛辣な体験で、自分の両親の宗教的な振る舞いが周囲にとってどれだけ奇異なものなのかを思い知らされるものだったのだと思います。

 

ここで周囲の視線や振る舞いに無頓着にも見えて、特異な環境にもしなやかに適応していたかのように見えたちひろの心の揺らぎが描かれます。

「あんたも?」となべちゃんにきかれた。「信じてるの?」

「わらかない」

とわたしはこたえた。

「わからないけど、お父さんもお母さんも全然風邪ひかないの。わたしもたまにやってみるんだけど、まだわからないんだ」

「ほんどだったらすごいと思うけど」

となべちゃんはいった。

わたしはうなずいた。「そうだね。ほんとだったらほんとにすごいんだけど」

物語も後半になって初めて、ちひろが宗教に対してどうかんじているかについて触れられています。

何かとても曖昧なスタンスで、ある意味醒め切っているようにも見えてきます。

 

③平易な文章と不穏な物語

 今村夏子の作品は、会話中心でひらがなも多く読みやすく平易な文章だと思います。

ただ、描かれている物語はあまり平易なものではなくて、彼女の文章を読んでいると僕は何か重要なものを見落としているような、どこか見当違いな場所に置き去りにされているような、とても頼りなく不穏な気持ちになります。

 

アメリカの伝説的なロックバンドのカリスマ「カート・コヴァーン」が「平易でキャッチーで耳障りがいいメロディに、悪意がこもったダークな歌詞を乗せて聴いている人間を陥れる」的なニュアンスのことを言っていましたが、今村夏子も文章でそれに近いことをやっている気がします。

 

『むらさきのスカートの女』や『あひる』もそうでしたが、『星の子』も読み進めているうちにザワザワとした落ち着かない気持ちになりました。

とても読みやすく、キャッチーな物語に騙されて何かを見過ごしているような・・・。

とても重要な間違いをしているような感覚。

文章を読んでいて、こんな二律背反する気持ちを同時に感じたことは初めてだし、今村夏子の描く物語が持つ独特の魅力だと思います。

 

ちひろの自我の萌芽の予感

最後にちひろと両親は宗教の研修旅行に参加します。

楽しげに振る舞いながらも、どこかこの後宗教とも、両親とも距離を置くんじゃないかって思えるような描写が続きます。

 

バスが両親と違うバスになったり、合宿所に着いてなかなか両親に会うことができずにすれ違いになったり、流れ星を一緒に見る場面でもすれ違いは続きます。

 あとがきでもありましたが、この場面はザワザワ感がマックスで、ラストシーンで何か良くないことが起こるのでは、もしくはちひろが両親と決別するのではという予感がふつふつと起こりますが、物語は両親とちひろが仲良く星を見て終わります。

めでたしめでたし。

両親と仲良しで良かったね!!

 

・・・。

えっ、こんだけザワザワさせておいて?

このラスト?

 

でも、一連の描写はちひろの自我の萌芽を予感させるものだと思いますし、ちょっとずつその予感のような微かなしるしが描かれているように思います。

僕の思い違いかな?

今村夏子はその当たりの感情の動きをあまりハッキリと描かず、行間に託しているように感じます。

 

美しいラストですが、ちひろの姉のまーちゃんは失踪していて家族は崩壊しています。

でも、そこには全く触れずに振舞っている3人の姿にも何か違和感を感じます。

このすっきりしない読後感と、行間から滲み出てくるような不穏さ。

物語に漂う、この独特な雰囲気が今村夏子の小説の唯一無二の魅力なのだと思います。

 

 

5、終わりに

 

すっきりしねぇぇぇぇーーーーーー。

ってのが、偽らざる僕の感想で、このすっきりしなさ加減を求めてまた今村夏子の作品を読んでしまうのだと思います。

僕の考えすぎなのでしょうか?

 

何だか書評を書き終えても、何か致命的な見落としをしているような・・・。

何か落ち着かない気持ちにさせられます。

こんなタイプの読後感は初めてですね。

 

本を読む人って減っていってるように聞きますが、独自の世界観を持った素晴らしい作家は増えていっているように思います。

また好きな作家が1人増えて読むのが追いつかないし、ブログの書評も追いつかないなぁ。。

1週間ぐらい、無人島にこもりたいですねぇ(>_<)

 

 

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【映画】『ジュディ 虹の彼方に』~古のミュージカルスターの光と影~

1、作品の概要

 

2019年にアメリカイギリスの合作で製作された伝説のミュージカル女優ジュディ・ガーランドの伝記映画。

2019年9月に全米公開、2020年3月に日本で公開された。

ゴールデングローブ賞アカデミー賞レネー・ゼルウィガーが主演女優賞を受賞した。


JUDY Trailer (2019)

 

 

2、あらすじ

 

子役の頃からハリウッドで女優として活躍し、『オズの魔法使い』のドロシー役でスターダムを駆け上がったジュディ・ガーランドレネー・ゼルウィガー)。

しかし、痩せるために薬漬けにされて、私生活も管理されながら、激務をこなす日々は彼女の精神を蝕み、神経症と薬物中毒の後遺症に苦しみ続けていた。

47歳になったジュディは2人の子供を育てるシングルマザーになっていたが、仕事は減り生活は困窮していたが、まとまった収入を得て子供達と暮らすために5週間のロンドン公演に出演する。

 

プレッシャーで不安定になりながらも、マネージャーのロザリン(ジェシーバックリー)、恋人のミッキー(フィン・ウィットロック)に励まされて圧巻のパフォーマンスを披露して観客を魅了する。

しかし、夫になったミッキーとの破局、子供達の裏切りなど心に深い傷を負って、酩酊したままステージにあがり契約を解除されてしまう。

 

ジュディはもう一度輝くことができるのか?

ジュディ 虹の彼方に(字幕版)

ジュディ 虹の彼方に(字幕版)

  • 発売日: 2020/09/02
  • メディア: Prime Video
 

 

 

3、この作品に対する思い入れ

 

ジュディ・ガーランドのことは知らなかったのですが、映画館でチラシを見て気になっていました。

最近、DVDを観ましたが、レネー・ゼルウィガー本人の歌と踊りのパフォーマンスが秀逸でジュディにも興味が湧きました。

好きな音楽映画のひとつになりました♪

 

 

4、感想

①波乱万丈のジュディの人生

薬漬けにされて、オーバーワークを強いられて、徹底的に管理されながら『オズの魔法使い』のドロシー役で世界的なブレイクを果たしたジュディ。

しかし、神経症や薬物依存に苛まされてアメリカのショービジネスの世界から干されていました。

冒頭で子供を連れて、その日泊まる場所もなく転々とする姿は痛ましかったですね。

 

この映画を観てからジュディ・ガーランドのことを調べてあの名曲「OVER THE RAINBOW」を歌った人だと知って感銘を覚えました。

正にレジェンドですね!!

しかも、1回目にリメイクされた『スタア誕生』で主演を務めて高い評価を受けました。

ちなみに2回目のリメイクがレディー・ガガが主演した『アリー/スター誕生』です。

hiro0706chang.hatenablog.com

 

しかし、不安定な精神状態からまともに仕事ができずに困窮していくジュディ。

映画はそんなジュディの晩年を描いています。

幼少期に世界的な名声を得てスターになりながら、私生活では5回の離婚を繰り返し、精神的にボロボロになっていく・・・。

典型的な破滅的なスター。

ちょっとAMY WINEHOUSEを思い出しました。

hiro0706chang.hatenablog.com

 

②素晴らしい音楽シーン

ロンドン公演でリハーサルはすっぽかし、直前まで情緒不安定で、遅刻ギリギリにステージに立ったジュディ・・・。

こりゃ、ダメだろとか思ってたら、素晴らしい歌を披露し、観客の心を鷲掴みに!!

レネー・ゼルウィガーはシンガーの吹き替えなしに自身の歌で演じましたが、シンガー顔負けのパフォーマンスでしたね!!

まさに圧巻でした!!


「オーバー・ザ・レインボー」をレネー・ゼルウィガーが歌い上げる!映画『ジュディ 虹の彼方に』スペシャルMV

 

サントラも買ってみたいし、ジュディ・ガーランドカーネギーホールでのライブ盤もめちゃくちゃいいみたいですね♪

そして、ラストの「OVER THE RAINBOW」は感動でした・・・。

 

③再びの挫折・・・そして奇跡

ロンドン公演で復活したかに思えたジュディは、夫・ミッキーとの破局、子供達が自分との生活を望んでいないことを知り、失意のどん底に落ちます。

なんか、このあたりもアップダウンが激しい人生ですね・・・。

上がる時はバーっと上がりますが、堕ちる時も真っ逆さまっていうか・・・。

 

ボロボロの状態でステージにあがったジュディは酩酊状態で倒れてしまい契約破棄されてしまいます。

そんなジュディのためにロンドンでのマネージャー・ロザリンがささやかな送別会を開きます。

ロザリン、僕的に気になる役柄でしたね~。

いい味だしてました。

 

最後に一曲だけどステージに上がったジュディに起こった奇跡に深い感動を覚えました。

カート・コヴァーン、シド・ヴィシャスエイミー・ワインハウスなど破滅的なスターの人生はアップダウンが激しく、その一瞬強い輝きは人々を魅了するのでしょう。

ジュディの最後の輝きを凝縮したのが、この映画だったのだと思います。

 

 

5、終わりに

 

この映画を通じてジュディ・ガーランドについて知ることができたことがとても良かったと思います。

最近では、サッカー界のスーパースターであるディエゴ・マラドーナが死去し、ドキュメンタリー映画が公開になりました。

色々と利権も絡んでいるかもしれませんが、こういったレジェンド達が映画をキッカケに見直されて、新たなムーヴメントが起きるのは良いことだと思います。

ジュディの波乱に満ちた人生が見せた放熱の軌跡に深い感動を覚えました。

 

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【本】中村文則『掏摸』~光が目に入って仕方ないなら、それとは反対へ降りていけばいい~

1、作品の概要

 

2009年10月に刊行された中村文則の長編小説。

短編集も合わせて、彼の8作目の作品。

天才スリ師の主人公が闇社会で巨大な力を持つ木崎に運命を翻弄されるサスペンス要素を盛り込んだ物語。

第4回大江健三郎賞受賞。

同作の英訳『The Thief』がウォール・ストリート・ジャーナル誌の2012年ベスト10小説に選ばれ、初めて海外で評価を受けた。

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2、あらすじ

 

 天才的なスリ師の西村は、スリ仲間の石川から誘われて木崎という闇社会で力を持つ男が計画した強盗殺人の犯罪に係わることになる。

石川は木崎によって消され、西村は東京を一旦離れるが東京に戻り一緒に強盗をした立花と再会。

再び、運命の歯車が回り始める。

 

ある日、スーパーでの万引き現場を目撃した母子と関わるようになり、男の子に金をやったりスリの手ほどきをするようになる。

疎ましく思いながらも、男の子のことをどこか自分の子供の頃のように重ねる西村。

 

木崎と再び邂逅し、3つのスリの仕事の依頼を受けた西村だったが・・・。

掏摸 (河出文庫)

掏摸 (河出文庫)

 

 

 

 

3、この作品に対する思い入れ

 

とても好きな作品だし、『銃』『掏摸』『悪と仮面のルール』でどんどん中村文則の作品にハマっていったように思います。

純文学的な要素を持ちながらも、とてもスリリングでページをめくる手が早くなるような作品ですね。

 

ただ「塔」の描写や、佐江子との破滅的な交わり、西村の破滅願望など純文学的な要素、複雑な内面の心理描写も並行して描かれています。

初めて読んだ時は、スリリングなサスペンス映画を観た時の感覚と、純文学的な作品を読んだ時の内に沈んでいくような感覚を同時に味わえて大変な驚きを感じました。

思えば、僕は『掏摸』を読んで決定的に中村文則の作品に耽溺するようになったのでしょう。

 

 

4、感想・書評

①純文学をアップデートする

唐突になんだかよくわからないテーマですが・・・。

僕は、中村文則が『掏摸』で純文学のアップデートを試みたように思うんですね(^^;;

大した読書家でもない僕が、こんな大層なテーマを書いたらガチ読書家の方から石を投げられそうですが。。

まぁ、どうかオッサンの戯言だと思って読み流してくださいませ(^^;;

 

まずは、純文学とは何かというところですが・・・。

純文学(じゅんぶんがく)は、大衆小説に対して「娯楽性」よりも「芸術性」に重きを置いている小説を総称する、日本文学における用語。

wikiとかにはこんな感じで載ってます。

僕の認識もこれとほぼ同じで、純文学とは娯楽性=ストーリーよりも芸術性=情景の美しさ、心理描写、人間の哲学・真理について書いたものだと思っています。

あとは、卓越した文章力と感性で、文章単体でも美しいと思えるもの。

 

娯楽性を排除した小説が面白いのか??

ってツッコミもあるかと思いますし、ぶっちゃけ純文学と称される作品のほうが読むのはシンドいし、ストーリーが平坦でわかりにく作品であることが多いかと思います。

中村文則の初期作4品なんかは正にそういった感じですし、『土の中の子供』は芥川賞に選ばれましたが、テーマも暗く先の読めないストーリーも、どんでん返しもありませんでした。

 

ただ、個人的にはそんなストーリーやキャラクター重視の作品より、いわゆる「純文学的」と言われる深みのある物語のほうが好きでした。

作品から受ける衝撃の深さ、大きさが捉えて離さず読後もずっと自分の生活や人生に入り込んでくるような濃密さがあったからです。

映画や、音楽も僕は同じ感覚で選んでいますが、どこまで自分の内部に深く食い込んで、どこまで遠くに連れて行ってくれるかが大事だと思っています。

個人的な感覚だし、別にそこまで求めなくてもいいんじゃ、って意見が大半なのだろうと思います。

でも、僕にとってはずっと大きなテーマで、だからこそ読む本、聴く音楽、観る映画、絵画にこだわるし、このスタンスは一生変わらないのだと思います。

 

僕は、『掏摸』を読んだ時に軽い混乱を覚えました。

スリや犯罪行為を主題として、スリリングな展開を楽しみながらも、主人公の複雑な心理描写や運命の不可思議さを説く・・・。

まるで、ハリウッド映画の娯楽性と純文学の深みが共存したような物語。

自分にとってはとても新しい感覚でした。

 

大げさかもしれませんが、僕は中村文則が『掏摸』を通じて純文学の現代版としてのアップロードを試みたのではないかと思っています。

ただでさえ本が売れなくなっている時代に、「ラノベ」なるポップな作品が幅を利かせてもはや純文学は死滅したかのうようなこの昨今。

純文学が生き残る術は娯楽性と芸術性のハイブリッドだったのではないでしょうか?

もちろん、そんないいとこどりの作品は誰にでも書けるわけはないのですが、中村文則はそれを成し遂げ、平野啓一郎の作品の軌跡にも同じような流れを感じることができます。

平野啓一郎の書評も書きたいのですが、この人の作品はなんだか覚悟がいりますね(笑)

40代の同世代の作家が躍進しているのを見るととても嬉しくなります。

西加奈子村田沙耶香も。

 

②スリ、犯罪を描いた蠱惑的な作品

中村文則自身も、あとがきで「反社会的作品」と評しているようにこの物語は徹底して社会から外れた人間が描かれています。

北野武の映画じゃないけど、「全員、悪人」とかいうキャッチコピーでイケそうですね(笑)

西村がスリをする場面もとてもスリリングで息が詰まるような緊張感があります。

そのうち、藤原竜也とかが主演で映画化もしそうですね。

その入ってはいいけない領域の伸びた指、その指の先端の皮膚に走る、違和感だど消えうせる快楽を・・・

など、とても蠱惑的に他人の財布を盗む瞬間を描写しています。

 

中村文則が大学で犯罪心理学を学んだということもあるかと思いますが、犯罪と犯罪者の心理については作品中で繰り返し描かれます。

そして、登場してくる人間は、スリ仲間の石川、木崎、スーパーで出会った母子など犯罪者やどこかマトモじゃない人間たちばかりです。

道義的に正しいかどうかは別として、罪を犯す人間が繰り返し描かれていてそれぞれが抱える暗部が交錯して、黒い火花を散らします。

 

③悪、運命を司ろうとする木崎

悪と仮面のルール』『教団X』『逃亡者』などでも繰り返し登場する悪を為す人間。

木崎は中村作品に初めて登場した明確な「悪」として描かれた存在で、木崎の存在が西村の運命を翻弄していきます。

 

中村文則が描く「悪」は、ただ犯罪を犯したり、他人を害したりするだけではなく、もっと複雑な側面を持っていて、得体が知れません。

木崎は全てに飽いているかのように見えて、突然上機嫌になったり、思いつきで行動してみたり不気味です。

そして、他人の人生に干渉することでまるで運命そのものであるかのように、人生に於いての何かの災厄であるかのように振る舞います。

気まぐれに他人の人生に入り込み、命を奪うことで快楽に震える。

圧倒的な力を持つ暴力そのもの悪そのもののような存在・・・。

いや、絶対関わり合いたくない種類の人間ですね!!

 

「・・・他人の人生を机の上で規定していく。他人の上にそうやって君臨することは、神に似てると思わんか。もし神がいるとしたら、この世界を最も味わっているのは神だ。俺は多くの他人の人生を動かしながら、時々、その人間と同化した気分になる。彼らが考え、感じたことが、自分の中に入ってくることがある。複数の人間の感情が、同時に侵入してくる状態だ。お前は味わったことがないからわからんだろう。あらゆる快楽の中で、これが最上のものだ。いいか、よく聞け」

圧倒的な力を背景に他人の運命を規定して飴玉のように口の中で転がしながらゆっくりと味わっていく・・・。

木崎と出会った人間は、そのように掌の上でころがされて弄ばれる。

単純に悪行を繰り返すというよりは、不吉な災厄そのもののような存在。

他人の運命に干渉して命すら奪い、国を揺るがすような事件を起こして、どんどん巨大な存在になっていきながらもそれにすら倦怠を感じて地獄を抱えている木崎。

東京で木崎と再会した西村の運命と命は、弄ばれ続けます。

 

巨大な悪から、運命からは逃れえないのでしょうか?

答えは西村がラストシーンで放ったコインに込めらているように思います。

 

④塔、破滅願望を抱える西村

天才スリ師である主人公の西村。

中村作品でよく出てくる登場人物のように複雑な事情を抱えて歪みを抱えたまま大人になっています。

おそらくは施設の出身で親の愛情を受けることができなかったような状況が推察されます。

 

もちろん、施設の出身で事情があって親から離れていても立派に育つ人間もいれば、裕福な家庭で親の愛情を受けて育っても歪んでしまう人間もいるとは思います。

ただ、彼の作品では施設出身で実の親から愛情を受けられなかった子供が、そのまま歪みを持ちながら成長してしまうというパターンが多く、西村も他人のモノを盗んでしまうという大きな歪みを持っています。

 

西村の歪みが複雑だったのは、子供の頃に何かに導かれるように盗んだモノをわざと落としたりして、その罪が明るみになるように振舞っていたことでしょう。

彼は何故盗んだモノをも落として自らの罪を明るみにしてあえて裁かれようとしていたのでしょうか?

それは、中村文則があとがきで書いていたように「光が目に入って仕方ないなら、それとは反対へ降りていけないい」と、西村が感じていたからでしょう。

自らの罪を明るみに出して裁かれることによって、光り輝く世界から遠い存在になっていく・・・。

自らを虐げるような、破壊するかのような仄くらい心のうちが見て取れます。

 

彼の行為を見咎めるように、いつも遠くにあり見下ろしていた「塔」。

実在のものではなくて、観念的なものだったのでしょうがおそらく道徳や倫理、人間としてこうあるべきといったような「立派で真っ当なもの」の象徴だったのでしょう。

そいういった「光」のような存在から自分は阻害されているという想い。

世界に背を向けて生きているという感覚・・・。

 

『遮光』を思い出しました。

あの時私は、太陽を睨めつけていた。太陽はちょうど水門の真上にあり、酷く明るく、私にその光を浴びせ続けていた。私はそれを、これ以上ないほど憎み、睨めつけていた。その美しい圧倒的な光は、私を惨めに感じさせた。この光が、今の私の現状を浮き彫りにし、ここにこういう子供がいると、世界に公表しているよな、そんな気がしたのだった。私はその光に照らし出されながら、自分を恥ずかしく思い、涙をこらえた。

強すぎる光は、暗がりで心地よく生きている人間には時に強すぎるし、中村文則自身も彼の小説の主人公もその光を避けるように生きています。

でも、決して前向きとは言えない生き方でも這いずるように暗がりの中で必死に生きている。

そんな姿がいつも胸をうちます。

hiro0706chang.hatenablog.com

 

 

そんな破滅願望を持ちながら、光に背を向けて生きている西村に身を寄せていた佐江子。

彼女もまた病んだ魂を抱えて、同じように薄暗い何かを持った西村にシンパシーを感じていたのでしょう。

「・・・私は目の前にある価値を、ダメにしたくなる。・・・何でだろう。何もいいことなんてないのに。自分が何をしようとしてるのか、わからなくなる・・・、あなたは、何か望みとかある?」

佐江子について書かれた場面は少ないですが、西村の心に深く食い込んだ存在であることが窺えます。

 

⑤魂を慰撫する緩やかな関わり、希望としてのコイン

 登場人物が全員悪人と書きましたが、その上もれなく病んでますね(笑)

破滅と狂気の狭間であえぐように生きているように見えます。

他の作品では、わりとメンターのような存在(『土の中の子供』『何もかも憂鬱な夜に』の施設長、『逃亡者』のあの人)や、ドストエフスキー罪と罰』におけるソーニャ(主人公の心を救う清らかな売春婦)のような存在(『遮光』のミキ)も見当たらずより行き止まり感が強いように思います。

 

ただ、この作品で西村の魂を慰撫するような存在はスーパーで出会った子供。だったのでしょう。

自分の境遇・幼いころの面影を重ねて何かと世話を焼き、子供にスリの手ほどきすらします。

唯一、心温まるような温かい交流の場面のように思います。

まぁ、スリの指南とかまともじゃないですが(笑)

 

まるで、自分の存在が消えてしまう前に何かを残したいと願うような、西村の魂の叫びにも思えてきます。

ある意味、主人公自身が誰かのメンターとしての存在になっていくという他の作品ではあまり見られない展開だと思います。

 西村は子供に金をやったり、施設を紹介したりして最後に小さい箱を渡します。

まるでパンドラの匣のようにも思えるその箱は子供の希望に成り得たのでしょうか?

まるで自分が真っ当に生きられなかった埋め合わせをするかのように、自分の代わりに世界に対して真っ当に渡り合って欲しいと思うように想いを託して去っていきます。

ある種の継承。

連鎖する呪いからの脱却。

想いは伝わったのでしょうか?

 

ラストシーン、絶望の中で投げられる1枚のコイン。

中村文則が描く物語の最後に必ず提示される希望。

彼が投げたコインは希望となり得たのでしょうか?

 

 

5、終わりに

中村文則の作品が大きく変容して、多くの人に受け入れられるきっかけになった転換点のような作品だと思います。

初期のようなとことん内向的な作品が好きだという人の意見もとてもよくわかりますが、この作品以降ミステリー色の強い作品や、総合小説のような人生そのものを俯瞰するようなスケールの大きな作品を書いていると思うし、僕はこの作家はまだまだ進化していくと思っている。

僕自身は決して暗い性格ではないと思いますが、時々中村文則の文学が自分の暗部にそっと寄り添ってくれるように感じる。

生きづらさを感じることが多くても生きていこうって感じることができます。

 

『掏摸』は思い入れがある作品なので、書くのに勇気が要りましたが自分が感じていることは表現できたように思います。

読み返していて、以前気づかなかった物語が内包するメッセージにも気付かされたような気がしています。

 

 

 

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【映画】三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実~~

1、作品の概要

 

1969年5月13日に東大で行われた東大全共闘主催の三島由紀夫との討論会のドキュメンタリー映画

三島由紀夫の没後50年を悼んで制作された。

2020年3月20日公開。

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2、あらすじ

 

日本が革命の熱にうかされて 、反戦デモ、学生運動が頻発していた時代。

日本を代表する文豪・三島由紀夫が、東大駒場キャンパスの900番教室で東大全共闘の学生と討論をしに単身乗り込んできた。 

1969年5月13日。

1000人の敵を前に三島は何を語ったのか?

当時の映像と、主要人物など13人のインタビューを交えながら語る「伝説の討論会」の真実・・・。


1969年伝説の討論会映す『三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実』特報

 

 

3、この作品に対する思い入れ

 

正直、難しいことは全くわからないんだけど。

魂が揺さぶられた。

まぁ、風が吹けば簡単に揺さぶられる安い魂なんだけどさ(笑)

 

真剣にこの国を良くしよう、変えようとする熱意、情熱。

本気が伝わってきた。

三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実

三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実

  • 発売日: 2021/02/26
  • メディア: Prime Video
 

 

 

 

4、感想・書評

 

最初に言うときますが、難しいことはわかりまへん(笑)

しょっぱなから白旗です。

当時の学生運動がどうとか、加速していく三島の右翼思想とか、そこまで深い理解をしているわけではありません。

わりとミーハーな感想になるかと思いますので、深い考察を求めている方は申し訳ありません!!

いや、調べながら深そうな考察を書いてみようかなとも思いましたが、まーまー面倒だしミーハーにザックリした感じで感想を書いてみるのも良いかなという結論に至ったのですよ。

 

①僕と全共闘

1960年代に行われた学生運動

まだ僕は生まれてなかったので、物語の中で知るだけでしたが日本が熱にうかされて革命を夢見た時代として強く印象に残っていました。

初めて全共闘のことを知ったのが、宗田理ぼくらの7日間戦争』でした。

『ぼくら~シリーズ』は僕の小学生時代のバイブルで7日間戦争を読んでから、全作品を読みあさりましたが、7日間戦争は親世代が全共闘世代の子供達が親たちの反逆を模倣して、社会に反旗を翻すという物語でした。

読んでいて、心躍ったことを覚えています。

 

村上春樹ノルウェイの森』『1Q84』、村上龍『69』でも全共闘について触れていました。

彼らの世代に於いては、運動に夢中になるにせよ、一線を引くにせよ、何らかの態度を決めなければいけない時代だったのだろうなと思います。

浜田省吾の『遠くへ』も全共闘の運動がテーマになっている曲ですね。

 

②三島の話術

討論会がスタートして、まずは三島の挨拶&演説っぽいトークから始まりますが、これが絶妙。

三島を敵視して、ギスギスしていた1000人が徐々に緩んで、次第に笑い声も起きるようになっていきます。

ポスターでゴリラと揶揄された自分をネタに笑いを取りつつも、次第に自分と全共闘との共通点、相違点を洗い出してお互いの立ち位置を明確にしていきます。

思想が対立しているからといって全く共通点がないということがあるのでしょうか?

少なからず共通点はあるように思えました。

絶妙の緩急で場を和ませつつも、時には鋭い主張をする三島。

 

ミーハーかもですが、立ち振る舞いもめちゃくちゃかっこよかったですね!!

身体を鍛えているだけあって、姿勢、立ち方がとても美しく体幹が鍛えられていることが窺えます。

体幹インナーマッスルを鍛えていると、姿勢が正しくなり、立ち振る舞いが美しくなります。

三島の立ち方、諸動作は非常に美しかったです。

タバコの吸い方、笑い方なんかも非常に絵になっていて、まさにカリスマといった感じでしたね!!

三島を論破して、壇上で切腹させると言っていた学生たちも三島のカリスマ性に次第に籠絡されていきます。

 

③芥VS三島

YouTube全共闘でよく取り上げられる場面。

東大全共闘最強の論客・芥氏と三島の舌戦。

芥氏は、自分の赤ん坊を抱いてふらっと壇上に上がりますが、その激しい舌鋒に三島の顔色が変わります。

何しゃべってたかは忘れました(笑)

いや、理解できなかっただけかもですが・・・。

とにかく2人の言葉を武器にした戦いは美しく印象的でした。

 

ちなみに芥氏の現在のインタビューも繰り返し挿入されていましたが、70歳を超えても尖りまくっててクソかっこよかったです!!

当時から、前衛芸術とか演劇とかやってたみたいですが今に至るまでずっとやってて、めっちゃオシャレでカッコイイ爺さんでした。

三島のことも呼び捨てでDISりまくってて、インタビュアーにも噛み付いてて、こんな爺さんになりたいなって思いましたよ!!

 

他にこの日に会場にいた人達が当時を振り返りながら三島のことを語るのはとても良かったですね。

三島の人間性に触れられたように思いました。

 

 

5、終わりに

 

友人が、『花束みたいな恋をした』を観たって話をしていたから、僕もラブストーリーを借りようと思っていたのに気づくと借りていたのは三島のドキュメンタリーでした。。

海に出るつもりじゃなかったのに。

人生は往々にして意図していなかった場所に僕たちを運んでいきます。

 

でも、胸が熱くなるようなまるで劇場にいるかのような討論会で、映像にひき込まれていきました。

まるで、オペラだ。

そう思いました。

愛憎渦巻く、ぼとばしる激情の中、論は交わされて。

感情の渦巻き、魂の叫びが満ち満ちていくような熱い気持ちにクラクラと酔いしれるような気分になりました。

 

50年後の世界に生きる僕達は三島と東大全共闘の学生たちの張り詰めた想いを受け止めることができるでしょうか?

思想を超えて三島が成し遂げようとしていた想い。

少しずつでも、現代を生きる侍の末裔である僕たちが、継承していくべきなのかもしれません。

 

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【本】『52ヘルツのクジラたち』町田そのこ~声なき叫びを聴いて!!生き直しの物語~

1、作品の概要

 

 2020年4月に刊行した町田そのこ初めての長編小説。

書き下ろし。

 

2021年本屋大賞ノミネート、『王様のブランチ』本屋大賞1位、読者メーターOF THE YEAR2020 1位、ダ・ヴィンチ BOOK OF THE YEAR 4位に輝いた作品。

 

虐待という重いテーマを扱いながら、心に傷を持った者同士の深く優しい触れ合いを描いた物語。

 f:id:hiro0706chang:20210223174210j:image

 

 

2、あらすじ

 

都会の街から1人で大分県の海辺の町にやってきたキナコ。

彼女は、過去に自分を虐待の地獄から救い出してくれたアンさんの声なき想いを感じることができずに失ってしまい、愛してくれた主税を粗暴な男へと豹変させてしまったとという重い過去をひきずっていた。 

 

心にも体にも重い傷を抱えて逃げるように隠れるように暮らしていたキナコは、自分と同じように親から虐待を受けていた愛(いとし)と出会い、彼の声なき声を聴くようになる。

キナコを慕う村の青年・村中や、親友の美晴と共に愛を虐待から救い出すために奔走するキナコ。

愛や、周りの人達の優しさに触れるうちに過去に縛られて固く閉ざされていたキナコの心に次第に温かいものが満ちていく。

 

誰にも届かない52ヘルツの叫びを上げ続けるクジラ達の物語・・・。

 

www.chuko.co.jp

 

 

 

3、この作品に対する思い入れ

 

 ツィッターで仲良くしていただいている方が『52ヘルツのクジラたち』を紹介している文章を読んで、とても読みたくなり即ネットで注文しました。

ネットショップで売り切れで届くまでには少しタイムラグがありましたが、物語の世界に強く引き込まれてほぼ一日で読んでしまいました。

 

僕にとって特別な物語がまたひとつできたことがすごく嬉しいし、息子達にも読ませたいです。

とても辛い背景を持った人達の物語ですが、絶望の淵にいても何度でもやり直して生き直すことができるってことを改めて感じさせてくれました。

 

52ヘルツのクジラたち

52ヘルツのクジラたち

 

 

 

 

4、感想・書評

 

①アンさんとキナコの運命の出会い

物語の冒頭から繰り返しキナコが想っている「アンさん」ですが、とても大事だった人で失ってしまった喪失感が繰り返し描かれています。

親から虐待を受け続けていた主人公のキナコ、彼女を助け出してかけがえのない存在だったアンさん、親から虐待されて声まで失ってしまった52(愛)の3人がこの物語の核となる登場人物で、誰にも届かない声で叫び続ける52ヘルツのクジラたちのような存在だったのだと思います。

 

アンさんはキナコにとって特別な存在で、まるでヒーローのようにキナコを地獄から救い出してくれました。

キナコは両親から酷い虐待を受けていて、母親からは何をしても否定されて罵られ、ALSの難病になった義理の父親の介護を強要されて成人してからも搾取され続ける毎日でしたが、偶然街中で出会ったアンさんと高校時代の親友・美晴に救われます。

アンさんは、半ば強引にキナコを家から連れ出し、仕事や住居に関することまで支援してキナコを自立させます。

 

何故アンさんは、そこまでキナコの面倒をみて手助けをしたのでしょうか?

ただの好意や親切心を超えた力強い動機付けを感じます。

それはもしかしたらアンさん自身の心の中にも屈折した想いがあり、キナコと同じように声なき声を上げ続ける存在だったからなのかもしれません。

アンさんは、キナコと初めて出会った時に直感的にキナコの声なき叫び、誰にも届くことのない52ヘルツの声を聴いたのでしょうか・

 

緩やかな連帯感、シンパシー、そして魂の番とも言うべき運命的な出会い。

お互いが不完全で、不具であるからこそ歪に寄り添え合えた関係。

しかし、アンさんがもう一歩踏み出して、キナコとしっかりと向き合うことができない理由がありました。

微妙なバランスの上で成り立っていたキナコ、アンさん、美晴の関係も変化していきやがてキナコは主税という男性と交際するようになります。

 

ここからアンさんは、キナコにとって不穏な存在になっていきます。

周りとの関係を遮断し、あたかも嫉妬にかられた粘着質の男のように見えていたアンさんの真意を知った時には全てが手遅れになった後でした。

物語を全て読み終わった後で、アンさんがどうしてこういった行動がを取っていたかの理由がわかってもアンさんの感情の動きや行動はとてもミステリアスで難解です。

アンさん自身の感情表出や、自身の内面を吐露するような場面は最後の手紙の場面以外にほとんどなく、多くの謎を残して去ってしまいます。

キナコが全てを理解した時は手遅れで、アンさんの手で始まった彼女の第2の人生はアンさんとの別れで終わりを告げます。

 

キナコはアンさんとのすれ違いを。

その魂の叫びに、自分を求め続ける哀切に満ちたその声を聴けなかった到ならさに後悔の念を抱き続けることになります。

アンさんの真意はずっとベールに覆われていますが、僕はもしかしたらキナコに対して呪いをかけていったのではないかとも思っています。

自らが消えることで相手の心に消えることのない情念の楔を打ち込む。

女性的な情念を感じさせる呪い。

 

これは、僕の拡大解釈かもしれませんが。

相手の中で永遠に生き続けて、想われ続けるためには届かない想い、献身、消失という要素が必要なのかもしれません。

アンさんは、キナコの心にずっと消えない自分の傷跡を残したいと無意識にでも願ったのではないでしょうか?

真意はわかりませんが、アンさんの想いは純愛呼ぶにふさわしい無辜の愛だったのでしょう。

なんの見返りも求めずにただ相手の幸せを願い続けるような・・・。

 

「ねえ、アンさん。あのね・・・あの、わたしのこと、好き?」

男と女として、とはさすがに言えない。あんさんは少しだけ沈黙して『大事だよ』と言った。

『キナコのしあわせをずっと祈るくらいにはね』

 

究極の純愛について昔何かの本で読んだのだけれど、「どれだけ想っても絶対に叶わないこと」ものだと記されていました。

アンさんは、運命的な愛に生きて純愛に殉じたのでしょうか?

キナコの心に軛を残して。

 

 

②キナコの第3の人生を包む温かさ

 

そのようなアンさんとの離別、主税との別れを通して、キナコは心にも体にも深い深い傷を負ってしまいます。

ただでさえ、虐待され続けてマイナスからのスタートだった人生から再起しての第2の人生でさらに傷だらけになってしまう・・・。

神様、あんまりやで!!

 

逃げるようにおばあちゃんが住んでいた大分の家に引っ越してくるのがこの物語の冒頭部分ですが、まるで余生を送るかのような隠遁生活を望むキナコの周囲は割とカラフルで温かい人達が多く登場します。

田舎ならではの不躾さと、温かさ。

それに密かに僕はこの物語のキーだと思っている、美味しい食べ物たち。

 

キナコがアンさんと美晴と初めて3人で居酒屋に行って、アンさんに食べさせてもらった茶碗蒸し。

キナコと愛が縁側で一緒に食べたカレー。

小倉では名物の鉄鍋餃子に焼き鳥屋に豚骨ラーメンとおでん(笑)いや、たべすぎやろ!!

その他の重要な場面でも飲み食いする描写が多く、食べたり飲んだりすることが好きな僕は読んでて楽しかったです。

 

『52ヘルツのクジラたち』は虐待、自死LGBTなど重いテーマをはらんだ作品ですが、ポップな表紙と相まって重すぎず、最終的に光を感じさせる作品になっているのは皆で楽しく飲食している場面が多いからなのかなとも思います。

僕は、やっぱり食べることは生きることだと思いますし、悲しいことがあってもお腹は減る。

片意地張らないで、みんなで美味しくゴハンを食べられれば元気も出て、体も温まるし幸せなんだと思います。

町田そのこさんが、作中に飲食の場面を多く描いている意図は僕の思う通りかわかりませんが、この作品に感じる温かい光は美味しくゴハンを食べている場面が多いからなような気がします。

 

偏見かもしれませんが、やはり女性の作家さんのほうが食事の場面(またはゴハンを作る場面)を多く描いていることが多いような気がしますし、そのことで優しくて温かな文章を書かれているようにも思います。

食べることと、生きていくこと、日々の生活を丁寧に送ることの大事さを理解して、表現しているのでしょうか。

 

また、キナコが住む家を修理に来た村中や、キナコを追いかけてきた美晴などたくさんの温かい人達にも励まされてキナコは過去の傷から立ち上がっていきます。

他者との関わりを排除しようとするキナコの生活にたくさんの人達がドカドカと土足で上がってきます。

そんなふうに他者を拒絶し続けて生きていくのは難しいし、繋がりの中から生まれてくるものだったり、大きな力を得たりすることができるのだと思います。

愛の為に奔走するキナコはそのことを身に染みて教えられたのではないでしょうか?

 

③愛(いとし)とキナコ

自分を助け出して、導いてくれたアンさんの声なき叫びを聴けずに永遠に損なってしまった、と感じるキナコ。

かつての自分のように親から虐待されている愛と出会って、アンさんがかつてしてくれたように愛を暗闇から救い出したいとキナコは願うようになります。

ちょっと代替行為だとか、共依存みたいなワードも出てきそうな状況ですが、愛もまた声なき叫びを上げ続ける52ヘルツのクジラで、実際に彼は言葉さえも失っていたのでした。

 

 母親に「ムシ」と呼ばれて育てられている愛。

その彼に昔の自分のような面影を感じてシンパシーを感じるキナコ。

キナコと美晴が愛の為に奔走する物語は楽しかったけれど、やはり同時に危うさも感じます。

 

他人が他人を支援する。

それも長い期間永続的に支援していくことはとても難しいことだと思います。

それが好意だったとしても、気持ちは変わっていくし、そこに好意以外の何かの気持ちが含まれていくと事態はより複雑になっていきます。

不完全な人間同士が寄り添うなら尚更そうでしょう。

誰か他人と一緒に居続けて、運命を共にするというのはそれほど過酷で、ある意味においては異常な行為なのだと思います。

 

話は逸れますが、そう考えると『結婚』という概念がどれほど歪なのかがわかるような気がします。

ある意味、上手くいかないのが自然なような気もしてきますね。

もしそこで曲りなりのも添い遂げられたとしなのなら、そこには一つの『物語』の力があったからな気がします。

 

物語は人と人とを結びつけますが、それだけでは不完全だし、ましてや愛とキナコは不完全な者同士。

昌子さんが2年間の期間をおいて考えるとしたのは正しい判断だったのでしょう。

 

ラスト付近のアンさんらしき存在が、愛の危機をキナコに伝える場面。

キナコは初めて愛の声なき声を聞きます。

『たすけて』

たとえ直接的に言葉で伝えられなくても。

物理的に離れていても。

魂は叫びを上げ続けて声なき声を届けようと求めてもがいているのでしょう。

 

「愛」

「キナコ!!キナコ!!」 

愛が駆け寄ってくる。勢いよく抱きついてくる身体を全身で受け止めた。確かな強さとぬくもりが腕の中にある。強く抱きしめ返して、わたしも声を上げて泣いた。

 わたしはまた、運命の出会いをした。一度目は声を聴いてもらい、二度目は声を聴くのだ。このふたつの出会いを、出会いから受けた喜びを、今度こそ忘れてはならない。

 

運命と奇跡が交錯して、2つの魂が解き放たれていく。

どれだけ損なわれて、魂が欠損するほどの痛みと傷を受けたとしてもきっとやり直せる。

どれだけ不条理な痛みに苦しめられても、何度でも立ち上がれる。

やり直して前を向ける。

 

僕は、この『52ヘルツのクジラたち』を『生き直しの物語』だと思いました。

生きていれば、不条理に酷い傷を負うこともあるし、もしかしたら生まれたその瞬間から立ち上がることができないほどの痛みや欠損抱えていることもあるかもしれない。

でも、人生ってそうやって損なわれ続けるものなのでしょうか?

希望は?

光は?

救いは?

 

絶望の淵にいても、やり直せる。

自分だけじゃなくて、周りの誰かの力も借りて。

そういった運命と命の不思議。 

そういったことを、この物語を読んで強く感じました。

 

 

5、終わりに

 

とてもよくできな物語だったし、辛いテーマを抱えながら明るさと強さを感じるような不思議な作品でした。

これが町田そのこさんの作家性なのでしょうか?

そして、物語が物語としてあるべき必然性を強く感じた作品でした。

何かを抱えた人間たちが寄り添いながら何かをくぐり抜けていく。

そこにはたくさんの想いがあり、触れ合いがある。

魂の交歓というべき深い交わり。

そのメッセージは受け取る側ひとりひとりにとって形を変えていくようなものなのかもしれないけど、そんな春の霞みたいな道しるべを辿って僕は今日も生きていきたいと思う。

 

力強く明確なイデオロギーでなくてもいい。

か細くとどくある種の生きにくさを抱えたクジラ達の叫びと物語。

そんな不確かさが僕は好きです。

 

 

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