ヒロの本棚

本、映画、音楽、写真などについて書きます!!

【カメラ】小さい秋見つけた☆

今週のお題「紅葉」☆

 

先週日曜日に、愛媛県松山城の二の丸庭園で紅葉を撮ってきました。

前回、山の中で紅葉を撮りましたが、今回は夜にライトアップされた紅葉を撮影してきました!!

 

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毎年、期間限定でライトアップされているみたいですね。

知らなんだ~。

https://www.city.matsuyama.ehime.jp/kanko/kankoguide/matsurievent/ninomaruevent.html

 

一応、子供と嫁を誘ったものの、「行かない」とすげなく断られてました。。

うん、まぁわかってたさ(^_^;)

恋人の聖地とか書いてるし、カップルだらけなんじゃ・・・。

ビビリつつも、オッサン一人でカメラをぶら下げて突撃してきました!!

 

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おー、めっちゃいい感じ♪


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傘とかも置いてて雰囲気いい感じです♪


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カップルもいましたが、僕みたいなカメラ持ったオッサンもたくさん湧いてました(笑)

でも、3脚も持ってきてめっちゃ本格的に撮ってる人がけっこういました。

僕が撮ったのはブレてますね。。

カメラはもっと練習&研究が必要ですねぇ(^_^;)

 

冬はイルミネーションとかあるし夜景を上手に撮れるようにがんばりまっす!!

 

 

 

 

☆最近撮った写真

息子の釣りの付き添いに行った時に朝日と、空を撮りました♪

秋の空は、透明感があって綺麗です。


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限りなく透明に近いブルーですな☆
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コレ、ちょっと上手に撮れた気がしてます。

天使の羽みたい。
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10月に撮ったコスモスです♪

写真撮りだすと、花とか季節の行事なんかに敏感になる気がします。

コスモスは可愛らしくて好きですね。
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カメラは本当にまだまだですが、良い写真撮れるようになりたいなぁ。

そのうち文章と、写真のコラボみたいなこともやってみたいなと思ってます(^O^)

西 加奈子『窓の魚』

1、作品の概要

西加奈子の8作目の長編小説。

温泉宿に泊まった数時間の出来事を、4人の男女の視点から描いた小説です。

 

窓の魚 (新潮文庫)

窓の魚 (新潮文庫)

 

 

 

2、あらすじ

ナツ、トウヤマ、ハルナ、アキオの4人の男女で、宿の内湯がガラス越しに庭園の池になっていて、泳いでいる錦鯉が見える一風変わった温泉宿に泊まりに来ていた。

一見どこにでもいる20代後半の2組のカップルだが、それぞれの心の奥底に隠している秘められた想いがあり、生きにくさを抱えていた。

温泉に入って、一緒に夕食を食べるだけの何の変哲もない一瞬一瞬に、お互いに対する思いや、欠落が見え隠れする。

夜が明けた時に4人の関係はどんなふうな変化があるのか?

池に浮かんだ女性の遺体は誰なのか?

 

3、この作品に対する思い入れ

西加奈子の『さくら』『ふくわらい』が良かったので、もっと読んでみたいと思い、図書館で借りてきたのが『窓の魚』でした。

一見普通の若者たちの歪さを上手に描いていて、特にアキオの章の不穏さが印象に残っていて再読してみました。

 

4、感想・書評

この物語は、4人の視点で同じ時間を語ることで、一見何気ない振る舞いに隠された暗い内面を描いた物語だと思います。

冒頭のバスに乗ってるシーンでは、どこにでもいる2組の若いカップルが描かれていて、山奥の美しい緑の情景とともにこれから始まる物語が、ポップなラブストーリーであるかのように思えます。

 

ちょっとぼんやりとしたナツ、明るく無邪気で優しいアキオ、明るく可愛いハルナ、ぶっきらぼうでそっけないトオヤマ。

遠くからパッと見た感じでは、この4人が無邪気に温泉旅行を楽しんでいるように見えますが、物語はひとりひとりの暗い内面と、歪みをあらわにして不穏に進行していきます。

 

「遠くから見れば、大抵のものは綺麗に見える」

村上春樹の『1973年のピンボール』の言葉ですが、この物語も遠くから見れば綺麗に見えますが、近づいて内面を掘り下げるとそうでないものがたくさん湧き出してきています。

 

解説で中村文則パイセンも書いてましたが、同じ場面を複数の視点で捉えることで、それぞれの印象が違ったり、さりげない動作に深い意味が込められていたりして奥が深いです。

 

飽きたところで顔を話すと、鏡にアキオが映った。俺の、すぐ 後ろに立っている。

「おい、なんだよ」

「え?」

「驚かすなよ」

ートウヤマー

 トウヤマの章では何てことないシーンです。これがアキオの視点になると・・・。

 

もしあれが、熱湯だったら。頭から熱い湯をかぶったら、トウヤマの皮膚はどうなるのだろうか。ぐらぐらと沸騰した湯をかけたら、トウヤマは、熱い、熱いと、泣き叫ぶだろうか。それを見たいと思った。それを切実に望んだ。

「おい、なんだよ」

気がつくと僕は、トウヤマの後ろに立っていた。ほとんど無意識だった。 

ーアキオー

 

あと、数秒気づくのが遅かったら・・・。

熱湯ぶっかけてたのか??

アキオの狂気を感じるシーンです。

 

ナツ→トウヤマ→ハルナ→アキオの順で物語が展開していくのですが、物語が進んで行く毎に登場人物の印象は変わっていき、不穏な空気になっていきます。

2組のカップルの印象も変化します。初めはメンヘラなナツに振り回される優しいアキオがかわいそうだなとか思ってたら、記憶が飛んでぼんやりする薬をナツにこっそり飲ませていたり。傍若無人で、ぶっきらぼうな、トウヤマに尽くしている一途なハルナの印象が、ただトウヤマのルックスに興味があるだけで、自分は整形手術で身体中をいじっていて、旅行が終わったら別れようと思っていたり。。

物語が進むにつれて登場人物の印象がどんどん変わっていきます。

 

この複数の視点で、同じ場面を書く手法は面白いですね。

ナツ→トウヤマ→ハルナ→アキオの順で物語が展開していくのも確信犯でしょう。

最初は透明に近い色が、グラデーションして深い闇に染まっていくような印象があります。

秋の夕暮れのようです。

それぞれが抱えている闇が深くなっていきます。

 

ナツは記憶が飛んで、かつて自分が愛していた人でさえ思い出せなくなって、自分は狂っていると慄然とします。突発的な行動で、アキオを傷つけているのも申し訳なく思いますが、実はアキオのせいで壊れていっています。でも、そういったアキオの静かな狂気をナツは本能的に感じ取っています。

でも、アキオが優しい言葉をかけてくれればくれるほど、柔らかく抱きしめてくれればくれるほど、アキオの中からとても冷たい、ぞっとするような静かな感情が押し寄せてくる。私はそれに怯えた。

 

トウヤマは、かつて祖母に愛された記憶と、垣間見えた白い太腿に愛情と性欲が綯い交ぜになった昂ぶりを忘れられず、心に歪みを持って生きています。

過去に付き合っていた女、「あいつ」のことが心にひっかかっています。

ナツが露天風呂であった、太腿に牡丹の刺青をした女が「あいつ」なのでしょう。

祖母の太腿の白さと、「あいつ」の太腿の牡丹。

そこはかとなくフェティシズムを感じますよね。

 

ハルナは可愛く、トウヤマに尽くしている女に見えますが、大きなコンプレックスと闇を抱えています。

 容姿端麗で、水商売もしていますが、実は母親からせびったお金で身体中を美容整形で手術していたのです。

高校生時代に見た母親の醜い姿が何度も脳裏に浮かびますが、最後は母親の愛情を受け入れて自分を受け入れて、ナツと距離を縮めてみようと思い立ちます。

 

最後にアキオですが、こいつはサイコパスです(笑)

ナツに薬を飲ませて弱っていく様を愛でたり、死産した弟に重ね合わせたりしています。そして不能者です。

歪みまくってますなぁ。

でも、本人は淡々と周囲には優しく、無邪気に振る舞います。

幼い頃に病気して身体が弱いせいもあり色白で小柄で、でも顔と肉体は美しい青年です。

そんな人間が悪びれもなくこういった逸脱した行為をしている・・・。

こういうタイプが一番怖いですね。

 

さて、この小説の登場人物の名前は全員カタカタ表記ですが、名前の中に季節を隠しています。

ハルナ=春、ナツ=夏、、アキオ=秋、トウヤマ=冬ですね。

ここで引っかかるのが、ナツの章の表現。

 

ここは紅葉などせず、もしかしたら秋よりも早く、冬がやってくるのかもしれない。

文庫版P8

 

ここは、秋より先に冬が来る。

文庫版P44

 

秋より先に冬が来る?

アキオより先にトウヤマ(冬山)?

やはり、温泉宿に一緒に来ていたのはトウヤマだったのでしょうか?

ナツの部屋で関係を持っていたのも?

 

池に飛び込んで死んでいたのは、おそらくトウヤマの昔の女の「あいつ」なのでしょう。アキオの章の最後でもわかります。

まぁ、2人とも常軌を逸した行動をしますね(笑)

 

折に触れて出てくる猫の存在は謎です。

もしかしたら、「ねじまき鳥クロニクル」のねじまき鳥のような姿の見えないメタファーとしての存在なのでしょうか?

「あいつ」だけ猫の姿を認識した理由は?

ある種、死神のような存在だったのでしょうか?

答えは、『藪の中』です。

物語の視点を増やすと真実がぼやけて滲んでいく。

そんな、謎が多い不思議な感触の物語だと思います。

 

 

 

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名刺代わりの小説10選

生まれ変わりはあるのか?胎内記憶について

いきなり怪しいタイトルですが、宗教のセミナーとちゃいます(笑)

生まれ変わりとか、輪廻転生とか神秘的なテーマですごく興味あります。

まぁ、証明するすべは自分が死ぬしかないんですけどね(笑)

オカルト大好きです。

 

昨日は、中村文則の『悪意の手記』の感想を書いていて、めちゃくちゃ重くてなんだか疲れました。

好きな作品なので、ついつい熱が入ってしまいます。

今日は、気楽に楽しく文章を書きたいですー。

 

生まれ変わりの話で今回紹介する本は『ママ、生まれる前から大好きだよ』という本で、池川 明という横浜の産院をやってる医者が書いた本で、大真面目に子供の胎内記憶と、生まれる前の記憶を検証してます。

 

 

ママ、生まれる前から大好きだよ!―胎内記憶といのちの不思議

ママ、生まれる前から大好きだよ!―胎内記憶といのちの不思議

 

 

 

胎内記憶とは文字通り、胎内にいる時の記憶のことで、帝王切開で出産をした子供が「お腹の中にハサミが入ってきた」と言っていて通常あるはずのない記憶のことです。

ですが、実際に著者の池川先生が産院に来るお母さん3601組の母子にアンケートを取ったところ33%の子供に胎内記憶があるというのです!!

さすがにちょっと盛ってるんじゃ・・・って思いましたが、胎内の記憶を持って生まれてくるお子さんは、僕たちが思ってるより多いってことなんでしょうね。

 

でも、この胎内記憶があるのは3~5歳ぐらいの短い間で、その後は忘れてしまうことが多いようです。

ちなみに我が家でも2人の子供に「お腹の中のこと覚えてる?」って聞きましたが全然覚えてませんでした。チッ。

 

胎内記憶の例として「ママが『もう少しそこにいなさい』って言ってた」(出産予定日が近づいた時に母親がそう声をかけていた)「一度くるんとまわったよ」(逆子をなおす体操をした)などなど。

中には、胎内から外を見ていたという子もいて、初めて行ったはずの公園に「ここ、知ってるよ。おへその穴から見ていたもん」といった子供もいるようです。

 

胎内の記憶だけではなく、生まれる前(中間生)の記憶を持っていると主張する子供もいます。

よくあるパターンとしては、「雲の上にいて、神様みたいな人と一緒にいた。雲の上からお母さんを選んで生まれてきた」というものです。

まぁ、子供の言うことだし夢を見てたのかもしれませんが(^_^;)

 

ただ中には具体的なことを言う子供もいて、生まれる前のお母さんの服装や、職業とか、当時の夫婦の状況なんかも言い当てる子供もいるようです。

 

他にも、胎内記憶にまつわる、不思議な話がたくさん書いてます。

興味ある方はぜひ読んでみてください。

 

 

中村 文則『悪意の手記』

1、作品の概要

 中村文則の3作目の長編。

作者自ら「最もマニアックな長編」と言っている初期の傑作のひとつだと思います。

悪意の手記 (新潮文庫)

悪意の手記 (新潮文庫)

 

 

 

2、あらすじ

15の時、TRPという死に至る大病を患った主人公の「私」が、死への恐怖と青い服を着た奇怪な少年との邂逅から 自らの運命を呪い、周囲を憎悪するようになっていった。

 

奇跡的に回復して高校に復学した「私」だったが、たまたま公園で会った親友のKを池に突き落として殺してしまう。

罪の意識から自死を試みる「私」だったが、死に至ることができず大学で知り合った武彦と、偶然知り合った祥子と親交を深め、徐々に心を開くようになる。

 

しかし、幻覚から青い服の少年が再び現れて「私」の精神は恐慌をきたし、祥子と距離を取り、バイト先の店主リツ子のある計画に力を貸すと約束する。

殺人を犯した人間に救いはあるのか?贖罪とは?

人間の罪の意識に訴えかけた中村文則の初期の傑作です。

 

3、この作品に対する思い入れ

再読して 中村文則の作品の中でも最も闇が深い作品だと思いました。

読んだのは、今回2回目でした。

 

4、感想・書評(ネタバレあり)

 ①病による絶望と憎悪、世界との対峙

主人公の「私」は、15の時に死に至る重い病に罹患します。

虚脱感、高熱、立ちくらみに加えて身体中に紫色の斑点ができ、精神が錯乱して8割は死に至るというとてつもない病気でした。

15歳という自我が未発達な時期に常軌を逸した肉体的苦痛と精神的苦痛が与えられ、加えて死への絶望を感じる状況は精神を歪め、人生観を捻じ曲げて一人の少年を「悪」に染めてしまうことは必然だったのだと思います。

 

美や愛情、道徳や夢、そういった、自分とは無関係になったものを激しく憎み始めた。私は憎悪する存在として、世界に対峙した。こんな仕組みでなりたっているこの世界を肯定してはならないと思った。

 

前作の『遮光』の感想でも書きましたが、ここでも世界からはじかれている人間が描かれています。『銃』では家族環境と銃を拾ったことによって、『遮光』では両親、恋人の死がトリガーとなって世界からはじかれて、繋がりを絶って生きることになります。

『悪意の手記』では、病気が原因で世界と対峙し憎悪するようになります。

病院ではその後たびたび幻覚として現れるようになる、青い服の少年との出会いがあります。少年は病気のために死にますが、「私」の心の中には「憎悪の象徴」として存在し続けたのだと思います。

 

奇跡的に病気は治り、復学する「私」でしたが、一度生を諦めて世界を憎悪し命を憎悪した自分が憎悪した命を得て、憎悪した世界に戻ることが受け入れられませんでした。それほど「私」が病室のベッドの上で感じた「憎悪」は私の中にあった何かをひねり潰していたのでした。

生きる力を無くしてしまった「私」はクラスメイトや周りの人間が紙袋をかぶった顔のない人間に見えてしまうこともあるようになりました。そして死を願うようになります。

 

このあたりのテーマ、家庭環境や、病、被虐体験などをすることで傷を抱えて精神に歪みが生じて世界に馴染めずに乖離していく。この絶望感、世界との距離感が作者の中村文則自身がずっと抱えていたものではないかと思います。『遮光』の文庫版のあとがきにも『銃』から『土の中の子供』は作品の醸し出す雰囲気が近くこの世界との乖離が繰り返し描かれているように思います。

 

②殺人と『罪と罰

「私」は自殺をしようといった公園で、偶然出会った親友のKを池に突き落として殺害します。

この殺人の場面は何かの儀式のようで、通常の殺人という激しいイメージからかけ離れた静かさで「私」は池に落ちたKが溺れ死ぬまでじっと様子を眺めています。

 

この世界の中で最も非常な映像を、平然とやり過ごしてみせろ。そうすれば、お前はこの世界を克服することになるはずだ。このくだらない世界を、心からくだらないものだと思うためにも、まったく無価値だと思いながら死んでいくためにもお前はそうする必要がある。

 

憎悪することで世界と対峙し、そのまま死んでいくはずたった「私」は不幸にも死ぬことができずに生き残って自分が対峙し、憎悪したはずの世界に含まれてしまうことになってしまった。

再び世界から抜け出し、世界からはじかれた場所ー病室や青い服の少年が属する場所ーに戻るためにはKを殺し命を軽蔑しくだらないものと断ずることで世界を克服していく必要があったのではないでしょうか。

 

「私」が感じていた虚無とは、憎悪によって病んで生きる喜びを失った魂を持ったまま生き続けることだったのではないかと思います。

病気は治癒しても魂は深く傷つき、回復が不可能なほど歪んでしまっていたのでしょう。

世界を克服し、生命を愛を幸福を道徳を超越して死んでいくはずだった私が死ねなかった理由は、この虚無がKを殺すことで消え失せてしまった=克服するはずたった世界に含まれるように意識が目覚めてしまったからだと思います。


殺人の衝撃が、圧倒的な悪徳が電気ショックのように「私」の精神を激しく刺激して生きている実感を感じるようになってしまったのかもしれません。

 

③罪は贖えるのか?

18歳になって、大学生になって一人で暮らす「私」は罪の意識に苛まされながら生きていました。世界を克服できず、殺人による虚無の消失で徐々に生の実感が沸くようになったことで「私」の心は殺人をしたことによる良心の呵責に悩まされるようになります。

 

そんな「私」に、自らの暗い生い立ちを重ね合わせて共感した武彦と仲良くなります。2人は悪徳を重ねますがそれは痛みや過去の過ちなどから必死に逃れようとする行為でもあったのだと思います。善悪を越えようとする意識と、自己破壊の衝動の2つの感情の中で激しい悪を望むように行う「私」でしたが、そんな折に祥子と出会います。祥子との出会いは「私」の中の何かを揺さぶり一つの救いを提示することになります。

 

あのような日々の中で、彼女に出会ったことは何かの啓示だったような気がする。神を信じない私がそう思うのは理屈に合わないが、今思い返してみても、やはりそんな気がしてならない。

 

安直かもしれませんが、初期の作品にはドストエフスキーの『罪と罰』の影響がみられ、特にこの『悪意の手記』は殺人とその贖罪・救いという点で非常に近いテーマがあると思います。

今作ではソーニャの役割は祥子が担っていて、「私」の抱えている何かを直感的に感づいて寄り添おうとします。

 

善悪を越えようと悪をなし続ける日々に疲れを感じ始めた「私」は自分に懐いてきた子猫を車にひき殺されたことで怒りに燃えますが、自分にそんな義憤にかられる資格がないことを思い知らされて自死を試みます。

 

資格が、ないのだ。

 

この句読点の打ち方は絶妙ですね。呆然とした様子が伝わってきます。

自殺を試みた「私」ですが、祥子に救われます。無意識的に助かりたいと、ドアを開けていた私。

病院で武彦から誰にも言ったことがない身の上話をされて自分をさらけだしてくれたのに「私」は自分の内面を曝け出すことはできませんでした。

 

退院後に、祥子と結ばれて暖かいものに満たされる「私」でしたが、自分は殺人者だという意識がありどうしても祥子に対して心を開ききれません。

 

そういった意識の葛藤から青い服の少年の幻覚を見て激しい葛藤を覚えるようになります。

何故このタイミングだったのか?青い服の少年は「私」が持っていた世界への憎悪を象徴した存在で、武彦という理解者を得て、祥子というかつて自分が得られないと思った光に触れたことで贖罪をしようとする私に対して現れたのだと思います。

 

幻覚というにははっきりとした存在で、「あそこには、確かに彼がいたような気がするのだった」と書かれていますが、「私」の中の憎悪が青い服の少年の魂と融和し眼前に現れたのだと思います。それは、青い服の少年が死を目前にして放ったひとつの呪いだったのかもしれません。

 

「た、確かに、彼らは君のことを見捨てはしないだろうよ。どちらも変わった人間みたいだからね。と、特に祥子はそうだろうさ。君を救おうとするだろう。でもね、ぼ、僕が聞きたいのは、君自身のことなんだよ。き、君がそんな自分でいることを、許していることができるのかってさ。そうだろう?君は人を殺した。

 

無意識が自己防衛の形を取りKを殺すことで自殺を逃れたという指摘も一つの可能性として「私」の脳裏に繰り返された思いだったのかもしれません。

最も言われたくない言葉を浴びせられながら、幻覚である青い服の少年を消したくないと願っていたのは、このまま幸福に浸り、贖罪を求める気持ちに後ろめたさがあったからなのでしょう。

私と青い服の少年のやり取りは、私の心の中での救済されたい気持ちと、人殺しが救いを求めるべきではないという気持ちの葛藤を表現していたのだと思います。

 

それから「私」は祥子と武彦から距離を取るようになります。

自分の理解者に罪を告白して救われるほど人を殺し罪は軽くはないということでしょうか?

 

④贖罪とは?

大学をやめリツ子の働く喫茶店で働くようになる『私』ですが、子供を殺した少年犯罪者に復讐を試みるリツ子に協力を申し出、奇妙な連帯感を抱くようになります。

リツ子にKの母を重ね、リツ子の子供を殺した少年に『私』自身を重ねることでKの母に殺される自分の潜在的願望の成就を願ったでしょう。

 

少年院から出てきた少年を殺すためにつけ回す「私」でしたが、少年がかつて自分がなろうしていた、人を殺しても朝日を美しいと思い感動できる人間であることを発見します。再び少女を陵辱しようとする少年を止めずに陰から見ていることで、再び善悪を越えようと試みますが、Kの姿が浮かび少年の暴行を止めます。

 

人を殺しても何も感じず何かに感動する感性を持った人間になることを拒んだのです。おそらく罪を犯して生きていくにはそのような深く考えていない人間のほうが楽なのでしょうが、そうすることを「私」はよしとしなかったのでしょう。

武彦も間接的にとは言え、人を死に追いやり私のように罪の意識を抱えることになります。

 

少年を殺すことを失敗した「私」でしたが、母親からKの母が死んだと聞かされ自白することを決めます。

Kの母に殺されることが贖罪であると無意識に思っていたのにKの母が死ぬことで永遠にその機会が失われてしまった。

自分が真の意味で贖罪し、救われる機会を永遠に失ってしまった喪失感だったのだと思います。

 

何かを告白し許しを乞うことが贖罪か?

「私」が最後に選択したのは永遠に失われた贖罪の喪失感を抱えながら、苦しみなが生きるということでした。

最後にTRPを再発する「私」ですが、罪を抱えながら生き続けるために生きようとします。

 

私は、まだ死ぬわけにはいかなかった。Kを殺した、ということを、自分が殺人者である、ということを、意識し続けながら、この人生を生きていかなければならない。こんなところで、簡単に、死んで終わらせることはできない。 

 

罪を犯したことを意識して苦しみながらも生き続ける。これが「私」にとっての贖罪だったのでしょう。残念ながらこの後におそらく「私」は病気によって命を落とすことになるのでしょうが。

 

「どこかで、苦しんでもいいから、生きていなさい。私も、同じように、生きているから」

 

最後にリツ子が「私」に言った言葉。中村文則のあとがきに書かれる「共に生きましょうのメッセージに共通した想いを感じます。

世界は残酷で時に絶望に満ちているけど生きていてほしい。たとえ傍らにいなくても、自分も同じような想いを抱えてこの世界に生きているから。そんな想いが伝わってきますし、中村文則の小説の大きなテーマなのではないかと思います。

【カメラ】紅葉を撮影してきました☆

今日は実家に行く用事があり、ついでに紅葉を撮影してきました。

ここ最近は晴天が続き、秋晴れが続いていたので陽の光に照らされたもみじの写真が綺麗に撮れるかな、と思っていたのですが 週末になって愛媛県は週末になって天気が崩れました。。

 

朝のうちはなんとか雨は降ってなかったのですが、山のほうはめっちゃ霧が出てました。

山奥に行くに従って、霧が垂れこめて日曜日の朝なのになんだか不穏な空気に。。

マイケルジャクソンのスリラーのMVみたいな感じでした。

最悪の撮影コンディション(^_^;)

 

さすが、持ってるなー。俺ー(涙)

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 ↑何も見えねーじゃん(*゚▽゚*)

 

 

しかも、ネットで調べたら紅葉は見頃になってるのにめっちゃ散ってるし。。

あれ、なんだか葉っぱも茶色くねー?

無駄足フラグがっ。。

文字通り暗雲が垂れこめます。

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 ↑その時の心象風景(´д`)

 

 

でも、なんとか渓谷で紅葉を撮影してきました♪

川原に降りた時に滑ってコケたのは内緒の方向で(๑≧౪≦)てへぺろ

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紅葉じゃないけど、川とか橋も撮りました。
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 一旦、家に帰って次男と公園に。

猫がたくさんいる公園だったのですが、1匹もいなくなっていたので、ジョニー・ウォーカーさんが連れて行ったんだよ」と、教えてあげました。
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カメラは我流で撮ってますが、もっと勉強して上手に撮れるようになりたいッス(>_<)

ちなみにこの方の写真集好きです。

 

 

空の色

空の色

 

 

GOMA×谷川俊太郎『Monad』

今日は、画家、ミュージシャンとして活躍しているGOMAと、詩人の谷川俊太郎さんがコラボした詩画集『Monad』を紹介します。

 

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GOMAは、天才的なディジュリドゥ奏者として音楽活動をしていて、バンドでフジロックにも出たりしてる人です。3〜4年前に愛媛のフェスに来て演奏してるのを聴いて好きになりました。ちなみにディジュリドゥとはオーストラリアの民族楽器です。

 

順調に音楽活動をしていたGOMAでしたが、数年前に交通事故で脳を損傷し、記憶が消えていくという後遺症に悩まされるようになります。ただ、失ったものだけではなくそれまで全く描いたことがなかった絵を突然描くようになり、画家としても高い評価を得られるようになりました。

 

後天性サヴァン症候群と呼ばれる疾患らしいのですが、事故などで脳を損傷することをきっかけにそれまでなかった芸術的才能が突然開花する現象があるみたいです。

それまで全くピアノを弾いたことがない人が、事故後に突然ピアノを弾き出し、そのまま作曲など手がけるプロのミュージシャンになったとい事例もあるようです。

 


ETV特集「Reborn 再生を描く」

 

NHKのドキュメンタリーでもGOMAサヴァン症候群を取り上げた番組が放送されました。

まさにREBORNですね。

中村文則も『教団X』、『私の消滅』で脳科学を取り上げてましたが、本当に人間の脳は神秘的で謎が多いですね。

 

GOMAの紹介なんだか、『MONAD』の紹介なんだかわからなくなりましたが、そんなGOMAの神秘的な絵に、谷川さんのスピリチュアルな詩が引き立て合って良い詩画集になっています♪

 

 

モナド

モナド

 

 

 

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